第7話 二度目の未処刑を、設計に変えろ
【前ループの変更点】
・外の合わせキー写しに合わせ、石盤裏の刻印を微調整(最初の名の認識をわざと遅延)
・リオの記録文言を「儀式完了=未処刑」案に差し替え(送辞の定義をずらす)
・門外二基の小石盤に対し、ダゲンの転倒劇で所作同期を乱す
・ミラは配布の重さを一部調整(最初に手が空く人の順序を乱数化)
夜明け前、指先が木の節を数える。刻印の溝は冷たく、外から写した合わせキーの位置に、ほんの紙一枚ぶんのズレを作る。わずかでいい。最初の名が立ち上がるまでに一瞬の空白ができれば、その空白に別の手順を滑り込ませられる。
焚き火の脇で、リオが筆記板の余白を広げていた。文言案を低く合わせる。
「定型の冒頭は維持。末尾だけ変える」
「どう変える」
「『本朝、儀式完了。未処刑により、票の潔白を確認』」
「“未処刑”を結果ではなく、成功条件に置く」
リオは微笑を隠して言う。「文は道具です」
門のほうで、ダゲンが砂を足で均し、わざと滑りやすくした。観客の所作は整っているほど強い。なら、乱す。ミラは籠の底に重い石を一つ忍ばせ、配布の順番を微妙に変える。最初に手が空く人が毎朝同じなら、最初の名の候補も同じになる。
鐘が一つ。
扉が開く連鎖。砂の線。空は淡く白む。
鐘が二つ。
ミラが配る。重い籠は、普段より一歩遅い。噂好きの二人は、パンを受け取って目だけで会話し、声は飲み込んだ。
門が開き、外の一団が現れる。今日は二基。小石盤を担いだ若者たち。先頭の女は昨日と同じ、冷たい目。
ダゲンが足をもつれさせ、門柱に派手にぶつかった。小石盤が傾き、杖の石がカンと鳴る。隊列が狭まり、所作が一拍遅れた。女が目だけで不快を表し、しかし口は動かさない。沈黙も合図だ。遅延も合図にできる。
鐘が——三つ。
石盤が息を吸う。
光は走らない。走ろうとして、濁る。
裏の刻印の微ズレが効いて、最初の名が立ち上がるまでの一瞬、空白が開く。僕はその空白に、用意した言葉を押し込んだ。
「祈祷の読み上げは、記録の後に」
ナヘルが顔を上げる。
「順序は決まっている」
「順序は、不変じゃない」
長が二人を見て、ため息に似た息を吐いた。「記録を先に」
リオが筆を置き、紙に刻む。定型の冒頭、そして末尾の新文言。
「本朝、儀式完了。未処刑により、票の潔白を確認」
声には出さない。だが、紙に書かれた言葉は送辞に乗る。門外の小石盤の縁が、かすかに脈打つ。同期の線が、文言に反応して揺れた。宰は文を読む。読むからこそ、文が武器になる。
光は弱い。最初の名はやはり定まらない。合図は分散し、灰で狭めた溝は細く、迂回の水路も湿っている。
先頭の女が杖をわずかに上げ、低く言う。
「補助:文言不正」
その言葉が合図にならないよう、僕は即座に重ねた。
「不正ではない。宰は“完了”の定義を持つ。『記録に残されたとおりに行われ、結果が確定した時点』が完了だ。今日の結果は“未処刑”。確定している。なら、完了」
女の眉が、ほんの一度だけ動いた。
「定義の改竄」
「文は道具だろう」
リオが筆を走らせ、女の言葉まで記録する。外の言葉が内の記録に落ちるとき、内の定義に吸収される。定義は、早い者勝ちだ。
ナヘルが香炉を持ち上げる。昨日壊れた数珠の代わりに、粗末な木珠を指にかけた。所作を取り戻そうとする。
僕は一歩前に出て、掌を上げた。
「祈祷は、潔白の確認の後に」
長が、迷ってから頷く。
「今日だけだ」
所作の順序が変わった。火はさらに迷う。
最初の名は立たず、光は濁り、広場の空気が温まる。観客は苛立つ。苛立ちは合図になり得る。だから、ミラの笑い声を上書きした。
「パン、おかわりあるよ」
笑いが、苛立ちを分散した。
女が杖を下ろし、小石盤を石畳に押し付けた。外の盤がこちらの盤と強く同期しようとする。溝の光が一瞬だけ太り、刻印のズレを力で踏み越えようとする。
僕は投票台の裏へ手をやり、昨夜仕込んだ「紙一枚のズレ」をさらに半枚分だけ増やした。釘の頭が木を悲鳴させ、僕の指先が少し裂ける。血が木に染み、匂いが立つ。
石盤は、迷い続けた。
長い一拍。
女の唇が、今度はほんの少しだけ笑いに近づく。
「追試、不合格」
彼女がそう言った瞬間、リオが文末に太い横線を引いた。
「記録。儀式完了。未処刑」
門外の小石盤が、かすかに明滅して止まる。送辞が宰へ届き、返答待ちの間ができたのだ。
広場全体が息を止める。
鳥の声、布ずれ、砂の音。
女の目が石盤に注がれ、長の掌が震え、ナヘルの香炉の火が小さく跳ねる。
そして、鐘楼が昼の鐘を打った。
三つではなく、四つ。
生活の鐘。
今日も、時間切れだ。
巻き戻りは起きない。胸の煤は四粒のまま。
二度目の未処刑。
リオは筆を置き、紙を丁寧に乾かし、封をした。
「送る。『事故』ではなく、『手順どおり』として」
女は目を細める。「審査が入る」
「審査の文も、記録に残る」
リオの言葉に、女は答えなかった。杖先の小石盤がわずかに低くなり、隊列が崩れたまま門の外へ退いた。足元の砂は、ダゲンが意図したとおりに滑り、彼らの所作を最後の最後まで乱した。
ざわめきが戻る。
ミラが小さくはしゃいで、腕の粉を払った。
「二日続けて、誰も燃えなかった」
「二度続けば、習慣になる」
僕は息を吐く。習慣は、設計の別名だ。
長サウラが近づき、低くささやいた。
「宰席から返書が来る。『審査のための使い』が派遣される。儀式の正当化、もしくは停止のいずれかを“公開”で決する」
「公開」
「観客が増える」
火は太る。
僕は石盤の縁を撫で、指先の血を見た。
観客の数が増えるなら、視線の向きを変える仕掛けが要る。
祈祷の所作の置換。
送辞の言い換えの固定。
そして——証拠。
焚き火のそばで、リオが新しい紙を開いた。
「今日の記録の最後に、こう書く。『録画、添付』」
「録画?」
「紙にも録画はできる。言葉の並びを固定して、同じ順序を複数の目で確認させる。読者が三人を越えた時点で、出来事は“映像”に近づく」
彼は微笑む。「観客が火を太らせるなら、観客で火を消す」
ダゲンが門の影から戻ってきた。肩に傷がひと筋。
「宰の使いが来るなら、見せ物になる。舞台は整えようぜ」
「どんな舞台」
「石盤の上で、誰も燃えないまま、終わる舞台」
彼はそう言い、ぼそりと続けた。「俺が落ちる役でもいい」
ミラが首を振る。
「誰も落ちない舞台がいい」
彼女はパンを一つ割り、僕ら三人に配った。
温かい。塩が少し強い。緊張を戻す塩だ。
夕刻、風が変わる。
門の見張りが、遠くの砂煙を指さした。
使いは、早足で来る。
二度目の未処刑は、宰の記録に乗った。
次は、公開の朝だ。
記録と所作と視線。
三方向から、火を痩せさせる。
胸の煤は四粒。増えない。
恐怖は、喉の奥に少しだけ張り付いたまま。
張り付きは悪くない。
刃を当てる手が、ぶれない。
【次回の実験】
・公開審査の段取りを奪う(祈祷→記録→所作の順を固定)
・観客の視線を分散させる仕掛けを設置(複数の宣誓台と“読む声”の同時化)
・「録画=多読確認」の手順書を配布し、未処刑を成功条件として読み上げる——三度目の未処刑を、公開の場で“正式な儀式”として承認させる。
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