チャコール・グレイと地底湖の底

 最近の町は、どことなくせわしない。

 もうすぐ双月祭なので、みんな、その準備に忙しいのだ。

 島の南の海岸に、ずらりとたいまつが並んでいる。そのまわりで子どもたちが、追いかけっこをしている。

「チャコ、今日も洞窟探検に行くの?」

 二、三人、子どもたちが、海沿いの道を歩くチャコールのところに寄ってきた。いつもパンを配っている家で見かける子たちだ。

「うん、そうだよ」

 チャコールは笑顔で答える。このやりとりも、最近は定番となってきた。

「双月祭には帰ってきてね」

 子どもたちに言われ、

「もちろん!」

 チャコールはうなずいた。


「我らの存在を一つの座標に統合し――空間を跳ぶ。ユニオン・トランスフェロ」

 レモンの呪文で、レモンとチャコールと、そしてカーマインは、四層の地底湖のほとりに転移した。

「ありがとう、レモン」

 一度行ってわかっている場所にワープできるこの魔法は、とても心強く、とても助かる。

 順々に、潜水艦に乗りこむ。

 チャコールは、チラリと石小屋の方を見る。

 老人は、小屋の外にはいなかった。


 カーマインが、後ろのハンドル――横舵を、ゆっくりと引く。

 ゴボゴボゴボ……

 潜水艦は、両脇のタンクから泡を吐きながら、ゆっくりと水中に沈んでいく。

 潜水艦の底面が、湖底につくかつかないかというところで、潜水艦は沈むのを止めた。

 チャコールは、ぼんやりと、丸い窓の外に流れる泡を見ていた。

「……チャコ? どうしたの?」

 レモンの言葉に、はっと我にかえる。

「あ、ごめん! なんでもないよ」

 笑顔で答え、前のハンドル――縦舵に、手を伸ばす。

 

 その時。


 ドオオオン……


 強い衝撃が船を襲い、操舵室が、激しく揺れた。

「なんだ!?」

 カーマインが叫ぶ。

 チャコールは、とっさにハンドルにしがみつく。

 モニターを見て、レモンが悲鳴を上げた。

「なにあれ、サメ!?」

 チャコールもモニターを見上げた。

 はじめに視界に入ったのは、巨大な尾だった。

 その直後、相手がスイッと身をひるがえし、その全貌がモニターに映る。

 巨大な――サメ? いや、ワニ?

 ゴツゴツした体は流線を描いて、尾につながっている。

 こちらを向くその目は小さく、口は――大きかった。

 そこらじゅうの岩を丸のみにしてしまいそうなほど、大きく開いた。

 口の中にはするどいキバが、びっしりと生えている。

「ケイヴシャーク……」

 カーマインが、つぶやいた。

「昔……島の図鑑で見た、ケイヴシャークだ。本当にいたなんて……」

「ケイヴシャーク……って」

 チャコールもその名前には聞き覚えがあった。幼学校にいたころ、カーマインがよく見せてくれた、島の探検家たちが残した、スケッチブックのような図鑑。

 カーマインの母、ガーネットが、何人かの探検家のスケッチをまとめた、お手製のものだった――と、記憶している。

 そんなのデマだよ、とバカにしていた人もいたと思う。

 真偽不明なモノも多いけどね、と笑っていた、ガーネット。

「あの、伝説のモンスター図鑑……って呼んでた本に、載ってたやつ?」

 チャコールがつぶやいた、その瞬間。

 そのケイヴシャークの巨体が、巨大な口が、勢いよくせまってきた。

「黄金色の天の灯よ、我が掌に宿れ。闇を裂き、罪なき者の道を照らせ。一閃の裁きをもって――打ち砕け。

ルーメン・インパクト!」

 スコープに向かって、レモンが高速で詠唱する。

 光のビームが、ケイヴシャークを直撃した。

 ケイヴシャークは、ひるむように、身をひるがえし――モニターの視界から消える。

「やった!」

 チャコールが声を上げた――次の瞬間。


 ガリガリガリガリ!


 すざまじい音が耳を貫いた。

 さっきとは違う振動が、船を襲う。

「なっ!?」

 すぐさま、カーマインが横の窓をのぞき――

「やばい! タンクが!」

「なんですって!?」

 レモンが振り向いたその瞬間、


 ぐらり。

 潜水艦が大きく傾いた。


 ゴボゴボゴボ……

 窓の外いっぱいに泡が立ちのぼり、視界を覆う。

 それがタンクから漏れた空気だと気づくのに、一瞬遅れた。

「落ちる……!」

 レモンが悲鳴を上げる。

 チャコールは、潜水艦の両脇に横付けされているタンクを思い出す。

 まさか――

 タンクが、食い破られた?

「ど、ど、どうしよう」

 全身から汗が噴き出す。

 潜水艦は、ゆっくりとかたむいて、ほとんど横倒しになる。

「横舵を!」

 レモンが叫ぶ。

 カーマインが、後ろのハンドルに飛びつき、目一杯回す。


 ゴボゴボゴボ……


 反対側のタンクからも空気が出て行く音がする。

 潜水艦はゆっくりと沈み――

 ズウウウン……

 湖底に着地した。

 

「蒼天を裂き、深き光の奔流よ、我が掌に集い、虚空を貫け。風の舞い、雷鳴の囁き、全てを一つに――

 ルミナ・サンダー!」

 レモンがスコープを左に――ケイヴシャークが襲ったタンクの方に向け、叫ぶ。

「斬りつけろ!金色稲妻剣ゴールデン・サンダーブレード!!」

 カーマインがもう一方のスコープに向かって剣を突きつける。


 バリバリバリバリ!!


 激しい光と、耳をつんざくような音が、船中を、そしてチャコールの全身を襲う。

 チャコールは思わず目をつぶる。


 ――静かになる。

 そっと目を開けた。

「見て」

 レモンがささやくような声を漏らす。

 モニターの中。

 力なく、ゆっくりと浮上していく、ケイヴシャークが映っている。

 そのヒレが、尾が、動くことはなく――

 モニター上部に消えていった。


「やった……」

 カーマインが、ホッとしたような声でつぶやいた。


 


「我らの存在を一つの座標に統合し――空間を跳ぶ。ユニオン・トランスフェロ」

 レモンが杖を立てて唱える。

 ――しかし、なにも起こらない。

 これで三回目だ。

 レモンはくやしそうに表情をゆがめる。

「座標が、地盤が安定しないんだわ……」

「こっちも動かねえな」

 カーマインが、横舵をひねっている。

「やっぱり、タンクに穴をあけられちゃったのかな……」

 チャコールは震える声で言う。

「オレ、ちょっと泳いで見てくるわ」

 カーマインが軽い感じで言って、ハッチへのハシゴをのぼろうとし、レモンに首根っこをつかまれた。

「バカ言わないで。危険すぎるわ!」

「非常用酸素ボンベがあるんだろ? 大丈夫だよ」

「ダメ!」

 チャコールは、窓の外を見た。

 真っ暗だ。潜水艦の前方のライトが、限られた範囲を小さく照らすが、何も、周囲の岩さえもよく見えない。

「あたしも、やめた方がいいと思う……水中で生身じゃ、戦えないし。危なすぎるよ」

 チャコールの言葉に、カーマインはあきらめたように、操舵席にもどった。

「くっそー、もどかしいな!」

 カーマインがレバーを引く。

 ブルルルル、とスクリューがから回る音がする。

 何度か引いていると、少し、船が進んだ。

「おっ、ちょっと動いたぞ!」

 カーマインの声が明るくなる。

 もう一度引く。また、少し進む。

「とにかく安定した砂地へ行きましょう、そこで転移魔法をもう一度やってみましょう」

 レモンもうなずいた。

 

 レバーを引く。少し進む。

 レバーを引く。もう少し進む。


 ガクン!

 突然、潜水艦が、前にかたむいた。

「きゃっ!」

 レモンが慌てて前の手すりをつかみ、それからモニターを見る。

「えっ、なに!?」

 潜水艦は少しずつ速さを増し、前に進んでいく。いや、滑り落ちていく。

 水中に舞い立つ砂けむりの中、ライトに照らされて、前の景色が見えてくる。

「あっ――」

 チャコールは息をのんだ。

 前方、もう目の前のその地面が、大きく崖のように落ちこんでいる。

「危ない!!」

 チャコールはあわてて縦舵を目一杯ひねる。

 しかし、潜水艦は曲がらない。

 レモンが「ブレーキ!」と叫ぶ。

 カーマインが、レバーを力いっぱい倒す。スクリューがゆっくりと止まる音がする。

 それでも、潜水艦は止まらない。

「生命の母、全ての大地よ。その腕をもって、我らを守り抜け。ロックウォール・プロテクト!」

 レモンがスコープに向かって叫ぶ。岩壁がそそり立つ。

 しかし、間一髪、間に合わない。


 ズルリ……

 潜水艦は、崖のように切り立った湖底の地面から、その深みに、ゆっくりと落下した。


「なに、あれ……」

 目の前のモニターに広がる景色を見て、レモンが、絶望の混じった声でつぶやく。

 チャコールも、見た。

 水が。水流が。大きく弧を描いて。

 渦のようなものを作っている。


 レモンが、スコープに杖を向ける。

 カーマインが、スコープに剣を向ける。

 船を止めようとして。

 落下を止めようとして。

 渦に巻きこまれるのを、阻止しようとして。


 しかし――間に合わない。


 ギュルルルル!!


 先ほどまでとは、くらべものにならないほどの振動が、船を、三人を襲う。

 船は大きく回転し、チャコールは椅子から投げ出されそうになり、必死に横舵にしがみついた。

 潜水艦は、なすすべもなく、渦に飲みこまれていく。

 

「穴……?」

 レモンの声が聞こえる。

 チャコールは必死で目を開いて、モニターを見ようとしたが――

 体中が、潜水艦内の、機器に、椅子に、打ちつけられる。

 チャコールは、気を失った。


            *


「――チャコ!チャコ!」

 カーマインの呼び声で、チャコールは目を覚ました。

 目を開ける。

 目の前のモニターに、一面に輝く水晶の世界が、広がっていた。

「えっ……あれ……?」

 チャコールは、一瞬、混乱した。

 自分たちは、湖の中を潜っていたのではなかったか。


「立てるか?外に出てみようぜ。レモンも先に様子見に行ったから」

 カーマインにうながされ、チャコールはハシゴをのぼり、ハッチから顔を出す。

 ドドドドド……。

 天井から滝のように水が流れ落ち、小さな湖を作っている。潜水艦は、その湖に浮かんでいた。

「オレたち、あそこから落ちたんだな」

 滝を見て、カーマインがつぶやいた。

 チャコールは、目の前の景色に釘付けになった。

 キラキラと輝く、地面、壁、天井。

 水晶か。

 しかし、水晶にしては――複雑な色合いをしている。

 透明にも見えるし、かすかに赤みがかって見えたり、青みがかって見えたりするところもある。

 光もない洞窟の中で、それらはなぜかほのかに明るく、なにかを反射するかのように、色とりどりに輝いていた。


「――虚玻璃うつろばり、だわ」

 レモンのつぶやきに、チャコールは、ハッとして、潜水艦の上に立つレモンを見上げた。

「ここは、虚玻璃うつろばりの洞窟なんだわ」

 レモンは静かに言った。

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