第六章 鉄紺の影
二年前〜チャコール・グレイ〜
チャコール・グレイと潜水艦の老人
「斬りつけろ!
カーマインの雄叫び、ひるがえる赤い短髪、光る剣。
金色の斬撃が、水面から伸びていた触手――魔物・テンタクルスを、直撃した。
ギイイイイ……
テンタクルスは焦げるように黒く縮み、ボトボトと触手を落とし、動かなくなる。
「すごーい!」
チャコールが歓声を上げる。
カーマインは、地面に落ちた焼けこげた触手を、ひょいと拾い、
「これ食えるかな?」
と言った。
「バカ言わないで!!」
レモンがバシッとはたき落とした。
チャコールは苦笑いする。
ここは四層、
地底湖のそばに、小さな石造りの小屋がある。
そこにいる人が特殊な潜水艦を作っている、というのは、探検家の中では有名だった。
名前は誰も知らない。潜水艇の番人、あるいは、潜水艦の老人などと呼ばれている。
非常に気難しいとのウワサで、気分によっては貸してくれないことも多く、この人の貸す潜水艦に乗ったという人は、数えるほどしかいないらしい。
ただ、ここの潜水艦なしには、地底湖の底に行くことはできない。
「地底湖の底にはまた別の洞窟が隠れてるらしいんだ!」
カーマインは目をキラキラさせて言った。
「それに、地底湖の中なんて、ワクワクするよな!」
「この洞窟はまだ全貌が分かってないから、調べる価値はあるわよね」
レモンもうなずく。
「誰も知らない地底湖の中や底のことがわかったら、カーマインのお父さんやお母さんや、他の探検家の人たちの役にも立てられるよね」
チャコールが言うと、カーマインが大きくうなずいた。
「ああ、うちの親も湖の底のことやその下のこと、知りたいって言ってたよ。レアメタルなんかも眠ってるだろうって言われてんだって。たまに、ウツロ……なんだったかな、不思議な鉱石が見つかったりもするんだって。そういうのがもし手に入れられれば、高く売れるんなら島の復興にも役立てられるし、島外への交渉にも役立つとか、おふくろが語ってたなー」
レモンも、
「島主さんがそう言うのなら、なおさらぜひ、その潜水艦の老人さんには、貢献していただきたいわね」
と言い、石小屋を見つめる。
レモンは簡素な扉を三回ノックし、「失礼します」と扉を開けた。
金属と石が並ぶ、薄暗い倉庫のような部屋。
その奥で、一人の老人が、黙々と、潜水艦の手入れをしている。白髪混じりの髪や髭はぼうぼうで、無造作に刈ったように不揃いだ。ふしくれ立った指や腕には、深いシワが刻まれている。薄汚れた作業着は、だいぶくたびれている。
「失礼いたします。わたしたち、この地底湖での調査のため、潜水艦をお借りしたくて来ました」
レモンがよく通る声で言う。
老人は手を止めず、まったくこちらを見ずに、
「……子どもには貸さん」
とボソッと言った。
「早っ」
カーマインがつぶやく。
レモンは、ひるむことなく、
「事情を説明させていただけますか。わたしたち、ここまで来た実力はあります。島の決まりでも、洞窟探索の資格に、年齢は問われていません。わたしたちのことは、島主も承知で、ここの情報を提供してくれたのも島主です」
と、冷静に説明した。
老人は短く、
「貸さんと言った。帰れ」
と吐き捨てる。
レモンは表情を変えないが、細い指先が、自身の太ももをトントン叩き始める。
「まあまあ、まあまあ」
カーマインがニコニコ笑顔で老人に近づく。
「話すだけタダっしょ? もうちょっとだけ、話聞いてくれよ、じいさん」
「じいさんじゃねえ。ワシは子どもには貸さん。それだけだ」
レモンは小さく息を吐き、カバンから、なにか資料のような紙を取り出した。
なんだろうあれ。
チャコールは横目でそれを見る。レモンが作ったのかな? いつの間に。
「では、条件をはっきりさせましょう。潜水艦をお借りしている中で起きたことの責任は、すべて私たちにあります。何があっても、あなたを責めることはありません。わたしたちの親も、その他の人たちも。潜水艦が傷つけば弁償します。契約書にも明記します。そちらの条件があればおっしゃってください」
老人の手が一瞬だけ止まる。シワの奥の目が、チラリとこちらを見た。
しかし、また視線を元に戻し、手を動かし始める。
「理屈は聞いとらん。帰れ」
レモンは唇をきゅっと結ぶ。
「……なんでそんなに、イヤなんですか?」
チャコールの口から、思わず声が出た。
「チャコール」
レモンが、とがめるような視線を、チャコールに向ける。
しかし、チャコールは、老人の背中をまっすぐ見ている。
「ここ……すごく大事にしてるんですね、その船」
老人の表情は変わらない。
けれど、手の動きだけがほんの少し止まった。
「その船も、ここにあるモノたちも、すごく丁寧に磨いてある。長い間、一緒にやってきたんだってわかる」
チャコールは、セルリアンの工房を思い出す。
表情や態度だけではない、その人の人となりが、道具や作ったものに現れることもあることを、チャコールは知っていた。
老人はジロリとチャコールを見る。
「……子どもに何がわかる」
「ごめんなさい。でも、あなたの大事を踏みにじりたいわけじゃないんです」
沈黙が落ちる。
ただ、さっきまでより、ほんの少しだけ、空気がやわらかくなったように、チャコールには感じられた。
レモンは持っていた紙の束をそっと閉じて、一歩前に出る。
「最後にもう一度だけお願いします。こちらが契約書です」
真摯な瞳で、老人を見つめ、紙の束を差し出す。
「あなたに一切の責任はありません。報酬は前払いします。どうか、協力していただけませんか」
老人は、レモンの差し出した紙を見ようともしない。
だが、ゆっくり立ち上がり、
「……明日、日の出前に来い」
「…………え?」
「準備はしておく。だが壊れても、沈んでも、助けはせん。ワシは知らん。勝手にしろ」
「っ……ありがとうございます!」
レモンが明るい声を上げ、ぺこりとお辞儀をした。チャコールもあわてて頭を下げる。
「礼は要らん。……どうせまた壊れて帰ってくる」
老人はため息のようにつぶやく。
「じいさん、ありがとう! なーんだ、いい人じゃん! 潜水艦カッコいい!!」
カーマインが喜んで、潜水艦をペタペタ触る。
老人はギロリとカーマインをにらみ、
「触るな! ワシはじいさんじゃないと言っとるだろうが!」
と凄みのある声で怒鳴った。
チャコールは小声で、
「……優しい人で、よかったね」
とレモンに言った。レモンはため息をついて、
「……そうね。日の出前、寝坊しないようにしないとね。絶対に」
と言った。
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