幕間

レモンの父母の思いと願い

「わたし、帰らない。助けたい人たちがいるの」

 二年前。教会の部屋で。

 わたしはそう言った。

 泣いている母に向かって。

 険しい顔の父に向かって。

 

 知らない島に行ったと思ったら、大怪我して一週間も昏睡していた娘が、やっと目を覚ましたのだ。

 早く一緒に家に帰ろう。

 こんな危険な島、一刻も早く出よう。

 そう説得してきた母を、だれが責められるだろう。

 大切に育て上げた一人娘が、こんなんでごめんね。

 もっと家庭を大事に、地元で両親を支える娘でいられたら、こんなに泣かせずにすんだのだろうか。

「レモン……」

 父は渋い顔をしていた。

「もうやめなさい。この島にそこまで、お前の命をかけるほどの価値があるとは思えない」

「価値はわたしが決める。お父さんの意見は聞けない」

「お母さんを泣かせて、無責任だと思わないか」

「仕送りはする。体にも気をつける。それなら文句はないでしょう」

「体に気をつけられないから、こうなっているんだろう」

「わたしはこれからの話をしているの。たった一度のことで、わたしを決めつけないで」

 わたしと父は淡々と、しかし激しく言い争った。

「もうやめて、もうやめて……」

 母は泣きすぎて、まぶたが腫れあがっていた。

 最終的には、

「もういい。こちらの忠告を聞かないのなら、あとは自己責任だぞ」

 吐き捨てるように言って、父は、母の肩をそっと抱いて、教会の部屋を出て行った。


 それが二年前のことだった。


 わたしは頭がいっぱいだった。

 目の前で飲みこまれたチャコールのことで。

 知らぬ間に消えてしまっていた、カーマインのことで。

 あの日のチャコールの泣き顔。カーマインの叫び。

 耳の奥から離れない。

 頭の中から消えない。

 二人を放っておいて、島を捨てて帰る?

 そんなこと、とても考えられない。

 

 叫びたくなる気持ちを抑えて、冷静に両親に説明しても、理解はされなかった。

 魔獣の話をすれば、母は青ざめ、ふらっと倒れそうになった。

 チャコールの話をすれば、父は顔をしかめた。

「そんな他人のことに巻き込まれて、お前がこんなひどい怪我をするなんて、とても看過できない」

 わたしが悪いのだ、と言っても、父の表情は変わらなかった。

 チャコのことを、わたしの大切な友人を、あくまで他人と呼ぶ父に。

 カーマインの話なんて――できなかった。

 わたしがどんな人を好きになったか。

 どんなに大切に思っていたか。

 話して、否定されるのが怖かった。

 だからわたしは、両親を拒絶した。


 その後も、わたしは毎月、実家に仕送りを欠かさなかった。

 このことが起こる前は、仕送りは義務で、当然の恩返しで、泣かせた母への贖罪で、心配ないと伝える手段だった。

 今となってはもう、なかば意地だった。

 文句は言わせない。娘としての最低限の義務は果たしてる。だからわたしは、本当の親不孝者ではない。

 そう自分に言い聞かせながら、でも、どこかでわかっていた。

 わたしの主張には根拠はない。

 だからこそ、父はあんなにも反対したんだ。

 きっと、あの父のことだ、今も準備をしている。

 わたしが次に倒れたら、そら見たことかと問答無用で島から連れ出すのだろう。

 

 そう、思っていたのだけれど――


 母から届く手紙には、だんだんと、わたしの心配以外に、自分の話が増えていった。

 お裁縫を始めたこと。

 趣味でつながった友だちができたこと。

 父と小旅行に行ったこと。

 写真も入っていた。どこかのレストランで、父と母が並んでほほえむ写真。二人とも、見たことないほどおだやかな笑顔だ。

 わたしは、なんだか、知らない人を見ているような、不思議な気持ちでその写真を眺めた。

 どこかホッとする気持ちもあったし、どこか寂しい気持ちもあった。

 母がわたしのことばかりに縛られずに、自分の楽しみを見つけて過ごせている様子を、わたしはだんだんと、あたたかい気持ちで見守れるようになっていた。


 久しぶりに会った両親は、困ったような、どこかホッとしたような表情をしていた。

「……心配かけてごめんなさい」

 わたしは素直に謝った。

「でも……わたし、まだ、もっとここにいたい。助けたい人がいるの」

 父はまた、渋い顔をした。わたしの胸の奥が、ぎゅっと苦しくなる。けれどわたしは、毅然として父を見つめ返した。

「お前の気持ちはわかるが……」

 父はそう言って、母を見た。

 母は、思いのほか、穏やかな表情をしていた。

「ねえレモン、その人たちはどういう人なの?」

「え?」

「あなたのお友達の話を聞きたいわ」

 そう、母は言った。

 わたしは、戸惑ったけれど、一人一人のことを、話した。

 セルリアン。この間知り合ったばかり。見たことのない魔法を使う、気難しい、変わり者。はじめはケンカした。けれど、わたしを精一杯、助けてくれた。生命琥珀という、珍しい石の魔法で。

 シロ。謎だらけの男の子。強いのかもよくわからない。素直で、馬鹿正直で、なんとなく放っておけない。いつも一生懸命で、わたしの話をよく聞いてくれる。あの小さな体で、わたしを運んでくれた。

 そして――

 チャコール。頑張り屋で、笑顔で、優しくて、いろいろなことや、いろいろな人のことを、よく考えていて――わたしが、傷つけてしまったこと。二年前に、魔獣を倒して、いなくなってしまったこと。

 カーマイン。無鉄砲で、強くて、たくましくて、優しくて、何も考えてないように見えて、意外と考えてる時もあって――二年前に、いなくなってしまったこと。けれど、今でも夢に見るほど好きなのだということは、黙っておいた。

 そんな話を、父と母に、ゆっくり話した。話しながら、これもまた、否定されるんだろうなと思っていた。どうせ親から見たら、子ども同士のお遊びだ。

 だから、

「レモン、いい仲間に出会えたのね」

 母の言葉に驚いて、わたしは母を、久しぶりに、真正面から見た。

 母は、優しくほほえんで、わたしを見つめていた。

 懐かしい笑顔だった。

 ――ああ、忘れていた。

 わたしはこの笑顔が好きだった。

 小さいころから、ずっと。

 だから、もっと笑顔になってほしくて、勉強も、運動も、魔法もがんばってきたんだった。

「レモン、忘れないでね。わたしたちにはあなたが一番大切なの。どうか、命だけは守ってね」

 母はそう言って、目尻の涙をぬぐった。

 父がそっと母の肩を抱きよせた。

「レモン、母さんがそう言うなら、私から言うことはないよ――ああ、でも」

 父は少し笑った。

「仕送りはいらないよ」

「え、でも」

「お金には困ってないからね」

 父は面白そうに笑みを浮かべている。

 どうやら、わたしの意地は見抜かれていたみたいだ。

「ねえ、それより手紙がほしいわ」

 母はわたしの手を握った。

「手紙?いつも書いてるじゃない」

 時候のあいさつと、父母の体を気づかう文章と、あと少し、こちらの町の風景や自然のこと。心配させないように、あたりさわりのない手紙は書いていたのだけれど、

「もっと、お友達や、冒険のことを書いてほしいの」

「ええ……」

 わたしは少し困った。どのくらい正直に書いていいんだろう?本当のことを全部書いたら、母は卒倒するんじゃないだろうか。

 でも、

「うん、わかった」

 わたしはうなずいた。

 どうやら、母はわたしが友達の話をするとうれしいみたいだから。

 それくらいでいいなら、やってやろうじゃないか。

 今度は、お金のかわりに、鉱石を入れてみよう。写真でもいいかもしれない。


 父母が帰った後、教会はゴーレムに襲われた。

 なんとかセルたちが撃退してくれたけど――

 父と母が帰った後で、本当に良かった。

 わたしは色々な意味で、心からそう思ったのだった。

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