チャコール・グレイは奮闘する

「――よしっ」

 家の中。チャコールは、粉とススでまみれた手でひたいの汗をぬぐい、笑った。

 鍋の上で出来上がった、少しいびつな丸い菓子を満足そうに見つめる。

「まあ、あたしにしちゃ、上出来でしょ」

 小麦粉と蜂蜜を練ったものに、庭で育てたナッツと、近所の牧場でもらった牛乳をまぜ、鍋で焼いた、お手製クッキーだ。

「レモン、喜んでくれるといいなあ」

 家にある中で一番、おしゃれ――とまではいかないが、きれいに見えそうな、白い紙にクッキーを包み、チャコールははずむ足取りで、教会に向かって歩き出した。

 日が暖かく道を照らし、さわやかな風が吹いている。


 教会の扉に近づくと、そばの「こどもの寮」から、明るい笑い声が聞こえた。

 チャコールはそちらに向かう。窓から中が見える。

「あっ、レモン……」

 レモンがオリーブと一緒に、キッチンで何かを作っているのが見えた。

「よかった。元気になったんだ」

 チャコールはホッとする。

 奥ではカーマインと子どもたちが遊んでいる。

「できたわ!」

 レモンがかまどから鉄板を取り出す。

 そこにはずらりと、丸く美しいクッキーが並んでいた。

 バターのかぐわしい香りがただよう。

 子どもたちの歓声が上がる。

 チャコールはそっと、自分のクッキーを見た。

 形もいびつで、バターも使ってない硬いクッキー。

 ――バター、高いからなあ。

 ――あのクッキー、おいしそうだなあ。

 窓の中、レモンがテーブルに置いた皿の上のクッキーに、カーマインが真っ先に手を伸ばし、一つかみして頬張る。

「うまい!!」

「あっ、カーマイン、ずるーい!!」

 きゃあきゃあと上がる声。明るい声。みんなの笑顔。

 レモンも笑っている。

 オリーブも、カーマインも笑っている。

 それはまぶしくて、少し、目がくらむような気がした。

 チャコールはしばらくその光景を見つめた後、背を向けてゆっくりそこを立ち去った。


「うーん、お菓子作りまでできるなんて、完璧すぎるよ、レモン」

 道を歩きながら、チャコールは少し笑う。そしてそっと、手元の包みを見る。

「どうしよっかな、これ……ま、自分で食べればいいか」

 ハチミツ、奮発したんだけどな。牛乳も。

 あのクッキーと比べたら、まるで、子どもが粘土をこねて作ったみたいに見えた。

「……渡さなくてよかった。よかったよ、うんうん」

 気を取り直して洞窟に向かう。

 行き先は、一層「萌葱の層」。セルリアンの工房だ。

 約束通り、三層で採れた鉱物を渡しに行くのだ。


 工房の扉をノックする。返事がないのはいつものことなので、気にせずそのまま扉を開ける。

「こんにちはー……あれっ」

 珍しく、セルリアンは机の前でこっくりこっくり眠っていた。後ろで束ねた髪が少しほつれ、一部頬に垂れている。

 チャコールはそっと近づき、寝顔を眺める。

 彼が十五歳だと伝えた時のレモンの驚いた顔を思い出し、クスッと笑う。

 たしかに、いつもは職人って感じで大人びて見えるけれど、こうして見ると、寝顔は少し幼い。

 身長も、チャコールより少し小さいのだ。

 ――と。

「……ん」

 セルリアンが目を覚ます。チャコールはパッと離れて、棚の方を見ているフリをした。

「ふあ……あ、チャコール、来てたんだ」

 セルリアンがそう言ったとたん、

 ぐきゅるるる。

 わりと大きな、お腹の鳴る音がした。

 セルリアンはちょっと顔を赤くして、チラリとチャコールを見た後、立ち上がって戸棚の方へ行く。

 チャコールも後ろからのぞく。

 ……戸棚には何もないようだ。

「……セル、食べるものないの?」

 尋ねると、「きのう見た時はまだあった気がしてたんだけどな……」とセルリアンは眠そうな声で言う。

「もう昼だけど……もしかして、朝ごはんも食べてないの?」

「ああ、うん。もう昼なんだ?」

 セルリアンのとぼけた返事に、チャコールはため息をつく。

 セルリアンは仕事に夢中になると、時間も食事も忘れて没頭していることがしばしば、本当にしばしばあるのだ。

「ごはんを忘れるなんて、信じられない。あたしなんて、いつもごはんのことばっかり考えてるのに……あっ」

 チャコールはふと気づいて、手に持っていた白い紙包を見る。

「あのー、セルリアン、一応、もしよかったらなんだけど、ここに、クッキーがあるんだけど。ちょっと失敗しちゃったんだけど」

「えっ」

 セルリアンはぱっとこちらを振り向く。

 なんだか「こどもの寮」の子どもみたいだ。チャコールは笑いをこらえながら、「まずかったら残していいよ」と言ってクッキーを渡した。


「おいしいよ」

 セルリアンはクッキーをあらかた食べた後、思い出したように言った。

「本当?」

「うん。ナッツが入っている」

「ああ、うん。ナッツ入れたんだ」

「あと、ハチミツの味がする」

「ハチミツも入れたから……」

 チャコールは思わず笑いだす。これではただ材料をしゃべっているだけだ。

「セルって、石のことは誰よりも詳しいのに、食レポはなんか、なんかおもしろい……」

 セルリアンは不思議そうな顔で、笑っているチャコールを見て、「でも本当においしいよ」と言ってまた食べはじめた。

 チャコールは天井を見上げる。青、緑、紫の蛍光石が、静かにゆらめいている。

 ――あたしはなにを気にしてたんだっけ。

 なんだかさっきまで、すごくつまらないことを気にしていたような気分になってくる。

「……レモンが三層でケガしちゃったんだ」

 話すつもりはなかったのだが、自然と口が開いた。

 セルリアンは「……ふうん」と相槌をうつ。

「あたし、知らなかった。人に頼りたくても、頼れない人もいるんだねえ」

 レモンの謝る姿が思い出される。

 痛々しいやけどの跡も。

 強がる姿も。

 やけどがなかったら、本当に平気なのかと思ってしまっていたかもしれない。

 こちらが手を差し伸べるのもためらわれるほど、彼女は自分でなんでもできるように見えていたし、そう振る舞っていた。

「……あたしには、なにができるかな」

 ふとつぶやく。

 なにかしてあげたいけれど、かえって迷惑をかけるのではないかと思ってしまう。

 また、怒らせてしまうかもしれない。

 ただ、隣にいたいだけなのに。

「……チャコールは、そのままでいいと思う」

 セルリアンの言葉に、チャコールは彼を見た。

 セルリアンは、まっすぐチャコールを見ていた。

「そのまま、もしチャコールがイヤじゃなければ、思っていることを、その人に話してみたらどうかな」

「……そっか」

 チャコールの心が少し暖かくなる。

「今度、四層に行くんだ。その時に話してみようかな」

 すべてが伝わらなくてもいい。

 から回ったとしてもいい。

 それでも、思いを伝えなければ始まらない。

 チャコールの中に前向きな気持ちが湧き上がってくる。

「四層……水縹みはなだの層か、その剣を拾った」

 セルリアンがつぶやくように言った。

「四層のスライムは、毒を持ってるらしいから……気をつけて」

「そうなんだ……わかった」

 チャコールはうなずいた。そしてふと思い出し、

「あ、セルリアン、これ、煙水晶。三層で見つけたの。あげるよ、こないだの指輪のお礼」

 そう言って、セルリアンに煙水晶を渡した。セルリアンは目を丸くして、

「え、いいよ。俺、お礼とか、いらないって言ったし」

と首を振るが、チャコールは「いいからいいから」と勝手に机の上に煙水晶を置いて、立ち上がった。

「あっ……それ」

 チャコールの胸元で揺れる翡翠の指輪を見て、セルリアンが少し驚いたような顔をする。

「レモンがペンダントにしてくれたんだ。なくさないようにって」

 チャコールはうれしそうに笑い、ふとセルリアンの顔色を伺う。「……勝手にごめん、イヤじゃなかった?」

「え、全然」

 セルリアンは、ふわっと笑顔になった。

「すごいなって思って。全然思いつかなかったな、ペンダントとか。……大事にしてもらえてて、うれしい」

「よかった」

 チャコールもホッとして、にっこり笑う。

「それに」セルリアンは少し言おうか迷うように目線をそらした後、チャコールを再び見た。

「すごく似合ってる」

「でしょー!」

 チャコールは今度こそ、満面の笑顔ではしゃいだ声を上げた。

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