二年後〜シロ〜

ぼくと、何かが変わった洞窟

 ――夢を見ていた。

 長く、幸せな夢を。

 そこは真っ白な空間だった。

 そこでは彼女が眠っていた。

 だれも、彼女を傷つけるものはいなかった。

 ぼくと、彼女しか、そこにはいなかった。


 ぼくは――

 ぼくは、ずっとそこにいたかった。

 だけど。

 このままでは、彼女は目覚めないと、わかっていた。

 それは、彼女が望んだことではないと、わかっていた。

 だから――

 ぼくは、扉を開けた。

 彼女にしばしの別れを告げて。


 彼女の名前は――

 思い出せない。


 ぼくの名前は――

 思い出せない。



            *

 


 目覚めると、そこは洞窟の前だった。

 彼女とよく来たあの洞窟。

 青脈洞。


 小さな泉を見つけ、そっとのぞきこむ。

 白い髪の、少年の姿が映った。

 簡素な亜麻色の服を着ている。

 これが、ぼくか。

 ぼくって、こんな姿だっけ?

 わからない。

 水に映る姿は、まるで知らない子どものようにも、少し懐かしい誰かに似ているようにも見えた。


「うーん……」

 ぼくは洞窟の入り口で立ち止まる。

「ここ……だよね……?」

 ここだよねもなにも、この島に洞窟はここしかない、はずだ。たぶん。

 青みを帯びた灰白色の岩に、草木が茂る。入り口近くには少しななめになった看板に、「←青脈洞」と書かれている。

 だから間違いないはずだ。

 なのに、なんだろう。

 おぼろげに記憶にある洞窟とは、なんだか雰囲気が違うような気がした。

 まあ――

 ぼくのその"記憶"が、いつのものなのかぼくにもわからないのだから、そういうこともあるのかもしれないな。

 ぼくはそっと足を踏み出した。


 湿ったコケ。ところどころに生えてるキノコ。

 少し開けたところには日が差しこみ、背の低い草花がところどころに茂る。小さな居酒屋や、商人の小屋がある。

 一層――「萌葱の層」。

 やはりまちがいない。ぼくの記憶にある洞窟――青脈洞の、浅層だ。

 けれど、やっぱりどこか、記憶とは違っていた。

 なんだか静かだ。もっとわいわいと、たくさんの人の気配があった。

 なんだか暗い気がする。もっと日差しも明るく、薄暗いところにはランプの明かりも多かったように思う。

 そして――

「なんだか、イヤなにおい……」

 ぼくは眉をひそめる。うまく言えないけれど、なんだか洞窟全体に、イヤな感じの空気が漂っているのだ。

 薄暗い通路をのぞきこむ。

 ――と、

 

 ぬらり。

 

 何か大きなものが動いた。

「よけろ!」

 誰かの声がして、ぼくの腕が強い力で後ろに引っ張られた。

 間一髪、暗がりから緑がかった半透明のジェル状の何かが飛び出した。

 ――苔スライム?

 ぼくは呆然とする。

 萌葱の層には、小さな苔色のスライムが時々出る。それは知っていた。

 弱く臆病で、たいした脅威ではない――はず、だった。

 けれど。ぼくが知る、そんな苔スライムより。

 目の前のそれはあまりにも、大きかった。

 ぼくの背丈をゆうに超え、たくさんの腕を、触手のようにこちらに伸ばしてくる。

 一層にはふさわしくない、まがまがしいオーラを放っている。

「――その金色こんじきの炎で焼き尽くせ、黄燐フォスフォラス

 ささやくような声が背後から聞こえ、ぼくは振り向いた。

 青い髪の少年が、そこに立っていた。

 ついさっきぼくの腕を引っ張ったのは、この少年のようだった。

 彼の手には何かが握られており――彼はそれをスライムに向かって投げつけた。

 黄色い粉が宙を舞い――空中で突如、発火した。パッと洞窟の中が照らされる。

「あっ……」

 ぼくは息をのんだ。

 鉱石の性質を利用した、特殊な魔法。

 この炎には、見覚えがある。

 以前、たしかに、どこかで――


 降りそそぐ火の粉にひるんだ巨大苔スライムは、あっという間に逃げていった。

「……大丈夫?」

 青髪の少年がぼくに問いかける。ぼくは、あわててうなずく。

「ここは危ないから。……一人?」

 ぼくはうなずく。青髪の少年は眉をひそめる。

「何も知らずに来たの?」

 とがめるような視線に、ぼくはちょっと戸惑う。

「え、と……前はこんなに危なくは、なかったと思ってたから……」

「前?」少年の視線がさらに疑い深い光を帯びる。

「前っていつ?ここはだいぶ前から、一部の探索者以外は立ち入り禁止のはずだけど。それに最近も魔物が村を襲ったばかりだし、島の人間なら知らないはずはないよね?あんた、どこから来たの?」

 矢継ぎ早に問い詰められ、ぼくは困ってしまう。特に最後の質問には。

「……わからない」ぼくは正直に答える。「覚えてないんだ」

「…………」

 彼はぼくを、すごい疑いの目でじっと見つめる。

 しかたなくぼくも、彼の紺色の瞳を見つめ返す。

「……まあ、迷子は島主のとこに送り届ければいいか……」

 長い沈黙の後、彼はそうつぶやいて、「こっち」とぼくにぶっきらぼうに声をかけ、先に立って歩き出した。

 ぼくは少し迷ったけれど、彼の後を追いかけた。

 ……なんだろう。

 無愛想な表情。ぶっきらぼうな口調。疑い深い目。

 なのになぜか、彼からは危険な香りを感じなかった。

 むしろどこか、懐かしいような……

 そんな感覚を、ぼくは無意識のうちに感じていた。


 これが、ぼくが目覚めて初めて言葉を交わした人間――セルリアン・ブルーとの出会いだった。

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