第1話 その2 挨拶:湯煙の向こうからの誘い
雄二から連絡が入った。
水谷社長との面会は三日後、十八時。場所は雄二の店と決まった。
龍生はその日までの間、「スーパー銭湯とは何か」を調べていた。
受ける気はまったくなかったが、業種としては自分のテリトリー外。
せめて知識として頭に入れておこう――そんな冷静な距離感だった。
◇◆◇
当日。
せっかちな龍生は、予定よりも早く雄二の店に到着した。
店内にはすでに水谷菜々子が来ていて、コーヒーを飲みながら静かに待っていた。
「お待たせしたようで、すみません」
龍生が声をかけると、菜々子は満面の笑みを浮かべて席を立った。
「こちらこそ、早く来すぎてしまって……失礼しました」
名刺を差し出そうとする菜々子に、龍生は微笑みながら手を軽く上げて制した。
「以前、頂いておりますから」
「あら、そうでしたか。失礼しました」
そこへ雄二が現れ、「すみません」とだけ言って、すぐに厨房へと姿を消した。
ウエイターが現れ、二人にお茶を運んできた。
◇◆◇
「先日、週刊文秋に『スーパー銭湯界のエバンジェリスト』という見出しで、二週連続で社長さんが掲載されていましたね。素晴らしいですね」
龍生が穏やかに切り出す。
「お恥ずかしいです。週刊文秋さんから頼まれたものでして……」
「ご商売ですから、宣伝の意味でも良いことだと思いますよ」
「そう仰っていただけると、ありがたいです」
菜々子は、間を置かずに本題へと入った。
◇◆◇
「今回のお話ですが、当社のメインバンクから川崎市内にあるスーパー銭湯の件で打診がありました。開業して三年しか経っていない店舗で、設備も新築同様。見に行ったところ、これは引き受けようと思ったんです」
菜々子は言葉を選ぶ間もなく、勢いよく話し続ける。
「ただ、恥ずかしい話ですが、うちの料理人は皆、素人に毛が生えた程度でして……雄二さんにお願いしたように、経験豊かなプロの調理師さんに厨房を任せたいと思い、無理を承知でお願いしているんです」
「そうでしたか」
龍生は静かに相槌を打つ。
「内々の話ですが、一般的なスーパー銭湯の建設費は施設面積が四〜五百坪で三億〜六億が相場です。でもその物件は借地で、建物だけの売買。一億円でと言われていて、私としては安い買い物だと思っているんです」
さらに菜々子は続ける。
「駐車場は二百台収容可能で、サウナ室、各種マッサージバス、全身ジェットシャワー、露天と内風呂の温泉浴槽、エステ、アカスリ、岩盤浴など、美容と健康の施設も充実しています」
「それは素晴らしいですね」
龍生は礼儀として言葉を返す。
「二階には百坪の宴会場があり、舞台付きの劇場もあります。でも私は宴会場や劇場は不要だと思っていて、漫画本を日本一の数置いて、休憩室にしようと考えています」
「そうですか」
「その並びには二階用の厨房があり、一・二階の厨房をつなぐダムウェーターも完備。家族風呂、畳敷きの個室が三部屋。レストランは椅子式と座敷が分かれていて……韓国アカスリも導入したいと思っているんです」
夢を語る菜々子の熱量に、龍生は少し距離を置いたまま、冷静に尋ねた。
「厨房は、どんな造りになっているんですか?」
「五十五坪の広さで、オープンキッチンです。同じ厨房内に和食、中華、洋食のセクションが分かれていて、甘味とドリンクのスペース、洗い場も壁で仕切られています。什器備品、設備もすべて最新式です」
龍生はその説明を聞きながら、内心で静かにため息をついた。
もともと乗り気ではなかったが、さらに気持ちは離れていく。
(ホテルじゃあるまいし、調理場をセクションごとに分けたら、人件費だけで天文学的な数字になる)
そう思いながら、龍生は菜々子の夢語りに耳を傾け続けていた。
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