スロータイム:花咲く美人三姉妹

@k-shirakawa

第1話 その1 打診:湯煙の向こうからの誘い

レストラン事業を譲った横沢龍生は、車旅を終え、静かな五反田の自宅に戻ってきた。この家は事業をしていた友人から頼まれて金を貸す際に担保として預かっていたが、返済不能になったため正式に譲渡された。


そして経営の喧騒は遠く、今は土をいじり、野菜を育てる日々に季節の風を感じていた。

それは、過去を整理するための時間だった。

だが、静けさは長くは続かない。

彼を再び『現場』へと引き戻される。


舞台はスーパー銭湯と放課後等デイサービス。そして、三つの花が咲く場所だった。そんなある日、雄二が訪ねてきた。


「社長、うちのお客様でスーパー銭湯や介護施設を運営している水谷菜々子社長って、覚えていらっしゃいますか?」

龍生は手を止め、少し考えてから頷いた。

「あぁ。水谷菜々子さんだよね。最近、週刊文秋で『スーパー銭湯界のエバンジェリスト』って見出しで、二週連続で特集されていたから印象に残ってるよ。それがどうしたの?」


雄二は少し言いづらそうに言葉を続けた。

「その社長が、川崎の倒産したスーパー銭湯を買うって話をしていて……その店の調理場の管理をお願いできないかって、僕に打診があったんです」

「このご時世に、チャレンジャーだね。で、断ったんだろ?」

「はい。社長から会社を引き継いだばかりですし、現場を離れるのは難しいとお伝えしたんですが……『そこを何とか』と食い下がられてしまって」

龍生は少し笑みを浮かべた。


「水谷さんの会社って、介護や放課後等デイサービスも手掛けていたよね?」

「そうです。三つ子で長女が専務、次女が常務で、そのご主人が営業部長。三女が介護部門の責任者をされています」

「同族会社に外部の人間が入るのは、なかなか骨が折れるよ。断って正解だったと思うね」

雄二は頷きながら、少し声を落とした。

「実は、そのスーパー銭湯の本店の店長が、他の店の店長たちと一緒にうちの店に来て、愚痴をこぼしているのを何度も聞いていて……それもあって、僕自身も乗り気じゃなかったんです」

「その店長って、総番頭じゃなかった? 確か、あの会社で唯一の生え抜きだったはずだけど」

「よく覚えていらっしゃいますね」

龍生は少し遠くを見るような目で言った。


「以前、雄二の紹介で名刺交換したことがあったよ。私もホテル時代、総料理長に頼まれて、同族経営のプチホテルのヘルプに行ったことがあるけど……あれは色々あったな。結局、別れた妻を店舗に出さないようにしたんだ」

「それで、あの当時、専務だった奥様が店に顔を出さなかったんですね」

「そう。いくら妻が、会社の専務でも、現場の男性スタッフが女性から意見を言われると、気分を害することもあるからね。だから、身内が関わる同族会社では、特に気を配らないと、他の社員が気持ちよく働けないんだよ」

雄二は静かに頷いた。


「経験が物を言うんですね」

「そういうことだね」


◇◆◇


数日後、再び雄二が龍生のもとを訪れた。

その表情には、前回よりも深い困惑が滲んでいた。

「社長、水谷社長に会っていただけませんか?」

龍生は少し眉をひそめた。


「まず、私のことを『社長』って呼ぶのはやめよう。今は雄二が社長なんだから」

「すみません。癖でつい……当分は直らないと思うので、勘弁してください」

「それで、なぜ私が会う必要があるの?」

「水谷社長が、僕がダメなら横沢社長に話してって、しつこくて……」

龍生は少し沈黙した後、静かに言った。


「同族企業は、正直、気が進まないよ」

「そこを何とかお願いできませんか? うちの店にとっては、大切なお客様なんです」

雄二の声には、切実さが滲んでいた。

龍生はしばらく考え、ゆっくりと頷いた。


「じゃあ……話だけでも聞いてみようか」

「本当に、ありがとうございます」


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