表裏のスパイラル
森本 晃次
第1話 プロローグ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年7月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。
同じ時期に、同じ県で脅迫状が舞い込んだ。
偶然なのかどうなのか? 同じ県ではあるが、管轄が違っている。しかも、片方は誘拐で、片方は殺人予告だという。
F県警は、そのことを重要視したが、報道関係に対してはかん口令を敷き、警察庁に対しては、しばらく伏せるということをしていた。
もちろん、それぞれの所轄は誰にも知られないようにしていたので、まさか、同じ県内で同じような脅迫事件が起こっているなど、想像もしていなかった。
今までに、このようなことが起こったということは、正直聞いたことがない。
もし、あったとしても、
「片方の事件が発覚し、その事件が迷宮入りをしそうになっている状況で、模倣犯として起こるということはあったかも知れない」
特に、昭和の時代であれば、類似藩があったような気がするが、今の時代のように、
「警察の科学捜査などが充実してくれば、なかなか旧態依然とした犯罪では、到底成功はおぼつかない」
ということである。
それこそ、
「今の時代ならでは」
という犯罪でなければ、成功するということもない。
それを思えば、
「犯罪というものも、多様化している」
といってもいいだろう。
時代を追って、事件もいろいろあった。
昭和の時代では、センセーショナルな事件であったり、ドラマで扱われるような事件として、
「銀行強盗」
と言われるような、
「押し込み」
と言った強盗事件なども結構あった。
複数犯による犯罪もあれば、かつての、
「三億円事件」
というような、
「犯罪史上奇跡」
といってもいいような事件もあった。
実際に、この事件の成功が、
「給料の授与をそれまでの、手渡しから、銀行振り込みに変えた」
ということでも、一種の、
「社会問題」
といってもいいだろう。
なんといっても、
「現金輸送車を狙う」
ということで、しかも、
「死人を一人も出さずに、強奪した」
ということで、
「完全犯罪」
と言われてもいる。
なんといっても、
「けが人も一人も出ささい」
ということ、さらには、
「強奪された三億円には、保険が掛かっている」
ということから、
「実害を受けた人はいない」
ということでもあった。
要するに、
「暴力を使わずに、計略だけで成し遂げたということで、完全犯罪」
と言われているのだ。
ただ、表で見えている分には、それで済むのかも知れないが、中には、
「へたに疑われたことで、自殺をしてしまった」
という人物がいたという話があったり、
「捜査員として駆り出され、それによる過労で死んだ」
と目される捜査員がいたという話もある。
そういう意味では、
「社会的影響があまりにも大きく、少なくとも、正義のヒーローに祀り上げるということは、違うのではないか?」
といえるだろう。
そういう意味では、
「犯罪というものは、すべての面において、想定外のところで、意図しない罪を犯すことにならないとも限らない」
ということになる。
そういう意味で、
「警察の捜査」
であったり、
「犯罪の検挙」
というものが、っどれほど重要か?
ということであろう。
ただ、警察の捜査というものも、行き過ぎてしまうと、
「冤罪」
というものを生んだりしないとも限らないだろう。
昭和の時代というと、どうしても、小説にもあるように、
「社会派ミステリー」
と呼ばれるものも多い。
「企業の贈収賄事件」
などによって、人の運命が翻弄されるということもある。
だから、
「社会派ミステリー」
と呼ばれる小説などでは、
「社会情勢」
というものだけではなく、人間のヒューマニズム的なところが影響することから、
「昭和時代は、ロマンがあった」
と言われるところなのかも知れない。
「犯罪にロマンもくそもあるものか」
と言われても仕方がないであろう。
「ただ、ミステリー小説や、刑事ドラマなどを見ていると、時代の流れによって、犯罪や、捜査体制、警察機構などというものと、その視点が変わっていっている」
といってもいいだろう。
戦前から戦後などというのは、
「社会の混乱」
という情勢の中、元々、海外から輸入される形になった、
「探偵小説」
というと、
「トリックや謎解きを中心としたストーリー展開で、主人公の探偵や刑事が、その謎を解いていく」
というオーソドックスなものだった。
当然、たくさん作品が発表されることで、そのトリックも次第に、出尽くされたことによって、
「限られたトリックを組み合わせる」
ということであったり、
「その背景にあるストーリー展開」
というもので、
「トリックのバリエーションを豊かにすることで、ストーリー展開に色をつける」
ということから、
「実際にトリックの分類も、研究されていく時代」
といってもいいだろう。
実際に、トリックには、
「パターン」
というものがあり、
「トリックにとって、解決方法に、公式のようなものがあって、その公式を今度は、ぶち破るようなストーリー展開を待ち望む」
という時代があった。
ただ、なかなか、そこまでの秀逸な作品が、そうたくさん生まれるわけもなく、時代は、
「戦後復興」
と呼ばれる時代から、
「もはや、戦後ではない」
ということでの、
「高度成長時代」
というものに変わってきた。
産業も、
「公共事業の活性化」
などというものから、都心部の充実はもちろん、
「地方の活性化」
というものも生まれ、
「談合」
であったり、
「贈収賄」
などというものが社会問題となっていたのである。
そういう意味で生まれてきたのが、
「社会派ミステリー」
と呼ばれるもので、
「社会情勢の変化」
というものが、犯罪に絡むことで、その中に渦巻く、人間の感情であったり、
「差別問題」
や、
「社会正義」
というものを追求することでの、警察組織の捜査などが注目を浴びるようになってきたのであった。
「経済成長」
というものにおいての、
「弊害」
と呼ばれるものが、実際に、いろいろな事件を引き起こしてきた。
例えば、
「談合」
であったり、
「贈収賄」
などにおける、
「会社ぐるみの犯罪」
というものが、警察の捜査などで明るみに出ようとすれば、まるで、
「トカゲの尻尾切り」
のように、
「誰か一人の社員に、その責任を押し付けて、会社は難を逃れる」
という事件も結構あったりした。
「自殺者が急激に増えた」
という時代があり、そういう人はたいてい、
「会社の裏を仕切っている」
という人などが、
「心労を苦に、自殺する」
という筋書きなのだろうが、会社としては、
「死んでくれてありがたい」
と思っているかも知れない。
「自ら死んでくれたのだから、口封じの必要もない」
として、会社側とすれば、喜んでいるのかも知れない。
それこそ、
「死人に口なし」
ということで、警察としても、
「せっかくの事件の糸口」
ということで、大切な証人が死んでしまったということは、
「実に困った」
といってもいいだろう。
警察などの捜査機関としては、実に困ったことではあったが、
「小説」
であったり、
「ドラマ」
としては、
「格好のテーマ」
ということであろう。
特に、この時代には、
「高度成長」
というものの弊害ということで、
「公害問題」
というものも大きかった。
企業側からすれば、
「わが社が、公害問題を引き起こした」
ということになれば、住民側からの賠償問題であったり、交渉が決裂したりすれば、
「訴訟問題」
ということになりかけない。
実際に訴訟になって、損害賠償などという問題になると、
「会社の存続」
というものが難しくなるだろう。
特に、
「零細企業」
などであれば、
「公害問題を引き起こした」
というだけで、信用ががた落ちとなり、それだけで、
「会社の倒産」
ということになりかねない。
実際に、当時の、
「高度成長時代」
というのは、実際に、
「公害問題」
というものを予知できたのか?
という問題もあるだろう。
そう、訴訟の問題として、大きなことは、
「公害問題の発生を予知できていたにも関わらず、会社が、その発生について、どこまでの責任があるか?」
という問題である。
予知できたとすれば、その賠償というのは、
「必然」
ということになり、
「会社は倒産」
さらに、関連会社も、
「連鎖倒産」
ということになるだろう。
へたをすれば、
「似たような商品を作っている会社」
というのも、
「誹謗中傷」
を受ける可能性があり、そういうウワサというのは、あっという間に広がるというもので、
「さらに大きな社会問題となる」
ということになるだろう。
それは、あくまでも、
「企業からみ」
ということだが、それが、
「人間ドラマ」
という形になれば、
「恰好の小説ネタ」
ということになるだろう。
それまでの、探偵小説というものの、本格的な、
「トリック」
であったり、
「謎解き」
というストーリー展開を所望していた人にとっては、
「物足りない」
と思うかも知れない。
しかし、実際に会社に勤めていたり、自営業を営んでいる人たちからすれば、
「身近な話」
ということで、興味を持つ人は少なくないだろう。
そういう意味で、
「大人の小説」
という意味で、
「一世を風靡した」
といってもいいだろう。
探偵小説というものが流行った時代。ただ、戦争というものを途中で挟んでいるので、その間の、
「絶版時期」
などというものがあったこともあり、実際には、
「探偵小説」
というものが、流行ったのは、
「2、30年」
と言ったところであろうか。
さらに、高度成長期からの、
「社会派ミステリー」
というものが流行ったというのも、ちょうど、同じくらいといってもいい、
「2、30年」
くらいといってもいいかも知れない。
時代的には、
「東京オリンピック前夜くらいから、バブル崩壊」
と言われるくらいまでの時代が、その時代に当てはまるのではないだろうか?
ただ、社会派ミステリーと呼ばれた時代だけではなく、バブル経済の時代あたりから、
「少し違ったミステリー」
というのが生まれた時代といってもいいだろう。
実際には、
「黎明期」
ということで、
「昭和の終わりくらいからあったミステリーだ」
といってもいいかも知れない、
そのジャンルとしては、
「一人の小説家のパターンが確立された時代」
といってもいいかも知れない。
例えば、
「このジャンルの小説といえば、この作家だ」
ということであったり、
「この作家の作品は、主人公が同じ探偵によるもの」
というような、
「一種のシリーズ」
といってもいい作風であった。
例えば、ジャンルとしては、
「トラベルミステリー」
などというもので、
「時刻表などをトリックに使ったもの」
という内容で、しかも、
「ご当地のことをストーリーに織り交ぜる」
ということで、
「ドラマ化をすれば、宣伝にもなる」
ということから、実際に、
「ドラマ化しやすい」
といってもいいだろう。
当時の、
「町おこし」
などと言われていた、
「地方創生」
というものを考えると、
「二時間サスペンス」
という番組の原作としては、ちょうどよかったかも知れない。
そういう意味では、
「探偵が同じ」
であったりすることで、シリーズ化できるということで、
「二時間サスペンス」
としては、
「題材に子回らない」
ということから、重宝されたといってもいいだろう。
しかも、探偵というものが、
「他の職業が本職で、探偵は趣味のようなもの」
というようなストーリー展開が、結構ウケるようで、
「ルポライター探偵」
であったり、
「医者が探偵」
などと言った、
「変わり種探偵」
というのが、ウケる時期だったのである。
「社会派ミステリー」
と時代は重なっているが、こちらも、
「2,30年周期だった」
といえるのかも知れない。
それが、昭和の終盤くらいからということで、やはり、
「2,30年が経った」
ということで、世紀末前後くらいから、また少し違ってくるようになった。
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