第6話 婚約者、襲来

アイオニアが剣と魔法の特訓を開始していくばかの時が過ぎた。

剣の腕ではだまだお兄様にかなわない。それに最近の兄ときたら、加減というものを忘れたのかアイオニアに対してものすごくスパルタな教育なのだ。


彼女が6歳になろうかという頃、侯爵家に第二王子ライオネルが母親である王妃と共に訪問するという知らせが届いた。これは、両家の子供たちの顔合わせを兼ねた、正式な婚約に向けた布石となるお茶会だ。


(来たわね、未来の婚約者。まだ子供だけど、傲慢でわがままな性格はきっと変わらない。)


16歳の記憶を持つアイオニアは、幼いライオネルの顔を思い浮かべる。未来では聖女に魅了されてアイオニアを断罪した彼だが、この時期はまだただのわがままな少年だ。確か8歳くらいの年齢だったか。


アイオニアは特訓を一時中断し、お茶会に臨む。目立つ行動は破滅ルートへのフラグとなる。彼女の目標は王子との接点を極力減らすこと。そのために彼の興味をひかず、興味を持たないことを貫くのだ。


お茶会は侯爵家の豪華な応接室で開かれた。


ライオネルは、まだ幼いながらも豪華な衣装を身にまとい、その態度はすでに傲慢さが滲み出ていた。美しい金髪に、翡翠色の瞳。大人しくしていれば、まるで可憐な少女のようだ。

彼はアイオニアを一瞥すると、すぐにプイと顔を背けた。


「ふん。なんだ、この娘は。つまらない。ラディウス侯爵令嬢が、こんなにちんちくりんなお子様だとは思わなかったぞ」


ライオネルはアイオニアを無視し、大人の会話に割り込もうとする。


(思った通り。ちやほやされることに慣れた、ただのわがままな子供。)


アイオニアはティーカップを小さな両手で持ち、優雅に紅茶を飲む。その視線は、一切ライオネルへ向けられることはなかった。


王子のわがままな態度はさらに続く。


「私はラディウス侯爵令嬢との婚約に興味はない。聞いたところ、剣を振るう乱暴者だというじゃないか。そのような者が私の婚約者にふさわしいはずがない。もっと優秀で、美しく、おしとやかな別の令嬢を探すんだ。まあ顔は及第点だからな、愛人にしてやらんこともない」


ライオネルの失礼な物言いに一瞬場が凍り付き、この場の者たちの視線がアイオニアへと向く。アイオニアの兄であるディオンとエリスも同席していたが、侯爵夫妻に睨まれて口を閉ざすしかなかった。


そのとき、アイオニアは静かにティーカップをソーサーに戻し、初めて口を開いた。


「あら、わたくしも異論ないですわ。ライオネル様にはもっとふさわしいご令嬢がおります」


その声は、驚くほど冷静で淡々としていた。


ライオネルは、てっきりアイオニアが泣き出すか、怒って抗議すると予想していた。だが、期待していた感情的な反応は一切ない。彼は拍子抜けし、戸惑いの表情を浮かべる。


「な、なんだ、さっきからその態度は!私と婚約できることを、もっと喜ぶべきではないのか!」


第二王子である自分に、まさかこんな反応をするヤツがいるなんて。


アイオニアは、一瞬だけライオネルに目を向けた。その瞳は、まるで道端の石ころを見るように、何の感情も宿していなかった。


「喜ぶべき?」


彼女は小さく首を傾げた。


「わたくしは今、剣と魔法の鍛錬で忙しいのです。ライオネル殿下がわたくしの婚約者であろうとなかろうと、わたくしの目標には何の影響もございませんわ」


彼女の言葉は、彼の傲慢なプライドを真正面から一掃した。アイオニアにとって、王子の地位や未来の婚約者という立場など、「剣聖」という目標の前では些細なことだ。


「なっ……」


ライオネルは言葉を失った。これほどまでに自分に無関心な令嬢は初めてだった。彼のわがままは、常に周囲の大人や子供たちの反応を引き出し、注目を集めてきた。だが、この目の前の少女は、自分を視界にすら入れていない。


結局、ライオネルはアイオニアから何の反応も引き出せないまま、不機嫌そうに王妃の元へ戻った。


(ふぅ。これで一旦は興味を失ったでしょう。これで、しばらくは接触のフラグを折れたはず。)


アイオニアは胸を撫で下ろすと、すぐに頭の中で今日の稽古の反省を始めた。彼女にとっては未来の婚約者よりも、身体強化魔法の新たな応用を試すことのほうが、よほど重要だった。

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