第2話「街に降り立つ」

視界が揺らぎ、瞼の裏の黒が色を帯びた。


次に見えたのは、低い空と、切り立った城壁だった。

――いや、これは壁ではない。切石を積み上げた、古代からの都市防壁?


目地は粗いが、角度は絶妙に保たれ、千年は崩れまい。モルタルに混ぜられた石灰の白さから、乾燥した気候を想像する。


鼻をくすぐるのはあまり嗅いだことの無い香辛料と干し魚の匂い。耳に入るのは荷車の軋む音、遠くの鐘。


木造二階建ての商家が軒を連ね、

屋根瓦は一枚ごとに手焼きだ。


梁はオーク材、乾燥不足でわずかに反っている。だが、金属釘ではなく木組みで留めているため、揺れにも強い造りだ。


通りの端には小さな市場。

籠に積まれた果実は葉先が垂れ、栄養不足か水不足。中には見慣れぬ紫色の豆もある。


店先には、素朴な黒パンの山。札には「100G」と記されていた。

G――この世界の通貨単位らしい。百Gでパン一つか…


通りを横切った毛皮マントの男が持っていたのは、干された薬草の束――甘い香りはリナロール、鎮静作用があるはずだ。


耳に入った言葉が、脳内で自然に意味へと変換される。

古代西方語系。音素は少なく、文法は膠着型。

学んだ覚えはない――なのに理解できる。


見慣れない動物も、普通に歩いている。


これはいったい、どういうことだ?

何が起きている?


……ここは地球ではない。

少なくとも、現代の都市景観ではない。


冷静さをなんとか保ちつつ、これまでの脳内の情報を一気に探り、一つの情報に行き当たった。


それは以前、研究室で学生たちが話していた会話だ。



-「このアニメみたいに、異世界に転生したらどうする?」

- -「そりゃ、現代知識フル稼働で、魔法もガンガン使って、無双だろ!」


異世界転生なんてバカバカしいと思える。

しかし聞こえてくる喧騒が、

見たことのない建物や動物が、

嗅いだことのない匂いが、


その行き着いた答えが正しいと突きつけてくる。


そのとき、肩がぶつかった。

毛皮マントの男が振り返り、冷たい目で吐き捨てる。


「おい、気をつけろ、異郷人」


その声には、言葉以上の意味が混じっていた。

軽蔑、距離感、そして排除の予感。


一瞬、胸の奥にざらついた感覚が広がる。だがすぐに押し殺す。


感情に呑まれる暇はない。

生き残るには、この場所の“構造”を知らなければならない。

街並み、流通の形、人々の距離感、そしてこの世界の法則。


観察と分析。それが唯一の武器だ。

それ以外に、選択肢はない。

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