虚晶の賢者――異世界魔法を科学する
九条朔(くじょう・さく)
第一章【魔法なき者】
第1話プロローグ「声を持たない相棒」
窓際の棚に、小さな鉢植えが並んでいる。
モンステラ、パキラ、ガジュマル。
どれも艶やかな葉を揺らし、静かに光を吸っている。
朝の光が差し込むと、葉脈の一本一本がくっきりと浮かび上がった。
遠くには数人のグループの学生たちが、楽しそうにしているのが見える。
湯気の立つマグを片手に、俺はひとつの鉢を持ち上げた。
指先で土の湿り気を確かめる。いい具合だ。
「……お前らは、余計なことを言わないからいい」
そう呟いてから、自分で少し笑った。
机の上には昨夜書きかけた数式のメモが散乱している。
その表題には
「位相空間とエネルギー転送:情報駆動エネルギーモデル」
と走り書きされていた。
俺が数年かけて組み上げた理論だ。
――だが、この理論を正面から評価する者は、今の世界にはいない。
先週、学会で発表した。
壇上から見下ろすと、会場のあちこちで苦笑が浮かび、机を小突く音が響いた。
終わった後、廊下ですれ違った同僚が小声で言った。
「またやってるよ、あの変人」
涼しい顔を装いながら、その言葉を背中で受け流す。
頭の中では、「理解できる頭がない連中だ」と切り捨てた。
……それが、俺の防御だった。
人に期待しなければ、失望することもない。
植物の方がよほど誠実だ。
水と光を与えれば、黙って成長してくれる。
朝のニュースをBGMに、白衣に袖を通す。
今日も研究室に籠もり、机の上で数式を転がすだけだろう。
この理論が本当に正しいかどうか
――それを試す場は、この世界には存在しない...
いや、自分にはできないだろう。
極みに至ることもできず、俗世にまみれることもできない。
思考が悪い方へ転がっている。
今日は仕事をやめて、師匠の道場で心を整えたほうがよさそうだ。
着古した袴に手を当て、そのざらついた感触を確かめると、少しだけ心が落ち着いた。
ふと窓の外を見ると、朝日がビルの谷間を抜けて、植物たちの葉先を照らしていた。
俺はまた指先で一枚の葉を撫でる。
その成長の速さを正確に説明する式があるのなら、俺は必ず見つけられる。
……そう、ずっと思ってきた。
だが、その確信が少し揺らいでいる。
ほんの一瞬、胸の奥に「このままでいいのか」という感覚が走った。
その瞬間、視界が白く塗り潰された。
耳鳴りが鼓膜を叩き、足元の感覚が消える。
手にしていた鉢が滑り落ち、床に当たる音は――もう聞こえなかった。
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