第25話 英雄の証明

リオンの覚悟と決意


 絶望的な静寂の中、禍風鵺は巨大な翼を広げ、洞窟の岩盤すら吹き飛ばすほどの風の魔力を全身に集中させ始めた。その竜巻のようなオーラは、ノアたちを完全に飲み込もうと迫る。


 満身創痍のリオンは、倒れたノアと、顔を覆い絶望するアイリスの間に立ち塞がった。


「このままじゃ、本当に終わりにゃ!」


 リオンの心臓は、怒りと恐怖、そして何よりも絶望に屈することへの嫌悪感で激しく脈打っていた。アイリスの行動がノアを窮地に陥れたのは事実だ。だが、今はその是非を問う時ではない。


 リオンは、アイリスの横顔に、かつて見たことのない深い絶望と自己嫌悪が刻まれているのを見た。ノアも、アイリスも、どちらも失うわけにはいかない。


 リオンは大きく息を吸い込み、喉の奥から虎型獣人としての本能を解き放つ咆哮を上げた。


「にゃあが、二人を守るにゃ!」


 リオンは爪を岩肌に深く突き立てて体勢を固定すると、ノアとアイリスを庇いながら、鵺の注意を引くため突撃する。虎のような強靭な四肢が洞窟の床を蹴り、残像を残すほどの速さで鵺へと肉薄した。



 ◇



アイリスの絶望と決心


 リオンの突撃に対し、禍風鵺は低く唸り声を上げると、竜巻の核に集束されていた魔力を一気に放出した。


 「大嵐の獣王咆哮(ストーム・ビースト・ロア)!」


 巨大な竜巻が洞窟の空間を捻じ曲げ、リオンめがけて殺到する。リオンは体術と驚異的な素早さで竜巻の直撃を避け続けるが、周囲の岩石や風の刃の余波を受け、その強靭な皮膚が深く裂かれる。


「ぎにゃあああ!」


 リオンは悲鳴を上げた。全身の骨が軋み、意識が途切れそうになる。だが、彼女は決して後退しなかった。彼女の存在が、鵺の意識をわずかでもノアとアイリスから逸らし、時間を稼いでいる。


「……馬鹿よ、あたしは!」


 リオンが血を吐きながらも立ち向かう姿を見て、アイリスの顔から絶望の涙が溢れ出した。彼女はノアの力を封印した瞬間、ノアとリアムを重ね合わせ、「悪魔化の阻止」という大義名分を得た。しかし、その結果、目の前のリオンという大切な仲間を死地に追い込んだのだ。


 私は、二度と誰かを失いたくなかった。


 リアムを救えなかった自分から、目を背けるために、ノアの力を否定した。


 ノアの力は、闇に染まりきったリアムの力ではない。ノアの力は、リアムの悲劇の際に失われた、純粋な風の精霊の光そのものだ。


 アイリスは震える手で地面を叩きつけた。


「あたしが恐れていたのは、ノアの力じゃない……過去の自分よ!」


 彼女は顔を上げ、賢者としての使命、そして街の未来、何よりも目の前の仲間たちを守るという決意を固めた。このまま滅びるくらいなら、トラウマを乗り越えて、ノアの力に賭ける。


「ノア、あんたに全部賭けるよ。あたしたちの、すべて! ……本当、勝手でごめんね」



 ◇



 ノアの意識は、アイリスの術式によって封じられた剣の内部に閉じ込められていた。目の前には、緑色の光の粒子となって浮かぶ風の精霊の姿がある。


 精霊は、ノアの意識を揺さぶるように焦燥した声でノアに語りかけた。


『アイリスは、まだこわがってるよ』


 ノアは、精霊の言葉と、朦朧とした意識の向こうで聞こえるリオンの苦痛の叫び、そしてアイリスの悲痛な叫びを理解した。彼は、暴走した力ではなく、コントロールできない自分自身を恐れていたのだ。


(力が危険なんじゃない。それを使いこなせない僕が、危険なんだ)


 ノアは精霊に強く訴える。


「僕に、力をくれ。制御を教えてくれ! もう、大切な人を失いたくないんだ!」


『うん。ノアなら、大丈夫! 行こう! 力ぜんぶわたすね! 風とともに来て!』


 精霊の光が、ノアの意識と一体となる。ノアは、暴走を恐れるのではなく、力を制御して使いこなす覚悟を決めた。



 ◇



魔法剣士の誕生


 鵺の竜巻がリオンを吹き飛ばし、ノアたちに直撃しようとした瞬間。


「目覚めて、ノア!」


 アイリスは、ノアの体を支え、封印していた術式を自らの手で解除する。


 バキン!


 アイリスの封印術式は内側から弾け飛び、ノアの体から制御された緑色の風の魔力が、嵐のように噴き出した。


 アイリスは、竜巻の中心を指差して叫ぶ。


「ノア!  鵺の防御は、内側からの風の干渉によってしか破れない!  最も強大な波動を、一点集中で放って!」


 ノアは、トラウマを乗り越え自分を信じてくれたアイリスの覚悟に応えた。アイリスは風のエンチャントポーションをノアの剣に満たす。


「わかった。……いくよ、精霊! 僕の魔力を目覚めさせて!」


 精霊の力が剣の先端に極限まで収束されていく。それは、属性を超越した「覚悟の風」そのものだった。


「行くよっ。魔法剣(ウィザーズ・ソード)、全魔力開放。 真空刃(ウィンドブレード)!」


 収束された精霊の力は、ノアの剣から魔法剣として放たれた。強い風切り音と鵺の纏う風が交錯する。


「切り裂けにゃっ!」


「届いて、お願い!」


 真空の刃は、鵺の周囲を覆う合成された風のオーラを文字通り内部から打ち破り、その中心核を……。


「行っけええええええええっ!」


 真っ二つに切り裂いた。


 ガァァァアアアアッッ!!


 禍風鵺は断末魔の叫びと共に、まるで砂のように崩れ落ち、消滅した。


 【階層クリア:第5層】


 ノアの腕の深度計が勝利を告げる。三人は力を出し尽くしてその場に倒れ込んだ。



 ◇



アイリスの謝罪


「勝てて……良かった。ありがとう、アイリス」


 ノアの言葉は、アイリスの胸に深く突き刺さった。彼女は、まだ封印したことへの罪悪感から、ノアの顔を見ることができない。


「ごめんなさい。ノア。あたしが……あなたを信じていれば……」


 アイリスは目に大粒の涙を浮かべていた。


「ううん。僕は、信じてもらえて嬉しかったです。アイリスさんが魔法剣……嫌いなの分かってたから。実際、初めて撃ちましたから……」


 ノアは、仰向けのまま笑顔した。魔法都市と勘違いしてアムリタの街を訪れたノアにとって魔法剣はずっと憧れていたものだ。


「……そうね。今回だけ限定での解禁よ。それより……リオン……は! リオンっ!」


 アイリスはなんとか立ち上がると残る傷薬を手にしてリオンのもとへ駆ける。


「へへ……危なかったにゃ。でも、間に合ってよかったにゃ」


 リオンは、満面の笑みを浮かべたが、その体は傷だらけだった。アイリスは、リオンの無事を確認すると、堰を切ったように涙が溢れ出した。


「リオン……ごめんなさい……ごめんなさい……! あたしのせいで……」


 アイリスは震える声で謝罪を繰り返しながら、必死に応急処置をはじめる。だが治療のためのリソースは底をついていた。


「にゃはは。いいにゃ、アイリス。……でも、さすがにここで帰りたいにゃ。温泉入りたいにゃ」


 リオンの温かい言葉に、アイリスは嗚咽を漏らした。三人の間には、危機を乗り越えた強い信頼の糸が、同時に残った。


「……そうね。帰りましょう」


 アイリスは最後の力を振り絞るようにダンジョンに訴える。


「あたしたちは……帰るわ! 答えて、ダンジョン! そろそろ帰り道、出してもいいでしょ!」


 すると、願いが通じたかのようにダンジョンのクリアエリアに下り階段ではなく帰還用の金色の扉が現れた。


 ノア、アイリス、リオンは、満身創痍のまま、第5層を後にしてダンジョンから帰還した。

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