第23話 5層の冒険
第5層への決意
石畳の冷たさが、意識を失っていたノアの頬に伝わる。
「う、ん……」
呻き声と共に目を開けたノアは、自分がアイリスとリオンの二人に抱きつかれて卒倒したことを思い出し、頬が熱くなるのを感じた。
ゴーレムは完全に砕け散っている。
「ノア! 起きたにゃ!」
リオンはノアが起き上がったことに無邪気に喜び、ノアの腕にすり寄ってきた。
一方、アイリスはすぐにノアから距離を取り、背を向けていた。彼女はいつもの冷静な「賢者」の顔に戻ろうとしているが、首筋まで赤く染まった頬と、微かに震える指先が、感情を露呈してしまったことへの動揺を物語っていた。
ノアは、「精霊の声」と剣が発した「膨大な力」について疑問を抱くが、アイリスの態度を見て、それを口にすることをためらった。
アイリスは羊皮紙のチェックリストを広げる。
「リソースは予定通り。回復薬、デバフ薬の残数は、深層へ進めるレベルよ。ただ、覚悟が必要よ。前に話したとおり、この先は完全に未知の領域だから」
第5層への階段から立ち上る「鉛のように重い気配」に三人とも身構える。ここからは管制塔の監視が届かない「未知の領域」であり、帰還か続行かの判断を迫られる。
「行けるよ、アイリスさん。この力を使えば、もっと深層へ行ける」
ノアは剣を握り締め、強く主張した。リオンも「もっと強い獲物」を求め、迷いなく続行を主張する。
アイリスは安全性を優先し、帰還を提案しようとも考えたが、ノアの強い決意と彼に隠された力を知り、守りたいという感情が勝る。
「……わかったわ。ただし危険を感じたらすぐに撤退するわよ」
アイリスは、ノアへの信頼と自分の感情を優先した。
そして三人が階段を下ると、ノアの腕の深度計が、
[ 深度 第5層 ]
を示す。
三人は、外界との繋がりが完全に絶たれた未知の領域、第5層へと踏み込んだ。
◇
第5層に足を踏み入れた瞬間、ノアたちは息を呑んだ。
これまでの石造りの通路は消失し、眼前に広がったのは、霧がかった地下渓谷を思わせる広大なフィールドだった。深い谷が走り、遥か遠くまで巨大な岩壁が続いている。
「ここがダンジョンの中だなんて信じられない……。まるで、どこかの大陸の秘境みたいだ」
ノアは呟いた。空気は重く、肌を突き刺すようなエーテル濃度が全身を覆っている。
アイリスが携帯するエーテル計測器の針が、異常な数値を指して激しく震えている。
「エーテル濃度が4層の比じゃないわ。この階層は、広大で迷いやすく、魔物の強化も異常だと想定して。これまでの経験は通用しないと心得て」
アイリスの声は冷静だが、その目に宿る緊張は隠せない。リオンは深い谷底から立ち上る、重く、強い魔物の気配に本能的な戦慄を感じていた。
「にゃ……。この階層、凄いにゃ。今までと全然違うにゃ」
「違いすぎるよ。まるで別の空間に飛ばされたみたいだもん。……どうしよう、これじゃ帰還方法も分かりそうにない」
「クリアするしか……ないのかな。どこかにフロアボスがいるはずだ」
アイリスの不安そうな言葉をノアが引き継いだ。
◇
猿と鳥の連係
ノアたちは渓谷の縁を慎重に進み始めた。
霧がかった岩壁の上部から、リオンが素早い動きの魔物の気配を察知する。
飛猿(フライング・エイプ) 魔物ランク:D
猿の特性を持ち、岩壁や木々を高速で移動する俊敏な魔物。石を投擲して獲物を攪乱するのを得意とする。鵺の指揮下では、上空の魔物と連携した立体攻撃を仕掛けてくる。
石鷲(ストーン・イーグル) 魔物ランク:D+
鷲の特性を持つ、巨大な翼と岩石のように硬い爪を持つ魔物。渓谷の上空を旋回し、広範囲を監視する。急降下攻撃は強力だが、体力は高くない。
飛猿は、ノアたちを狙って岩塊を連続して投擲する。ノアが剣でそれを弾きながら、上空に目をやった瞬間、石鷲が急降下してきた。
「上空からの急襲よ! ノア、猿はリオンに任せて、突進してくる鷲を叩き落として!」
アイリスの指示が飛ぶ。ノアは急いで剣に風のエンチャントを施し、鷲を迎え撃つ。
「風の剣閃!」
ノアの剣が鷲の硬い爪を弾いた隙に、リオンが岩壁を高速で駆け上がり、飛猿に肉薄する。しかし、飛猿はリオンの接近を察知すると、岩壁の窪みに隠れた。
ノアが鷲と格闘している間、飛猿はリオンの死角から岩塊を投げ続け、リオンの動きを鈍らせる。ノアは上空の鷲と、岩塊による攪乱という上下からの連係攻撃に、完全に翻弄されていた。
石鷲の鋭い爪の一撃が、ノアの肩をかすめる。
「ぐっ!」
ノアは痛みに顔を歪ませ、致命傷は避けたものの、動きが一瞬止まる。その隙に、鷲は再び高度を上げ、飛猿は岩塊を投擲し、連携を再構築する。
「ノア、一旦回復!戦闘を中断よ!リオン、煙幕を張るわ!」
アイリスは、ノアに即座に回復薬を投げ渡し、同時に煙幕薬を足元に投げつけた。薬液が爆発し、瞬時に濃い煙がノアたちを包み込む。
視界を遮られた飛猿は岩壁にしがみつき、鷲は着地できず岩壁に翼を引っかけて動けないでいる。
「リオン! あなただけは、煙に惑わされないはずよ! 嗅覚を活かして!」
アイリスの指示に、リオンは深く息を吸い込む。獣人特有の鋭い嗅覚が、煙幕の匂いを切り裂き、魔物特有の臭気を正確に捉えた。
「獅子は、猿にも鳥にも負けないにゃっ!」
リオンは咆哮と共に、煙幕の中、岩壁にしがみつき動けないでいる飛猿と、翼を広げた石鷲めがけて猛烈な加速で飛び出す。リオンの爪は両魔物の急所を一瞬で捉え、二匹は悲鳴を上げて渓谷の底へと叩き落とされる。
しかし、渓谷の底へ落ちた二匹は、ダメージを負いつつも、すぐさま体勢を立て直し、ノアたちめがけて再び突進してきた。
「しぶとい!ノア、回復は!?」
「大丈夫。アイリスさん、リオン。地上で迎え撃とう。カウンターなら、もう逃げられない!」
ノアは肩の痛みに耐えながら、剣を低く構える。リオンはノアの横に並び、二人の武器に風のエンチャントが最大に施される。二匹の魔物が突進してきた瞬間、ノアとリオンは声を合わせた。
「交差法・十字の反撃(クロス・カウンター)!」
ノアの剣とリオンの爪が、突進の勢いをわずかに受け流すように低く構えられ、同時にX字を描くように交差して放たれた。風の魔力を纏った剣と爪が、二匹の魔物の急所を同時に貫く。カウンターの一閃は、再生を始めた魔物の装甲の隙間に正確に突き刺さり、二匹を同時に撃破した。
なんとか初戦を突破したノアたちだったが、広大なフィールドでの連係攻撃に対応するため、ノアたちはすでに中程度の体力と魔力を消耗した。ノアの肩の傷が、その苦戦の証となっていた。
◇
蛇と虎の複合
ノアたちは、荒い息をつきながら渓谷の底へと進んだ。濃くなった霧がノアたちを覆う。
「霧が濃いわね。視界が悪いから気をつけないと。リオン、警戒してくれる?」
リオンが耳をピクリと動かす。
「もちろんしてるにゃ。……気持ち悪い匂いが近くに潜んでいるにゃ」
リオンの警告直後、岩陰から巨大な鎌状の牙を持つ魔物がノアの足元に飛びかかった。
毒鎌蛇(ポイズン・カマヘビ) 魔物ランク:C
鵺の蛇の要素を持つ、巨大な鎌状の牙と強靭な体を持つ蛇型魔物。高エーテル濃度の影響により、その牙には強力な麻痺毒を帯びており、不意打ちで獲物を仕留める。
ノアは剣で受け止めるが、毒鎌蛇はノアの剣を巻き付け、その牙から滴る濃緑色の液体が剣を伝い、ノアの腕をかすめる。
「くっ……体が、痺れる!」
ノアの動きが一瞬鈍った隙を見計らい、もう一体の魔物が突進してきた。
斑点虎(スポッテッド・タイガー) 魔物ランク:C+
鵺の虎の要素を持つ、4層の魔物よりも一回り大きく強化された虎型魔物。その攻撃力と耐久力は、強化型ゴーレムに匹敵する。毒鎌蛇と連携し、動きが鈍った獲物を仕留める。
毒による弱体化(デバフ)と、純粋な破壊力を持つ虎の複合連係だった。
「ノアから離れろにゃあああっ!」
リオンが咆哮し、斑点虎の猛攻を受け止める。獅子と虎の激突、虎の爪とリオンの爪が激しく衝突し、火花を散らす。
「ノア、解毒薬よ! リオン、お願い、少しでも時間を稼いで!」
アイリスは焦りながらも、すぐに解毒薬を取り出してノアに投与する。
「にゃああああっ、こいつ強えにゃっ!」
ノアの痺れがわずかに引いた瞬間、斑点虎の爪がリオンの防御を破り、その鋭い爪がリオンの脇腹を深く抉ろうとした。
「リオン!」
絶体絶命の危機。
極限まで追い詰められたノアに再び声が聞こえる。
『そばにいるよ。一緒に助けよう』
(風の精霊?)
ノアの剣に纏う光が、薬液の作用を超えた濃密な緑色に変化した。それはまるで、小さな竜巻が剣の切っ先で生まれたかのような光景だった。
その膨大な力に共鳴し、斑点虎の動きが、ほんの一瞬だけ、微かに止まる。
ノアは、竜巻の力で剣に巻き付く毒鎌蛇の体勢を崩し、その牙の動きを封じる。そして、リオンは虎の動きが止まった一瞬の隙を見逃さず、剣と爪に最後の力を込めて、再び同時に叫んだ。
「風の獅子剣閃!」
ノアの剣が毒鎌蛇の頭部を貫き、リオンの爪が斑点虎の心臓を抉る。渾身の連携攻撃が蛇と虎の急所を同時に貫き、撃破した。
◇
迫りくる危機
ノアたちは、荒い息をつきながら、互いの無事を確認した。リオンは脇腹を押さえ、ノアは痺れが残る腕と肩の傷を気にしている。周囲には、打ち倒した四体の魔物から放出された大量のエーテルが濃く残留していた。
アイリスは、震える手で薬液の残量を確認しながら、青ざめた表情で呟いた。
「ノア、リオン、すぐに休んで。この戦いで、リソースは限界よ」
アイリスの言葉が終わる前に、ノアとリオンが同時に顔を上げた。
「……何か、来る!」
「にゃ、恐ろしいのが、急速に迫ってるにゃ!」
渓谷の奥、一際濃い霧と圧倒的な魔力の渦を感じる方向から、鉛を溶かしたような、重く邪悪な魔力の奔流が、彼らのいる場所目掛けて猛烈な速度で押し寄せてきていた。
「この強大なエーテル反応、間違いなくこの階層の主よ! あたしたちが休む間もなく、奴を呼び寄せてしまった!」
アイリスはすぐに立ち上がる。
「逃げるわ! 走って!」
三人は、疲労困憊の体に鞭を打ち、渓谷の岩壁を背に、逃げ場のない第5層の奥へと意識的に踏み込まざるを得なくなった。彼らの休息は、一瞬にして絶たれた。
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