第28話『カッパって可愛いのね』

第28話『カッパって可愛いのね』


 午前が終わろうとしている頃──それは突然だった。

 信吾たちの部屋のインターフォンが鳴った。

 モニターに映ったのは、ひどく肩を落としている赤荻さんと、どこか明るい雰囲気をまとった上品なマダムだった。


「あっ、久方さんが言ってたおばあさんじゃない?」

 美沙が画面をのぞき込みながら言う。

「うん、そうだね。……でも、赤荻さん、なんか元気ない感じじゃない?」

 信吾は首をかしげながら、ドアを開けに立ち上がった。


 扉を開けると、赤荻さんが気まずそうに頭をかいた。

「あぁ、山之内……ちょっといいか?」

 声のトーンはいつになく沈んでいた。


 その後ろから、柔らかくも芯のある声が響く。

「あなた達が信吾くんと美沙ちゃんね。主人と、かなえがお世話になってます。翡翠って言います。よろしくね」

 そう言って微笑む女性──赤荻翡翠は、赤荻泰司の妻であり、守護者全体を統括する責任者。

 その品のある立ち姿だけで、場の空気がすっと引き締まるようだった。


「ありがとうございます。こちらこそ赤荻さん達にはお世話になりっぱなしで。こないだもカッピーの為にカートとかプールを作ってもらって、本当に助かってるんです」

 信吾が丁寧に言うと、翡翠さんはにこやかに頷いた。

「へぇ……カートにプールねぇ。仕事もしないのに、そっちではよく働くのね」

 その視線が赤荻さんに向くと、赤荻さんは小さく咳払いして視線を逸らした。


「……うん?」

 信吾はまだ状況が掴めず、ぽかんとしていたが、美沙がすぐに察して口を開いた。

「まぁ立ち話もなんですし、中にどうぞ。カッピーも中にいますよ」

「そうね。せっかくだし、お邪魔させてもらうわ」

 翡翠さんは微笑み、しかしその背筋はまっすぐ伸びていた。

 その一方で、まるで部屋の空気まで整ってしまうようだった。



---


 四人がリビングに入ると、カッピー用の部屋でぬるま湯の桶の中でうたた寝していたカッピーが、まぶたをぱちりと開けた。

 見慣れない来客に興味を示し、桶の縁から顔を出す。

 翡翠さんとカッピーの目が合った。


「まぁ……カッパって、可愛いのね」

 翡翠さんは小さく息を漏らすように言った。

 それは恐れや驚きではなく、まるで小さな命を優しく見つめる祖母のような眼差しだった。


 信吾もつられて笑う。

「そうなんですね。この前、散歩に行った時なんか、赤荻さんに作ってもらったカートの中で飛び跳ねて……」

 言いかけた瞬間、翡翠さんの目が細くなる。

 信吾は「あっ」と口をつぐんだ。

 その横で赤荻さんが顔をしかめ、視線をテーブルの木目に落とす。


 やさしい時間が流れていた中、それを破るように、信吾の不用意な一言が空気を少しだけ固くした。

(あー……まずい……地雷踏んでしまった)

 信吾は心の中で苦笑しながら、内心で額を押さえた。


 しばらくの沈黙のあと、翡翠さんが口を開いた。

「今日はあなた達にお願いがあって来たの」

 その声には穏やかさと重みがあった。

「知ってるとは思うけど、私たちは“真竜”を見守る守護者としての立場があるの」


※真竜=ドラゴンのこと。守護者の中ではドラゴンは守り神であり、真竜と呼ばれている。


 信吾と美沙は姿勢を正し、真剣な表情で聞き入った。


「でも、それにはいろいろ関わってくれてる仲間たちがいるの。最近は便利になって、インターネットで映像をつないで報告をするんだけど……隣の人はそこに出なかったり、他の作業をしてたりしてね」

 翡翠さんがそう言って赤荻さんをちらりと見やる。

 赤荻さんは無言で頭をかき、どこか子どものように気まずい顔をしていた。


「あぁ、それで……私たちに注意してほしいってことですか?」

 美沙が穏やかに尋ねる。

「そうね。でも、この人の場合は注意みたいな生ぬるいことじゃ、どうせ聞かないから少しの間、会わせないようにしてほしくてね。反省するまで」

 翡翠さんの声はやわらかかったが、有無を言わせぬ迫力があった。


 赤荻さんは何か言い返そうと口を開きかけたが、翡翠さんの視線を受けて「……いや」と小さくつぶやき、肩をすくめて口を閉じた。


 その時、カッピーがとことこ歩いて赤荻さんの足元に寄っていった。

 赤荻さんがしゃがむと、カッピーは彼の膝を軽く叩き、まるで「元気出して」と言うように「クゥ」と鳴いた。


「……けっこう仲良いんですよ、赤荻さんとカッピーって」

 信吾が言うと、翡翠さんは少し驚いたように目を瞬かせ、それから優しく笑った。

「私たちもあまり迷惑はかけないようにしますので、会わせないのはちょっと可哀想かなって思います」

 美沙が続けると、翡翠さんは顎に手を当てて少し考えた。

「そうです。赤荻さん、カッピーにとっておじいちゃんみたいな感じで。カッピーも安心してるんです。だから考え直して欲しいです。」

 信吾が言うと、翡翠さんはゆっくり頷いた。


「……いいわ。会わせないっていうのは撤回する」

「ほんとですか!?」

 二人が同時に声を上げると、赤荻さんの口角がほんの少し上がった。


「主人は結婚が早くてね。それにうちの娘も結婚が早かったから。六十過ぎなのに孫がもう大学生でしょ。だからカッピーが“小さい孫”って感じなのかもね」

 翡翠さんの言葉に、信吾は笑顔で言った。

「良かったですね、赤荻さん。これでカッピーと今まで通り会えますね」

 赤荻さんは照れくさそうに頬をかきながら「まぁな」とだけ答えた。


 だが、翡翠さんがすかさずピシッと声を出す。

「でも、守護者としての仕事はしっかりしてね。次はないから」

 その眼差しに、赤荻さんは背筋を伸ばして「はい……」とだけ返した。


 それを見て、信吾が小声で美沙にささやく。

「やっぱり……守護者のボスって感じだね」

 二人の小さな笑い声が、部屋の中に戻ってきた穏やかな空気に溶けた。


 ──こうして、赤荻さんの平穏は(かろうじて)保たれたのだった。



---


 次の日。

 再び、部屋のインターフォンが鳴った。

 そこには昨日と同じ赤荻さんの姿があった。


「おぅ、山之内」

 玄関を開けると、彼は少し誇らしげな顔で言った。

「カッピー用の……水陸両用ボート、作ったぞ」


 信吾は呆れたように額を押さえながら、心の中でつぶやく。

(……これは、近いうちにまた翡翠さんが来るなぁ)


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