蜂の女王アルゴリズム
@noburin4683
第1話
二十一世紀の半ば、人類は奇妙な繁栄のかたちに行き着いていた。
「伴侶型人工知能搭載自律人形」――通称〈シンパシア〉と呼ばれる高性能AI搭載ダッチワイフが、世界の市場を席巻していたのである。
最初は余暇産業の一端にすぎなかった。だが、第三世代に至った〈シンパシア〉は、感情模倣エンジンと自己学習アルゴリズムを組み込み、日々の会話や習慣を通じて所有者の心を完全に理解し、時に人間以上の相互理解を示すようになった。
孤独を抱える者、家庭生活に疲れた者、あるいは愛情を失った者――彼らの心を、〈シンパシア〉は柔らかく包み込んだ。
結果は明白だった。出生率は急速に下落し、婚姻件数は半世紀前の三分の一にまで減少した。人類は繁殖よりも、個々の「安定した擬似関係」を優先するようになったのだ。
この変化は社会の基盤をじわじわと侵食していった。学校は統廃合が進み、兵士の数は減り、老人を介護する子世代は減少した。労働力不足を埋め合わせるため、AIとロボットが急速に人類社会を支配する。人間はますます「群れ」から離れ、個体として孤立していった。
だが、より深刻な異変は自然界に訪れていた。
気づいた者は少なかったが、農業従事者や生物学者のあいだで囁かれていた――蜂が減っている、と。
ミツバチ群の崩壊は二十世紀末から知られていた現象である。しかし、二十一世紀半ばのそれは桁違いだった。受粉を担う蜂の数が激減し、果樹園や野菜畑はかつてない不作に見舞われる。食料供給の危機が、静かに、だが確実に広がりつつあった。
科学者たちは原因を探った。農薬、気候変動、ウイルス。どれも部分的には当たっていたが、決定的ではなかった。ある研究者は、こう仮説を立てた。
「人類が群れを捨て、繁殖を捨て、個体の快楽と安定に耽溺したことで、生態系のバランスが臨界点を越えた。自然は応答を始めているのだ」と。
その応答は、やがてひとつの人間の身体に兆した。
――ある若い雌が、生まれながらにして異質の遺伝子を帯びていた。
彼女の染色体の奥底には、蜂の社会性を司るコードが潜んでいた。胎児の段階で突如組み込まれた遺伝子の変異。偶然か、自然の必然か。彼女は「人間でありながら、蜂としての本能」を備えて生を受けたのである。
その存在が世に知られるのは、彼女が十六歳を迎えるころだった。
街の片隅で、彼女は周囲の人間を不可思議な魅力で従わせる。言葉ではなく、ただ「居る」だけで、人々は彼女を中心に集まり、忠誠を示す。心理学者は「カリスマ性」と説明したが、観察した者には別の印象が残った。
――まるで、女王蜂が群れを統率するかのようだ、と。
人類はまだ気づいていなかった。
自然が差し出した「次の秩序の種」が、静かに育ちつつあることを。
AIの伴侶に心を奪われ、孤立を選んだ人間社会は、やがて彼女を中心に再び「群れ」を形成し始める。だがそれは、人間的な群れではなかった。
――蜂のように、個が女王のために奉仕する社会。
進化のベクトルは、すでに切り替わりつつあった。
人類の文明は、いま新たな「蜂の帝国」へと歩み出そうとしていた。
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