第3話 囮に寄る鳥
クロウはそっと囁いた。
「僕の知っているところへいきませんか」
「ええ」
クロウは、心の中でニヤッとほくそ笑んだ。タクシーを呼び馴染みの店に行く。最近は実入りの少ないチンケな仕事だと何年もやっていないが…..。久々にあの店に行こう。会員制のバー。あそこならゆっくり仕込める。結婚詐欺は得意だ。
「まあこんな高級な場所….。不動産開発って、随分儲かるんですね」
クロウは少し照れて笑い、間を置いてから応えた。
「いやいや僕じゃなくて。……お客様がお金持ちなんですよ。だから、こんな店にも来ることがあるんです」
「……ふふ。じゃあ、私も“お金持ちのお客様”ってことかしら?」
クロウは、真顔になり、声を低めて顰めた。
「いいえ。……あなたは特別です」
冴子は一瞬驚き顔をあげた。クロウはわざと息を詰めて、目を逸らしてから声を落とした。
「……いや。あなたは違う。あなたを見てると、僕は——」
少し笑って言い淀む。
「——初めて恋に落ちたみたいに感じるんです」
水野は驚いたように、でもすぐにクスッと笑う。
「そんな台詞、慣れてるんでしょう?」
クロウは、苦笑しながら応えた。
「ええ慣れてますよ。……でも、今夜だけは本気かもしれません」
「随分お上手ですね。まるで…..」
「まるで? 」
冴子は少し恥ずかしそうに応えた。
「いいえ、私、昔、憧れていた方がいて…..。その方なら、そんなセリフ言いそうだなって」
「恋人ですか?」
「いいえ単なる憧れ。口も聞いたことがない方です」
「そうですか。彼が羨ましい。そんなふうにあなたの記憶に残る男性なんて。少し焼けますね」
潤む冴子の目を見つめ返し、確信した。
よし、彼女は落ちた….。
「外に行きましょう」
都会の摩天楼を見上げながら歩く。
夜風は気持ちよく、クロウはさりげなく彼女の肩に手を回した。拒否はされていないようだ。
「まだ、帰りたくないな」
潤んだ瞳を引き寄せ、じっと見つめる。
しかし冴子はフッと身体を捩り、かわすように微笑んだ。
「帰ります」
肩透かしを食らい、一瞬驚いたクロウ。だが平静を装い低く囁く。
「残念だ。また……お会いできますか?」
「だって、私、あなたに仕事をお願いしてるから」
「いいえ仕事ではなく、もっとあなたを知りたい」
「そんな……まだ、出会ったばかりなのに」
「時間はたくさんあります。お待ちしています」
クロウは最後に切り替えるように微笑んだ。
「じゃあ、今日はご自宅までお送りしますね」
「いいえ大丈夫。それより、新堂さんの件をよろしくお願いします。我が社の命運がかかっていますから」
「もちろんです」
彼女をタクシーに乗せ、運賃をそっと渡す。
残されたクロウは、夜風を受けながら思った。
——養女になったと言っていたが……彼女の“本当の”親は、いったい誰なのか。
◇
「腕が落ちたか……」
笑い声とともに、暗闇からダヴが現れた。
「いや……」クロウは吐き捨てるように言った。
「もう、こっちに仕事が落ちてくるだろう」
「さあな。なかなかあの女は強かそうだぞ」
「だな……。面白いタイプだ」
ダヴの目がニヤリと光る。
「おっ。元結婚詐欺師が惚れたのか?」
「まさか、茶化すなよ。腕は落ちてない」
クロウは声を低めた。
「……水野冴子。実の両親と父親の関係を調べられるか。俺も動く」
「いや、もう調査済みだ」
ダヴは淡々と告げ、ポケットから資料を取り出す。
「彼女の実の父親は渡伸也、母は八重子。手形詐欺にやられて、事業を閉じた後は田舎に引きこもっている」
「……幾らやられた?」
「十年前に三億だ」
クロウの顔色が、かすかに揺れる。
「その後、娘は資産家・水野忠雄の養女に出された」
「……っ」
「まあ、その後すぐに三億が、その親父の口座に振り込まれてる。……体のいい身売りだな」
「えっ……⁉」クロウの喉が鳴った。
ダヴはクスクスと笑いながら、資料を押し付けた。
「お前にも、身に覚えがあるんじゃないのか?」
……一瞬、胸がざわついた。
ページをめくった視界に、あの会社の名が飛び込む。渡商店。十年前。あの時、金融の取引で空の手形を掴ませた。真面目そうな父親。
そして、母の隣に立っていた少女。
学生服の襟。潤んだ目。
……まさか、あれが。
「因縁だな、クロウ」
ダヴの声が、耳の奥に刺さる。
「親子そろってお前に嵌められるなんざ、なかなかオツな話だ」
息が詰まる。罪悪感? いや、違う。
だが、妙な熱が喉を焼いた。
俺が壊した家族の娘が、今──目の前にいる。
「罪悪感か?」
ダヴはまた嗤った。
「だが彼女はもう成功者だ。今や立派な社長様じゃねえか」
「……ふん」
クロウは資料を車に叩きつける。
「罪悪感なんかじゃねえ。俺の獲物だ」
声が低く落ち、目が鋭く光った。
「レイヴンなんぞに、横取りされてたまるか」
◇
資料を改めて見直すと──確かに、渡の会社には身に覚えがあった。ネジか何かを作っていた、下町の製造業。近所の食堂で偶然を装い、彼に近づいた。
人の良さそうないい親父さんだった。
俺には関係ない世界の人間。なのに……若い俺を信じ、よく飯をご馳走してくれた。
資料には、その後の転居先は「愛知県」とある。
なぜ、あんないい人が大事な一人娘を……。心中するより養女に出すことを選んだのか。結局、警察沙汰にもされなかった。——あの時も、あの親父さんは騙された後でさえ、俺を信じていた……。
……そうだ。あの直後に、サーペントに声をかけられたんだ。
イラつく。なんで今さら昔のことを……。
集中しろ。レイヴンに先を越されてたまるか。
◇
翌日午後。水野冴子から電話が入った。
「あの、昨日はお誘いしたはずが、ごちそうしていただいて……ところで、例の件はわかりましたか?」
「ええ、大体は調べがつきました。あの新堂という人間の素性も検討がついています。もしよろしければ、今夜お時間ありますか?」
「それが……。今夜はちょっと予定が埋まっていて」
「そうですか。では明後日ならお時間はありますか? 急ぎで伝えたいことがあるので」
「わかりました。では明後日の5時に。こないだのラウンジで」
電話を切ったクロウの胸がざわついた。
まさか今夜、彼女が会うのは……レイヴンか?
いや、そんなはずはない。
——彼女は、俺の言葉を信じるはずだ。
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