第2話 世界を教える資格

 授業が終わった後の教室は、

 信じられないほど静かだった。


 黒板に刻まれた金色の文字が、

 まだわずかに光を放っている。


【授業法 第1条:教えとは、命に形を与える行為である】


 神々は誰ひとりとして動かない。

 それは、沈黙ではなく“考える”という行為の始まりだった。


 リオはチョークを置き、

 ゆっくりと息を吐いた。


 粉がふわりと舞い、

 光に溶けて消えていく。


「……教師よ。」


 沈黙を破ったのは、青い衣をまとった神だった。

 黄金の筆を手にしたまま、リオを見つめている。


「あなたは、世界を教える資格があるとでも言うのか?」


 リオは黒板を見つめたまま、ゆっくりと答える。


「資格なんてものは、持って生まれるものじゃない。

 授業を続ける中で、自分で証明するものだと思ってます。」


「証明?」


「そう。

 誰かが生きる理由を見つける——その瞬間に、教師の資格は生まれる。」


 神の額に、初めて“皺”が生まれた。

 それは“考える”という行為の痕跡。


 永遠に完璧であった存在が、

 わずかに揺らぎ始めている。


 別の神が声を上げた。

 銀色の瞳、冷たい表情。


「だが我らは死なぬ。命の終わりなど存在しない。

 あなたの授業は、前提から破綻している。」


 リオはその言葉に微笑んだ。


「死なない? 本当にそう思うんですか。」


「当然だ。我らは永遠。始まりも終わりもない。」


「それなら——学ぶ理由もない。」


 神が言葉を詰まらせる。


「“学ぶ”というのは、“変わる”ということです。

 終わりがないなら、変化もない。

 変化がないなら、成長もない。

 それを“永遠”と呼ぶのは、死と同じです。」


 教室の空気が震えた。

 天井の光がわずかに揺らぎ、

 神々の輪郭が歪む。


 リオの声が、静かに響く。


「だから俺は教えるんです。

 ——“変わること”を、あなたたちに。」


 一人の神が立ち上がり、机を叩いた。

 怒りとも恐れともつかない声が響く。


「人間ごときが、我らに生の定義を説くのか!」


 リオはその目をまっすぐ見返した。


「人間だからこそ、ですよ。」


 黒板にチョークを走らせる。

 粉が舞い、光が走る。


【理解とは、恐れを超える力である】


「俺たちは怖がりです。

 終わりも、失敗も、死も全部怖い。

 でも、それを受け入れられるから“学ぶ”。

 恐れのない存在には、理解は生まれません。」


 教室の奥で、

 ひとりの神が膝をついた。


「……理解……それが、我らに欠けていた……?」


 リオは頷く。


「あなたたちは世界を創れる。

 でも、“誰かの痛み”を理解することはできなかった。

 だから世界は歪んだ。

 創造と破壊の区別がつかなくなった。」


 神々が黙り込む。

 誰も反論しない。

 それは、彼らが初めて“敗北”を知った瞬間だった。


 リオはチョークを黒板に再び当てる。

 今度は、迷いがなかった。


【授業法 第2条:理解なき創造は、傲慢である】


 金色の線が広がり、教室の壁を満たす。

 光がゆっくりと外へ滲み出していく。


 神々の胸の奥にも、

 同じ光が宿っていた。


 青衣の神が静かに口を開いた。


「……我らが“学ぶ”とは、こういうことか。」


「ええ。

 あなたたちが“知らない”ことを受け入れる。

 それが授業の始まりです。」


 神が微笑む。

 その表情は、ほんの少しだけ人間に似ていた。


 リオは黒板の前に立ち、

 光の余韻が消えるのを見届けた。


 粉を払う指先が、わずかに震えている。

 自分でも気づかないほどの緊張。


 ——この世界に、“教師”という職業が存在しなかったのだ。


 リオは小さく息を吸い、

 言葉を噛みしめるように呟いた。


「これが……世界を教えるということか。」


 教室の外から、風が吹き込んだ。

 黒板の粉が舞い上がり、

 金色の残光がひと筋の光となって消えていく。


 それはまるで、

 世界が“授業”を記憶しているかのようだった。

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