エナジードリンク
奥野みつき
1
小学校の教室で、いつも先生に褒められるのは佳代子だった。算数と国語。この二つのテストで一人だけ満点をとったこともある。
「テスト返しますよー」
皆は絶望の叫び声を上げる。でも佳代子は余裕綽々の顔。
「鉤松さん」
「はい!」
名前を呼ばれた佳代子は自信満々に返事をした。
「すごいわ! またあなただけ全部満点!」
ええーすごい! などと皆から言われる。羨望の眼差しで見られて佳代子はくすぐったいような気持ちがした。そしてやっぱり私ってすごいのだと思った。私は皆より上なのだ。上ずった気持ちで、胸が高鳴った。
佳代子は体育館で行われる全校集会が大好きだった。冗長な校長先生の話もおとなしく聞いていた。
「では、児童の表彰に移ります」
やっと来た。佳代子ははやる気持ちを抑える。
「エナジードリンク市読書感想文コンクール入賞一年B組鉤松佳代子さん」
「はい!」
佳代子は大きな声で返事をして全校生徒に注目されながら立ち上がった。嬉しくて心臓がドクドクと跳ねる。背筋をピンと伸ばして壇上に上がり賞状を受け取った。
「またあの子だ! すごいね」
「頭いいねー」
「あの子合唱会の伴奏もやってたの私見た!」
「ピアノも弾けるんだ!」
「でも、ヘンな名前だよな! カヨコって何の食べ物だよ」
「知らねー。グミ、お前は知ってる?」
「知らないよ、紅ショウガ。でも、そういうところがエナ小一番の優等生って感じする!」
佳代子はそんな噂話をされて、またくすぐったい気持ちがした。もっともっと褒められたい。
佳代子はすっかり優等生気取りでクラス委員になった。クラス委員とは六年生がやる代表委員みたいなものだ。一学期は面倒くさそうに見えたからやらなかったけど、二学期に、クラス委員は羨望の眼差しで見られるかっこいいものだと気づいた。佳代子はもっと皆に認められたかった。だからクラス委員をやることにした。自分より劣る同級生の前に立って偉そうにクラスを仕切るのは楽しかった。先生にも褒められるし確固たる優等生という立場を手に入れられた。
家に帰ってからも佳代子は褒められる。今日こんなことを私はやったの、とその日の学校での自分の成果を誇張して語る。母親は笑顔で、うん、うんそうなんだ、佳代子はすごいね、とひたすら優しい笑顔で相槌を打った。父親も、自慢の娘だ、と穏やかな顔でしきりに言った。佳代子は漲る自信でいっぱいだった。気分は高揚した。もっと自慢したい。語るスピードはどんどん速くなり、誇張は度を越え無邪気な大きい黒目は熱を帯びた。それでも両親は嬉しそうに話を聞いていた。六歳でまだ保育園児の妹はもう寝ている時間だった。
佳代子は鍵っ子だった。妹は保育園に居て母親と一緒に帰ってくる。学校から一人で帰るとマンションのエレベーターに乗り五階の五〇四号室のドアを開ける。そのたびに佳代子の心は、冷たい波がさぁっと引いていくような孤独感に包まれる。逃げるように中に入りソファーに座ってテレビを見る。両親が午後六時に帰ってくるまで佳代子はお気に入りのアニメをこっそり見ていた。それでいくらか心は安らいだ。勉強は後でいいや、と思った。
ある日佳代子は下校中に、知らない女子児童たちのこんな会話を聞いた。
「今日ベーコンの家行っていい?」
「いいよー。ハムって今日は親いないの?」
「そう。家に一人でいるのって暇じゃん」
ハム。佳代子は知ったばかりのハムのことを羨ましく思ってしまった。そして、自分も目の前で並んで歩く彼女たちの輪に混ぜてもらいたいと思った。頭の芯が冷えるような、不安と期待と緊張が入り混じる感覚がした。心臓がドクドクする。
「ねえ。私も混ぜて」
佳代子の声はベーコンとハムには届かなかった。もう一度、
「ねえ」
と、言う。彼女たちはまだ前を向いておしゃべりをしている。今度はもっと近づいて大きな声で、
「ねえ! ちょっと聞いてよ!」
と、二人のランドセルをバンっと叩きながら言った。
ベーコンは少し驚いた顔でぱっと体ごと振り返り、
「え、誰?」
と、言った。ハムは一拍遅れて首をちょっと回し、顔だけ佳代子に向けた。
「今日ベーコンさんの家に一緒に行きたい」
ベーコンは目をちょっと大きく開いた。前髪に長い睫毛が触れる。彼女は少し沈黙した後、
「うーん、でも私んち友達連れてきていいの一人までなんだよね」
と、困り顔で言った。ハムは佳代子を冷たい目で見たまま黙っている。
佳代子はベーコンとハムの反応に傷ついた。そして佳代子よりハムを優先するベーコンを非難したくなった。佳代子は兎に角誰かに午後六時まで一緒にいてほしかった。この瞬間はその気持ちに突き動かされていた。佳代子だって、家に一人でいるのは嫌なのだ。いつもさみしい思いを我慢してきたから今日くらいは。そう思って佳代子は、
「でも私だって、一緒に遊びたいんだけどっ」
と、精一杯訴えた。
「でも先にハムと約束しちゃった」
「わた、わたしも」
けろっとしたベーコンの発言の理不尽さに、佳代子の心は不安で揺れた。
「あなた、一年の鉤松だよね。いつも表彰されてた。ごめんね鉤松今日は一緒に遊べない」
ベーコンはさらに追い打ちをかける。佳代子の中で何かが吹っ切れた。
佳代子は右腕を思い切り伸ばして、ベーコンの腰まで伸びる長いポニーテールを掴み、
「何よ、なんで私だけ仲間はずれにするの! もう絶交だから!」
と、叫んだ。勢い余ってベーコンの髪を一束強く引っ張っていた。ベーコンは鋭い悲鳴を上げて、
「何するの、やめてえっ!」
と、言い佳代子を突き飛ばした。そして怒りに満ちた顔でこう言った。
「ひどい! あんたなんかと誰が遊ぶっての! そもそも絶交って、いつ友達になったの! あんたに友達なんてぜーったいできないから!」
アスファルトに強く尻もちをついた佳代子は呆然とした顔でベーコンを見上げた。心底敵意を持ったその顔を見て佳代子の両目から涙がこぼれた。ベーコンとハムはさっさと前に歩き始めていた。ハムがベーコンに、
「六年が一年をあんな突き飛ばして、大丈夫なのかな?」
と、心配そうに尋ねた。
「は? あのガキはそれくらいやられるべきだもん」
ベーコンは苛立った声で答えた。逆光で、佳代子よりずっと背の高い二人が黒で染まった。
鉤松佳代子は友達が欲しかった。
でもこうやって友達作りに失敗し続けて、佳代子はその気持ちを心の奥にぐっとしまい込んだ。もう傷つくのはごめんだ。
佳代子は周囲と心を通わせることを諦めた。それは周囲に問題があるからだと思った。代わりに、佳代子は唯一無二の優等生として、周囲に認められることを強く願うのだった。自分にはこれしかないと思うようになった。
学校にはエナジードリンクの自販機が五台置いてある。エナ小の児童は百円でそのエナジードリンクを買う。そのエナジードリンクは、エナジードリンク市に本社がある某有名企業と市が連携して製作しているものだ。市の一体感を高めるため、市立の学校を含め市の至る所で売られている。そして、小さな子供が飲んでも満足できる味で児童の健康に悪影響がないように作られているといわれていた。
皆は笑顔でうまそうにそれを飲む。しかし、佳代子はエナジードリンクが好きではなかった。美味しいと感じる以前に何味なのかわからない。味がしないような気がするのだ。ドロッとしていて日光に当たるとただの青色が蛍光色の青色になる。そして飲んだ後、浅い高揚感が湧いてきてしまい物事を深く考えられなくなる。両手が震えるしトイレに行きたくなる。そんなエナジードリンクが佳代子は苦手だった。身体に悪影響はないとうたっているが、佳代子には理科の実験で使われそうな危ない薬品にしか思えなかった。
このエナジードリンクはただ飲むだけでなく、こんなことにも使われる。
例えば、先週の金曜日にマーガリンという名前の女子とチューインガムという名前の男子が教室で話していた。
「ガムくん、今日のリレー二回も走ってくれたよね。はいこれあげる」
「ありがとう、マーガリンちゃん」
マーガリンはチューインガムにエナジードリンクを一本渡した。マーガリンが自分の席に戻るとき、二人ともちょっと照れていた。佳代子はその光景を見て下らないな、と思った。エナジードリンクを渡すことで渡した相手に労いの気持ちを表せるのだ。また、男女間の距離を縮める役割もある。二人は、不意にエナジードリンクを渡すことのもう一方の意味合いを思い出してしまったのだ。
あるいは二日前、佳代子はたまたまこんな光景を見た。
エナ小の野球チームが転校生を新たなメンバーとして迎えた。転校生は知らない生徒ばかりでドギマギしながらも一生懸命走り込みやボール拾いをしていた。太陽がギラギラと野球チームの児童を照らし、皆頭が痛そうだった。
「コーチ、今日はもう練習終わりにしたいです」
「そうだな……」
よし、終わり! 全員集合ー、とコーチは叫ぶ。皆が走って一斉に集まる。転校生も頑張って皆についていった。
コーチが土曜日の試合の予定について説明しているとき転校生の頭はふらつき、その赤ら顔は苦しそうだった。
「最後に、転校生のポテチ!」
転校生はとっさにコーチが自分の名前を呼んだとは気づかなかった。一拍遅れて、ぼ、僕ですか? と自分を指さしながら言った。
「そうだ。じゃあ皆プレゼントの準備。せーの!」
ポテチ君、これどうぞー! そう言って野球チームのメンバー二十四人が一斉に、それぞれ一本ずつ持っていたエナジードリンクを転校生に渡した。
転校生は嬉しさで胸がいっぱいのようだった。そして、
「ありがとうございます!」
と、元気な声で言った。
エナジードリンクを渡すことで渡した相手に、仲間として受け入れる意向を示せる。
佳代子はこういう出来事を見るたびに、自分もエナジードリンクを渡されたい、と思った。エナジードリンクは飲みたくないが、学校で優等生であることと同じくらいにエナジードリンクを渡されることは佳代子の願いとなっていった。
二つの願いを、佳代子は誰にも言わなかった。両親にも言わなかった。両親にそうしてもらったところで意味がないと思ったからだ。
佳代子には一歳年下の妹がいる。名前は
佳代子が小学二年生になると同時に妹は小学一年生になった。佳代子は去年と同じく優等生として学校で過ごしていた。エナジードリンクはまだ誰にも貰えていなかった。自分は皆が簡単になれるわけではない一番の優等生だと自分に言い聞かせることによってできた殻が、佳代子の自尊心を守っていた。
ある木曜日の午後七時、佳代子は違和感に気付いた。そのとき、いつも通り母に今日の成果を語っていて、父はまだ帰ってきていなかった。
「私ね、今日、算数の時間にプリント一番に解き終わっちゃったの。それも満点。もうすごく簡単すぎたんだけど、皆は難しい難しいって言ってた。それでね、どうしても教えてって言うもんだから、しょうがなく教えてあげたの。私すごいよねえ」
「うん。すごい!」
話を誇張していた。一番に解き終わったのは本当だが、計算ミスがあって数問はバツだった。それに誰にも教えを請われていないし教えてもいない。佳代子が皆にそう言ってほしかったというだけだ。
後ろめたさを洗い流すように、佳代子は勢いよくしゃべる。
「あとね、見て! この前の漢字テストと算数のテスト私だけ満点だったの」
ぱっとテストを開いてみせる。どうだ、と言わんばかりの顔をした。
反応がない。そう気づいた瞬間、佳代子の笑顔が固まった。徐に視線を動かす。母が妹のほうを向いている。妹は佳代子と同じように自分のテストを見せていた。
「あら、最初のテストから満点なんてすごいじゃないの早世!」
母は妹の算数、国語のテストが満点だったのを見て、手を叩いて誉めていた。妹はくすぐったそうにはにかんでいた。
佳代子の心臓はドクドクし始めた。さっきまでの自慢気な表情は抜け落ちて真顔になっている。
「ママ。私だって最初のテストから満点だったよね」
佳代子は母に詰め寄る。
「そうだったわね」
母は笑顔で頷く。
「私のときより早世のほうがいっぱい褒められているような気がする」
「そんなことないわよ」
もー、佳代子はお姉さんなんだからそんなムキにならないで、と母は優しく諭した。しかし、佳代子の内側からは黒々とした気持ちがこんこんと湧き出続けていた。
「あんたが私より頭いいわけない」
早世にそう言い捨てると、佳代子はさっさとリビングを出て自分の部屋に向かった。勉強するのだ。佳代子は本気だった。妹に勝たせるつもりはない。
早世は急に出て行った姉のことが理解できず、
「私、怒らせちゃった?」
と、母に困り顔で尋ねた。
また、妹が小学校に入ってからすぐに佳代子は不思議なことに気付いた。
佳代子は母に、早世と一緒に帰ってあげなさい、と言われた。しかし一緒に帰ったことがない。妹が入学してから一週間、佳代子は学校が終わると妹が来るだろうと思って校門の前で本を読みながら待っていた。しかし三十分待っても妹は来ない。見かけるのは知らない生徒の集団ばかりだ。佳代子は、実は妹が同い年の友達と一緒に下校していることを知らなかった。佳代子は待ちくたびれて一人で帰った。そしてこれを繰り返し、結局一人で帰ることに帰着していたのだ。妹はいつ、どうやって帰っているのだろうか。佳代子にとってそれが謎だった。
そして家に帰っても小一の頃と同じように一人なのだ。家の鍵はかかったままだ。佳代子は孤独感を紛らわそうとし、やっぱりテレビをつけてだらけてしまう。わだかまりの原因である妹のことなんか忘れようと思った。妹は午後五時くらいに帰ってくる。学校は午後三時に終わるはずだ。謎だった。
「ただいまー」
そう言ってリビングに来る妹はランドセルを背負っていた。佳代子は無視して自分の部屋に戻る。妹への対抗心が再び燃え上がってようやく勉強を始めた。
その日は体育館で全校集会があった。
「では、児童の表彰に移ります」
佳代子は自分の名前が呼ばれるのが楽しみだった。
「エナジードリンク市人権作文コンクール入賞二年B組鉤松佳代子さん」
「はい!」
佳代子は誇らしい気持ちで賞状を受け取る。そして自分の場所に戻ってまた体育座りをした。
「続いて」
まだいるのか。そう思って佳代子は緊張した。自分の陣地が突破されるのか、それともされないのかを見守るような緊張感。
「最優秀賞一年A組鉤松早世さん」
「はい!」
早世は元気よく返事をして賞状を校長先生から受け取った。
「ええ! 最優秀賞ってすごい!」
「私あの子知ってる! 鉤松佳代子の妹だよね」
「妹すげー」
「ていうか、妹のほうが可愛くね?」
「姉のほうは眼鏡だしな」
「めっちゃ勉強できそうな顔してる」
「でも姉妹揃ってヘンな名前」
「そうだね」
早世は澄ました顔でステージをゆっくりと降りる。長いポニーテールが動くたびにさらさらと揺れた。そして行儀よく歩き、ちょこんと体育座りをする。周りに座るクラスメイトから、すごーい、やるねえ、などと言われてはにかんでいた。
佳代子は震えていた。鼓動が激しくなる。唇を噛みしめて、すっかり真顔になり目はただ前方に座る早世に向いていた。周りの生徒が妹を称賛する声。妹に与えられた最優秀賞。佳代子はやがて俯いた。途端に目頭が熱くなり、もう顔を上げることができなかった。
学校が終わり佳代子は家への道を進もうとするが、なかなか進まない。頭の中は、なんで? という言葉で埋め尽くされていた。気持ちがパサパサに乾いて頭がいつものように回転しない。信号が青になったというのにまだ横断歩道の前に突っ立っていた。青信号が点滅して赤に変わる。その赤がまた青に切り替わる。それを何度か繰り返した。次で進もう、次で。そう思っても足が動かなかった。佳代子の隣に並ぶ人はどんどん流れ、入れ替わっていく。
やがて、ある一年生の集団が佳代子の隣に並んだ。その中心にいる子こそが早世だった。早世にはたくさんの友達がいた。早世は佳代子に気づいていない。しかし、佳代子は早世に気付いていた。穏やかな春の陽気に包まれた早世たちは笑い声に満ちている。
「今日はハンバーガーの家行こう」
「さんせい!」
「いいよ。私んち今日親いないから」
「やったー!」
「私新しいゲーム買ったからそれ持ってく!」
そのグループは楽しそうだった。不意に、サンドウィッチが早世に声をかける。
「早世も来て! 早世が賞状貰ったのも祝っちゃうんだっ」
「え、ありがとう! 行く行く」
早世は大きな目を三日月型にして微笑んだ。
「それなら私お菓子持ってくね!」
「わーい!」
「早世はエナ小のエナジードリンク飲んだことあるの?」
「うん。クラス委員の仕事終わりにサラミ君にもらった」
「そうなんだあ。あれ美味しいよね」
「うん! 私あれ好き」
「じゃあ今日買ってあげる!」
「わあ、ありがとう」
「早世ってすごいよね。頭いいし字きれい」
「えぇ、そんなことないよー」
早世は手を振って、ないない、と言った。困ったように笑っている。
佳代子はずっと俯いていた。胸が苦しいがなぜか一行の後に続いて歩いていった。彼女らの会話を聞いているうちに、佳代子の顔はくしゃっと歪み両目からは大きな涙がぼたぼた落ちていた。何回も鼻をすすり、気付いたら家のドアの前にいた。
佳代子の胸中はもうぐちゃぐちゃだった。自分だってこんなに頑張っているのになぜ妹と扱いが違うのだ。不味くてもいいからエナジードリンクを誰か渡してよ。佳代子はこんな気持ちを力ずくで潰して小さくし心の奥に投げ捨てた。プライドが捨てきれずにいたのだ。皆私を敬うべきだ。この気持ちは人間を食べ尽す大蛇の腹が膨らんでいくように、どんどん大きくなっていった。
授業中は机にかじりつきつつ貧乏ゆすりをしていた。隣の子がそれを気にして佳代子のことをチラッと見た。止めるように言いたかったが、なんだか鬼気迫るものを感じ、渋い顔をして断念した。
梅雨の時期になっていた。佳代子には当然季節などを優雅に楽しむ心の余裕なんてなかった。キャンディーとアイスクリームが、
「アジサイきれいだね」
「うん、濡れてるのがおしゃれ!」
「カエルさんもかわいー」
と、梅雨の風景について楽しそうに話し合って登校している後ろで、佳代子はじめじめとした雨にただ苛立っていた。
佳代子はこんな調子で小学三年生になった。そして早世も優等生で多くの生徒の憧れの存在であるまま小学二年生になった。
その日は日曜日だった。早世は友達と遊びに行ってしまって家にいなかった。佳代子はリビングで読書をしていた。外は晴れている。マンションの中庭から聞こえる子供たちの遊び声は、友達のいない佳代子には耳障りだった。
「佳代子ー、おやつできたわよ」
母が声をかけた。佳代子はのろのろと本を閉じるとテーブルに向かった。父は佳代子が読んでいた本を指して、
「それ、面白いか?」
と、尋ねた。佳代子が読んでいたのは『おにぎりポンタ』という小説だ。架空の国で人々は栄養ゼリーばかりを食べていて、江戸時代からタイムスリップしてきた狸のポンタはその世界を嘆く。そしてポンタがおにぎりなどを食べることの楽しさを世界に広める物語。佳代子は、まあまあだよ、と言った。本当は結構気に入っていたけれど、機嫌が悪かったからついそう言ってしまった。
おやつはポテトチップスだった。佳代子が、おいしい、と言って食べていると、目の前に座った母が不意に、
「佳代子、中学受験したい?」
と、聞いた。
「チュウガクジュケンって何?」
「私立や国立の中高一貫校や私立の中学校に入るために試験を受けることよ。そういう中学は、地元のエナ中とは全然違うの」
「え。あー、うん?」
意味が分からないなあと佳代子は思った。
「たくさん勉強してすごい学校に入れたら、きっと楽しいわよ」
母はニコッと笑って言った。父も穏やかに頷いている。
佳代子は無駄に天気が良いその日、朝からずっと無性に腹が立っていた。だから『たくさん勉強』という言葉にも苛立ちを覚えた。なんだか『たくさん勉強』というものが上から目線で、自分を試しているような気がした。佳代子は、
「そんなの、やだね!」
と、仏頂面で両親に言い放ったのだった。
両親はちょっと驚いた顔になって、予想とちがうなあと思った。そして、それならそうするか、と互いに顔を見合わせていた。母は、オッケー、と笑顔で佳代子に向かって言った。
両親は一年後に同じ質問を早世にもした。早世は前のめりに座って、ふーん、と言いつつ興味を持って聞いていた。そして、目を輝かせてこう言った。
「面白そう! やる!」
早世は予想通りの反応。母は笑顔で、オッケー、と言った。
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