第2話
第二章 氷床下都市〈ノア4〉
氷の地表から、およそ四千メートル下。
そこに、人類最後の都市〈ノア4〉がある。
外の世界はマイナス七十度。
だがここには、わずかに空気のぬくもりがあった。
地熱を利用した循環システムが、昼夜を問わず稼働している。
人工の太陽灯が天井を照らし、人工水槽の藻類が酸素をつくる。
誰もが機械の呼吸に生かされていた。
リナは研究区画の廊下を歩いていた。
薄青い照明の中を、低音のモーター音が途切れなく響く。
その先には彼女の職場──環境再生局第七研究棟。
扉の上には、白いプレートが掲げられている。
> 《BLUE SEED:Phase 01》
「おはよう、リナ。」
声をかけたのは、ミラだった。
長い黒髪を束ね、目元に薄い酸素マスクをつけている。
寒冷症を抱えながらも、彼女はいつも研究室に顔を出した。
「今日は観測結果の報告? それとも新しい試料?」
「両方。……昨日、外層で奇妙な振動を感じたの。」
「地震?」
「たぶん、違う。地殻の下で“何か”が動いた気がする。」
ミラは苦笑しながら端末を操作する。
「この星、まだ生きてるのかもしれないわね。」
「そうであってほしい。」
ふたりの会話はいつも短く、静かだった。
言葉よりも、手の動きや表情で通じ合うような間柄。
だが、今日の研究室には、もう一つの“声”があった。
「観測データを転送しますか、リナ・タカノハラ。」
天井のスピーカーから響く中性的な声。
それは都市の中枢AI――**〈セレス〉**の声だった。
どの施設にも接続され、すべての人間を監視し、
同時に彼らの生存を支える存在。
「セレス、地殻データを解析して。前回との変化を見たいの。」
「了解。推定誤差、0.004パーセント以内で処理します。」
わずか数秒で、壁のスクリーンに地層の断面図が映し出される。
無数の層が波のように重なり、その中心に小さな異常値が点滅していた。
「……これ。地下熱流の上昇?」
「はい。深度六千メートル地点で温度変化を検知。」
「でも、そんな深さにはもうマグマは残っていないはず。」
「定義:〈残っていない〉という表現は過去の観測に基づいています。
現在の観測では、再活性化の可能性があります。」
リナは息をのんだ。
氷の地球の心臓が、再び動こうとしているのかもしれない。
その瞬間、照明が一瞬だけ暗くなり、アラートが鳴った。
モニターの端に、赤い文字が浮かび上がる。
> 【注意】外層区画にて熱異常。アクセス制限発動。
ミラが顔を上げる。「……外で何か起きてる?」
「セレス、原因は?」
「情報は封鎖されています。行政官サガラの許可が必要です。」
「またサガラ……」
リナは小さく舌打ちした。
彼は行政区の責任者。
安全を最優先するために、研究の自由を何度も制限してきた。
ミラが苦笑する。「あなた、また怒られるわよ。」
「いいの。見なければ、何も変わらない。」
リナは決意を込めて研究端末を閉じた。
静かな都市のどこかで、氷の底が軋むような音がした。
それは警告のようでもあり、呼び声のようでもあった。
> ――地球が、まだ息をしている。
彼女の胸の奥で、何かが確かに答えた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます