白夜の国とオーロラの姫君~留学生の彼女と行く白夜の国、彼女が伝説の姫君でした~

シルヴィア

日本(極東)からスウェーデン(極北)へ

 6月の放課後、教室。

 山田直樹は、机の上にノートを広げたまま、ぼんやりとペンを転がしていた。

 その前に立つのは、金色の髪をなびかせる絶世の美女――ソフィア・エレノール。

 制服の上に羽織ったカーディガンの袖口を指でつまみながら、少し照れたように言った。 


「ねえ、直樹くん。夏休み、私……スウェーデンに帰るの」

「うん。前に言ってたよな。ご家族に会うんだろ?」

「ええ。久しぶりに、故郷の島で夏至祭をするの」


 ソフィアはそう言って、少し窓の外を見た。夕陽が髪に溶けて、まるで炎のように輝いた。


「それでね――もし、よければなんだけど」


 彼女は言いかけて、視線を戻した。


「一緒に来ない? スウェーデンに」


 ペンが転がって床に落ちる音がした。


「……え?」

「お父さんもお母さんも、直樹くんなら歓迎するわ。ずっと話してたの。どんな人と付き合ってるのかって」


 そう言いながら、ソフィアは少しだけ笑った。どこか心細そうで、それでも嬉しそうだった。


「俺が……スウェーデンに?」

「うん。ゴトランド島っていうの。私の生まれた場所。海に囲まれた静かな島でね、夏至の夜は一晩中、太陽が沈まないの」

「……白夜か」

「そう。だから、時間の感覚がおかしくなるの。でも、あの夜にだけ開く祭壇があるの。北方の光に祈る儀式――私の家の伝統なの」


 ソフィアは胸元のペンダントをそっと握った。

 光を受けて、青白い結晶が微かに輝く。


「直樹くんにも、見てほしいの」

「……うん。俺もソフィアさんのこと、もっと知りたい」


 気づけば、そう答えていた。

 2人の通う高校は6月から夏休みが始まる。

 その夏、直樹は人生で初めて日本を離れることになる。


  出発の日の朝、空港の国際線ターミナルは、思ったよりも静かだった。

 夏休みの始まりだというのに、空はどこか白くかすんでいて、

 窓の向こうに並ぶ飛行機の尾翼だけが鈍く光っていた。


 山田直樹はスーツケースの取っ手を握りしめ、自動ドアの前で立ち止まった。

 少し先でソフィア・エレノールが振り返る。

 薄手の白いワンピースがそよ風に揺れ、夏の日差しを受けて髪が淡く輝く。


 直樹は思わず息を飲んだ。小さな仕草ひとつ、微かに笑う横顔、風に舞う髪――

 すべてが、普段教室で見ている彼女とは違う、遠くて優しい光景のように感じられた。


「……やっぱり、夏のソフィアさんは、特別だな」


 心の中でつぶやくと、ほんの少しだけ胸が高鳴る。

 見上げる空は青く澄み、風がふたりの間をすり抜ける。

 直樹は無意識に、彼女にもう少し近づこうと歩幅を合わせた。

 白いワンピースと金色の髪、そして夏の光。

 その全てが、まるでこの旅の始まりを祝福しているかのように、静かに、でも確かに彼の心に刻まれた。


「直樹くん、チェックインは一緒に行こう」

「うん……初めてだから、何もかもソフィアさん任せだな」


 そう言うと、ソフィアは小さく笑った。


「大丈夫よ。私も日本に来るときは同じだったから」


 エスカレーターを上る途中、ソフィアはふと遠くの滑走路を見た。

「やっぱり、空っていいわね。どこへでも行ける気がする」

「……ああ」

 直樹は短く答えながら、彼女の横顔を見た。

 その瞳は、もうすでに北の海を見ているようだった。


 出国ゲートの手前で、ふたりは並んで足を止めた。

 周囲のアナウンスが遠くに霞む。

 ソフィアは胸元のペンダントを軽く握り、直樹のほうを見た。


「これが、あの“北方の記憶”ってやつ?」

「そう。代々、エレノール家に伝わっているもの。お守りみたいなものよ。でも、ほんとは――」


 ソフィアは言葉を切った。

 少し考えるようにしてから、微笑んだ。


「――夏至祭のときにだけ、光るって言われているの」

「へぇ……そういうの、なんかいいな」

「信じる?」

「さあな。けど……ソフィアさんが持ってるなら、きっと本当なんだろう」


 その言葉に、ソフィアは少しだけ頬を染めた。

 アナウンスが出発を告げ、ふたりは荷物を引き直す。

 直樹の胸の奥で、ゆっくりと現実が遠のいていく。


 ――この旅が、ただの“夏の思い出”で終わらないことを、このときの彼はまだ知らなかった。


離陸の衝撃がやわらいでいくと、機体は静かに雲の上へと抜けた。

 眼下には、綿のように連なる白い雲が広がり、遠くに太陽が薄く滲んでいる。すでに成田を発って数時間、座席のランプは消え、機内は落ち着いた静けさに包まれていた。


「……思ってたより、静かなんだな。飛行機って」


 直樹が小さくつぶやいた。窓の外を見つめたまま、どこか現実感のない声だった。


「ふふ、初めてなんでしょ? 海外」


 隣の席のソフィア・エレノールが、軽く笑って紅茶のカップをテーブルに置いた。


「緊張してるの、顔に出てるわよ。そんなに固くならなくても大丈夫」

「……やっぱりわかるか」

「直樹くんは、わかりやすいの。前に学期末の発表の前の日も、まるでお化けでも見たみたいな顔してたじゃない」

「……あれは、あの先生が怖かっただけだよ」

「今回の“先生”は飛行機のパイロットさんよ。心配いらないわ」


 ソフィアのからかうような言い方に、直樹は苦笑して肩をすくめた。

 その笑顔は、北国の陽だまりのようにやさしくて、でも少し遠く感じた。


「……でも、本当に帰るんだな、ソフィアさん」


 ふと、直樹の声が静かに落ち着いた。


「“帰郷”っていうのかな。向こうに家族もいるんだろ?」


 ソフィアは少しだけ視線を窓に向けた。

 薄く光る大気の層の向こう、遠い北の空を見つめながら、ほんのわずかに息を吸う。


「ええ。祖母の家が、ゴトランド島にあるの。小さい頃の夏は、いつもあそこで過ごしていたわ。……でも、もう“帰る”というより、“確かめに行く”って感じかもしれない」


「確かめる?」

「昔のままなのか、変わってしまったのか。……それとも、私が変わったのか」


 ソフィアはそう言って、小さく笑った。その笑みはやわらかいけれど、どこか懐かしさを滲ませていた。


 直樹は何か言おうとして、言葉を止めた。

 異国の風景よりも、その横顔のほうが気になって仕方がなかった。

 “帰る場所”という言葉が、自分の胸の奥で何かを静かに揺らした。


 やがて、機内の照明が少し明るくなり、アナウンスが流れた。


『まもなく、北欧上空に入ります。現地時間は午後七時を少し回ったところです』


「ほら、もうすぐスウェーデンの空よ」


 ソフィアが嬉しそうに窓の外を指さした。

 雲の切れ間から、灰青色の海と、点のように光る島々が見えはじめる。


「見て、あれがバルト海。私の家の島は、あの海の向こう側なの」


 彼女の声には、ほんのわずかに震えるような響きがあった。

 直樹はその横顔を見つめながら、初めて見る北欧の光に目を細めた。

 その空は、どこか冷たく澄んでいて、それでいて、不思議なほどあたたかかった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


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