第十九話『KATANA』

 深夜の湾岸線に、一台のシルバーの塊が、刀のように鋭い光を放ちながら滑り込んでいく。

 スズキ・KATANA。オーナーである亮介(りょうすけ)は、その独特のフォルムを、愛おしむようにミラー越しに眺めていた。刀の鍔(つば)を模したヘッドライト周辺の造形。タンクからリアカウルまで、流れるように一刀両断されたかのような美しいライン。そして、銀色に輝く車体は、まさに「刀」という名の通りの存在感を放っている。

 亮介がこのバイクに惹かれたのは、スタイルだけではない。その心臓部には、スズキの名機GSX-R1000のエンジンをルーツとする、999ccの直列4気筒が搭載されている。最新の電子制御も満載だ。これは、単なるレトロデザインのリバイバルではない。伝統と、現代技術が融合した、まさに「ネオ・カタナ」なのだ。

 だが、亮介は、このバイクに、どこか居心地の悪さを感じていた。

 彼のガレージには、もう一台、ずっと大切にしているバイクがある。ヨシムラパーツで武装された、1980年代のGSX1100Sカタナ。それは、彼の青春のすべてだった。高校を卒業して、初めて手に入れたアルバイト代を全額つぎ込んで手に入れた、彼の「本物のカタナ」だ。

 ネオ・カタナは美しい。性能も素晴らしい。だが、そこには、あの頃の自分が感じた「魂」のようなものが、見当たらないような気がしていた。

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 高速道路は、深夜にもかかわらず、そこそこの交通量があった。

 亮介は、最新のKATANAのスロットルを大きく開ける。グォォォン、と心地よい直列4気筒サウンドと共に、トルクフルな加速が車体を前に押し出す。排気量1000cc近いバイクとしては、驚くほどスリムで軽く、街中での取り回しも楽だ。

 それは、まさに「優等生」の走りだった。しかし、亮介の心は、なぜか満たされない。

 昔のカタナは、もっと荒々しかった。低速はギクシャクして、高回転まで回せば、腕が引きちぎられそうなほど暴れ馬だった。だが、そこには、乗り手を試すような、生々しい「命」の息吹があった。

 この新しいカタナは、どこまでも従順だ。何の不満もない。だが、だからこそ、物足りない。

 亮介は、ヘルメットの中で、深い溜息をついた。

 ふと、ミラーに映った自分の姿を見た。

 四十代半ば。若い頃のように、あの無骨な旧車を乗りこなす体力も気力も、もうないのかもしれない。だからこそ、この「楽な」新しいカタナを選んだ。

 だが、それは、過去の自分を裏切る行為ではないのか。そんな自問自答が、亮介の心の中で渦巻いていた。

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 彼は、高速を降り、あの頃、よく一人で走りに行った埠頭へと向かった。

 街灯の少ない埠頭は、静かで、冷たい海風だけがバイクの周りを吹き抜けていく。

 バイクを停め、エンジンを切る。静寂の中で、冷えていくエンジンの「チチチ…」という音が、か細く響く。

 亮介は、かつての愛車、旧カタナに思いを馳せていた。

 あの頃は、バイクと一体になって風と一体になって走る。それだけが、俺の人生のすべてだった。だが、いつしか仕事に追われ、家庭を持ち、守るものが増えた。そして、気づけば、昔の自分とは、違う人間になっていた。

 あの頃の俺は、もういない。

 そう思った瞬間、亮介の脳裏に、この新しいKATANAが持つ、その「刀」のコンセプトが蘇った。

 刀とは、研ぎ澄まされ、時代に合わせて、その形を変えていくものだ。

 侍が使っていた日本刀が、現代の銃に取って代わられたように。

 だが、その本質にある「切り拓く」という精神は、決して変わらない。

 この新しいカタナは、決して旧車の劣化版ではない。

 それは、かつて乗り手が味わった情熱を、現代の技術で、新たな形で提供するための、「進化した刀」なのだ。

 変わったのは、このバイクじゃない。

 変わったのは、俺のほうだ。

 昔の自分にしがみついて、新しい時代のバイクを、ただ「昔とは違う」と嘆いていただけだった。

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 亮介は、再びKATANAに跨った。

 キーを捻り、セルボタンを押す。再び、直列4気筒エンジンが、軽快なサウンドを奏で始めた。

 俺は、もう昔の自分には戻れない。

 ならば、今の自分に、最高の「刀」を与えよう。

 彼は、夜の湾岸線に、再びバイクを進ませた。

 今度は、迷いや戸惑いはなかった。ただ、この鋭利な刀身が切り開く、新しい時代の風を、全身で感じながら。

 そのシルバーの塊は、夜の帳の中を、力強く、そしてどこまでも未来へと突き進んでいく。

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