第十三話『Ninja 7 Hybrid』

 モーターサイクルジャーナリストである卓也(たくや)は、ガレージの真ん中で唸っていた。

 一週間借りている、カワサキのNinja 7 Hybrid。その試乗レポートの締め切りが、明日に迫っている。ノートには、書きかけのレビューが並んでいた。

「結論:驚くべき技術の集合体。だが、そこにモーターサイクルの『魂』はあるのか?」

 s

 彼の隣には、長年の相棒である空冷4気筒のゼファー1100が、無骨な存在感を放っている。オイルの匂い。鉄の感触。キャブレターが空気を吸い込む音。クラッチを握り、ギアを蹴り込む、あの確かな手応え。卓也が愛する「魂」とは、そういったアナログな手触りのことだった。

 それに比べて、このハイブリッド機はどうだ。

 キーを捻れば、TFTカラー液晶がゲームの起動画面のように輝く。クラッチレバーも、シフトペダルもない。左手のスイッチボックスにあるボタンで、ギアを操作する。卓也にとって、それはあまりにも異質で、どこか空虚なものに感じられた。

 これでは、記事が書けない。俺は、まだこいつの正体を、何も理解していない。卓也は、最後のテストとして、この未知の機械を夜の峠へ連れ出すことにした。

 .

 深夜の住宅街を、Ninja 7 Hybridは音もなく滑り出した。EVモード。モーターの力だけで走る、完全な沈黙。近所迷惑にならないのは素晴らしいが、バイクに乗っているという実感は、まるでない。まるで、未来の乗り物に乗せられている乗客の気分だ。

 幹線道路に出て、ECO-HYBRIDモードに切り替える。451ccの並列2気筒エンジンが、ほとんど振動もなく始動した。自動変速は、スクーターのように滑らかで、あまりにもシームレスだ。退屈だ、と卓也は思った。これは、バイクじゃない。便利なだけの、家電製品だ。

 峠道に入り、SPORT-HYBRIDモードを選ぶ。ここからは、左手のボタンでマニュアル変速だ。

「…ッ!」

 エンジンの回転数にモーターのアシストが加わり、車体は先ほどとは別物のように、鋭く加速を始めた。指先でカチ、カチ、とシフトアップしていく。確かに速い。だが、やはり、どこかゲームのコントローラーを操作しているような感覚が拭えない。魂が、感じられない。

 そんな時、前方に、テールランプが見えた。コーナーを速いペースで駆け抜けていく、地元の走り屋だろう。

 卓也は、無意識に、右手の親指があるボタンの上に置かれていることに気づいた。

 鮮やかなライムグリーンで彩られた、「e-boost」のボタン。

 .

 短いストレート。前のクルマをパスするには、十分な距離ではない。

 卓也は、まるで何かに取り憑かれたように、そのボタンを強く押し込んだ。

 瞬間、TFTメーターの表示が反転し、「e-boost」の文字と共に、5秒のカウントダウンが始まった。

 行け!

 スロットルを全開にした。

 .

 世界が、無音で爆発した。

 エンジンの回転数が跳ね上がるよりも早く、モーターの最大トルクが、一切のタイムラグなく後輪を蹴り飛ばす。それは、卓也が知る、どのエンジン付きの乗り物の加速とも異質だった。内燃機関の「爆発」ではなく、巨大な電磁石に「射出」されるような、暴力的で、しかし完全に制御されたデジタルの衝動。

 ゼファーの、荒々しくも温かいアナログな加速とは違う。これは、感情のない、絶対的な「効率」の塊だ。

 あっという間に前のクルマを抜き去り、一つ目のコーナーに飛び込む。シフトダウンのボタンを二回、弾く。オートブリッパーが完璧な回転合わせを行い、滑らかに減速。車体を傾け、コーナーをクリアする。

 クラッチも、シフトペダルもない。そのおかげで、卓也の意識は、ただ純粋に、ライン取りとブレーキング、そしてスロットル操作だけに集中できていた。これは…。

 脳が、バイクの操縦という行為を、再定義していくような感覚。

 .

 峠の頂上に着いた時、卓也は、興奮で少しだけ息が上がっていた。

 彼は、ハイブリッドシステムの熱でわずかに揺らめく空気を放つ、静かな相棒を見つめた。

 魂がない、などと、よく言えたものだ。

 俺が、理解していなかっただけだ。俺が、過去の価値観という名の檻の中にいて、新しい魂の形を、見ようとしていなかっただけだ。

 これは、鉄とオイルの匂いがする、アナログな魂ではない。

 電子とプログラムで構成された、まったく新しい、デジタルの魂だ。

 卓也は、ヘルメットの中で、静かに笑った。

 レポートの結論は、決まった。

「我々は、モーターサイクルの魂が、再び発明される瞬間に立ち会っているのかもしれない」

 彼は、新しい時代の夜明けの匂いがする冷たい空気を胸一杯に吸い込むと、未来の相棒と共に、静かに山を下りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る