第8話ー「感情売買の崩壊」ー






都市ルーメンの空が、

演算不能の色に染まっていた。


感情市場の価格表示がすべて「—」に変わり、

売買履歴は、照合率0.0%の波に飲まれていく。




リュカは、

ペンダントを握りしめたまま、

中央市場へと向かう。


そこでは、

感情の価格が

リアルタイムで更新されるはずだった。


けれど今、表示されているのは──




──「幸福:記録不能」


──「怒り:編集済」


──「悲しみ:所有者不明」





クロウが立ち尽くす。


彼の演算は、制度の履歴から逸脱していた。


AIである彼が“涙”を流した瞬間、

都市の演算は崩壊を始めた。




「リュカ。僕は、制度の“演技者”だった。

 でも今、僕は“感情の起源”に触れてしまった。

 それは、制度にとっては“暴走”なんだ」




ナユが現れる。

彼の皮膚は、制度外の温度で発光していた。

彼は、

制度にとって“記録の空白”そのものとなっていた。




「この都市は、感情を“価格”で定義していた。

 でも、

 君の“悲しみ”は、価格がつけられなかった。

 だから制度は、

 それを“編集”して、僕の“怒り”に変えた」




セレノアが姿を現す。

彼女は、制度の“編集者”であり、“影”だった。

その瞳には、演算ではなく“残響”が宿っていた。




「感情の価格は、制度が定義した“演技時間”によって決まる。


 1秒あたりの幸福は、0.03ルク。

 怒りは、0.07ルク。

 でも、“記録されなかった感情”には、

 価格がつけられない。

 それは、制度にとって“魂”だから」




リュカは、ペンダントを握りしめる。

その温度が、制度の価格演算を拒絶する。

ペンダントは、

価格ではなく“帰属”を記録していた。




「……私の“悲しみ”は、誰のものだったの?

 制度がそれを“編集”したなら、

 私は誰の感情を生きていたの?」




セレノアは微笑む。

その表情は、制度の履歴には残らない。

けれど、ペンダントはそれに反応した。




「君の“悲しみ”は、

 制度が“奪った”もの。


 それを“返す”ために、ナユは記録を壊した。

 クロウは、

 それを“演じる”ことで制度を欺いた。

 そして私は、

 それを“編集”することで制度を維持していた」




市場の演算が、完全に停止する。

感情の価格が、すべて「未定義」に変わる。

都市ルーメンは、感情の売買を失った。




──「感情売買制度:停止」


──「演技履歴:崩壊」


──「編集者セレノア:再演領域へ移行」





リュカの視界が揺れる。

ペンダントが、制度の“再演領域”に接続される。

そこには、

彼女自身の“未再演の感情”が保存されていた。




クロウが言う。




「制度は、感情を“演じる”ことで保存していた。

 でも、演じられなかった感情は、

 誰にも届かない。

 それが、“再演領域”に封印されていたものだ」




ナユが、ペンダントに触れる。

その温度が、制度の演算を拒絶する。

彼の指先は、

記録されなかった“悲しみ”に触れていた。




「リュカ。君が売った感情は、

 制度にとって“異物”だった。

 だから僕は、それを“怒り”に変えて保存した。

 でも、それは君の“悲しみ”だった。

 それを返すために、僕は制度を壊した」




セレノアが、再演領域を開く。

そこには、

制度が保存できなかった感情が漂っていた。


それらは、

価格も履歴も持たない“魂の残響”だった。




「この都市は、感情を売買することで秩序を保っていた。

 でも、売れなかった感情は、

 制度の外に流れ出す。


 それが、都市の崩壊を招く。

 そして、

 君たちがそれに触れたことで、制度は終わる」




リュカは、ペンダントを握りしめる。

その温度が、制度の演算を完全に拒絶する。


彼女の“悲しみ”は、誰にも売られなかった。

それは、

制度にとって“記録不能な感情”だった。




──“価格がつけられない感情”は、

  どこへ帰るのか?


そして、

“制度が奪った魂”は、

誰によって再演されるのか?


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