紅葉の下には鬼女がいる 其ノ漆

 「鬼の頭」が動き出したことにより、混乱に陥った人々は舞どころではなくなっていた。

 何だあれは。死ぬかと思った。これも神社の演出なのか。その他諸々。神主に詰め寄る村人たちは、みんな何かしらの答えを欲しているようだった。

 きっと答えなんて出ないのに、とその光景を視界の端で捉えたシゲルは思う。

 化物はいつの間にか現れ、忘れられることが当たり前のように消えていく。残るものといえば、疑問と恐怖の余韻くらいではないだろうか。

 しかしこの状況は、一仕事……いや、四仕事ほど終えた疲労感に襲われているシゲルたちにとってありがたいことでもあった。面倒な誤魔化しをしなくて済む。

 神社の近くにある紅葉の木。その下で、あっちへこっちへと忙しそうに駆け回る村人へ視線を向けながらシゲルは口を開いた。


「……呉葉さん、どこに行ったんだろうね」


 「鬼の頭」が燃え尽き灰となった時には、もうすでに呉葉の姿は消えていた。彼女の青い炎のように、忽然と。


「さぁ、案外まだ近くにいたりするんじゃないですか?」

「わかるの?」

「わかりませんけど」

「でたらめ言うなよ」

「すいません」


 まったく悪びれた様子もなく、太宰は口だけの謝罪をする。心ここにあらずといった様子が気になり尋ねようと思ったその時、シゲルの名を呼ぶ声が聞こえた。


「鬼門くん! よかった、ここにいたのか!」


 眼鏡がずり落ちたまま大乗が駆けてくる。


「先輩? どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもないよ!」


 肩で息をする彼に声をかければ、大乗は勢いよくシゲルの肩をつかんだ。


「きみ、呉葉の居場所知ってるだろう! 教えてくれ! 頼む! なんでもするから!」

「えっ、いや、その……」

「いただろう! 青い炎が消えた時、たしかに彼女を見たんだ! お願いだよ! 僕はもう彼女が人でないと確信してるんだ! それでも構わないからこうして――」

「――向こうの方ですよ、たぶんね」


 呉葉との約束、という名の脅しもあるため何も言えなかったシゲルだが、太宰は特に気にした様子もなくさらっと答えてしまう。……これは、焼死確定なのではないか。


「わ、わかるんですか! 影な……いや、太宰さん!」

「『影無し男』でけっこうです。……そうですね。正確な場所はわかりませんが、あの鬼女の気配は独特ですから。どっちに行ったかくらいならわかりますよ。そこまで距離も遠くないでしょう」


 そう言う太宰を涙ぐんだ瞳で見た大乗は、何度も何度も頭を下げて礼を言ってから彼が指さした方向へ駆けて行った。


「……本当は、呉葉さんのいる場所わかってるの?」


 大乗につかまれたことによってよれてしまった着物を直しながら太宰に問う。すると、


「さっき先生も言ってたでしょう? でたらめですよ」

「はぁ⁉」


 なんてことないようにそう告げた。まさかの回答に開いた口が塞がらない。

 太宰はそんなシゲルをすみれ色の瞳で捉えて、小さく息を吐いた。


「本当にわからないんです」


 彼は、感情を感じさせない声音で続ける。


「あんなの、見たことないんですよ。……人に心を砕いて、共に生きようと思って、それでも上手くいかなくて、自分から身を引くなんて化物は。……あたしが見てきたのは、もっと後先も周りも考えない糞ったればかりでしたから」


 太宰の視線は、大乗が駆けて行った方を向いている。しかしその目は、どこかその先を見ているようにも思えた。


「……あぁ。でもあの鬼女なら、最終的に自分のことで困ってる先輩さんを放ってはおけないだろうって、そんな気がするんです。『鬼の頭』だって死んで何百年と経った今でも恨みとやらで動いてみせたんですから、それくらいはやってもらわなきゃ困りますよ。……なんてったって惚れた人が相手なんですから」

「……そっか。うん、そうだね」


 そうであってほしいと思っているような彼の言葉に、シゲルはただ同意を示す。上手いこと返せるほど、彼女は太宰のことを知らなかった。

 いや、一つくらいは知っているかもしれない。


「『この山の黄葉の下の花をわれはつはつに見てなほ恋ひにけり』……だったっけ?」


 太宰は面食らったような顔でシゲルを見つめてくる。

 いつも飄々としている彼のこの表情は、少し癖になってしまう気がした。


「……なんで急にその歌を?」

「太宰が和歌好きそうだったから、私も読んでみようかなって思って万葉集買ったんだ。まぁ初心者向けの薄いやつだけど。その中に載ってた歌で、紅葉がきれいなこの村に合うならこれかなって思った次第でして……。ごめん、馬鹿の一つ覚えでした……」

「好きなわけじゃないって言ったと思うんですが……でも、へぇ、そうですか」


 得意げに言った自分を思い出し、羞恥によって声が尻すぼみになってしまう。しかも太宰が何も感想をくれないときた。まったく場違いな歌を詠んでしまったのだろうか。教師の採点を待っているような、どこかはらはらとした気持ちになる。


「…………そういえば」


 居心地悪そうな彼女に気づいたのか、太宰は話題を変えた。そのことに安堵しながらシゲルは全力で相槌を打つ。


「先生はいつになったら本当のことを言ってくれるんですかねぇ」

「……え」

「今回のこの村に来た理由、本当は慰労のためなんかじゃないでしょう?」

「あ、えっと、その……」


 まずい、ばれていたのか。

 シゲルは追い詰められた犯人のような顔をしてしまう。それと同時に、申し訳ない気持ちもあった。

 どんな理由があったにせよ、彼に何も説明してなかったことは謝罪するべきだ。


「……黙っててごめん。その、太宰の言う通り、本当は慰労のためじゃなくて、先輩から呉葉さんを探してほしいって頼みで鬼無里村に来たんだ。それで、太宰だったら呉葉さんを見つけられるかもってなって……その、本当にごめんなさい」


 謝罪と共にシゲルは頭を下げる。すると、


「許しません」


 楽しそうに、謝罪を受け入れない姿勢を示された。

 声音と言葉が合っていない状況に思わず頭を上げると、視界に映ったのは目を細め笑みを浮かべる太宰。


「……なんちゃって」

「……は?」

「なんちゃってって言ったんです。別に最初から怒っちゃいませんよ。……ただまぁ、次は本当のことを言ってくれると助かりますかね。心配しなくても、先生から誘われりゃ大体の所はついて行きますんで」


 その言葉はシゲルにとって衝撃的だった。

 出会って間もないころを思い出す。彼は、都合がいいからシゲルの家に通っている、と言っていた。だから今回も利益がなくては来てくれないと思っていたのだ。しかし、実際はそんなことなかったらしい。

 誘えばついて来てくれる程度には、仲良くなれているようだ。

 そう思ったシゲルは困ったように笑った。


「次はちゃんと慰労の回を設けるよ」

「ぜひそうしてください。楽しみにしてますから」

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