紅葉の下には鬼女がいる 其ノ陸

 鬼無里村の神社は、元々山にあったらしい。しかし参拝が大変という声が多くあり、麓へ移されたそうだ。

 山の中にあるにも関わらず、きちんと整地されていたあの場所は神社があった場所なのだろう。そう考えると、狛犬たちがあそこに鎮座していた理由も納得がいく。


「舞を見るためにけっこう人が集まるんですねぇ」

「そうだね」


 そう言う太宰はいつも通りだった。呉葉に突っかかっていた彼は一体どこへ行ったのか。尋ねていいことなのかもわからず、とりあえず相槌を打つ。

 シゲルは前を向いた。そこには、舞の舞台になる神社がある。帝都で見たことがある神社より二回りは大きそうだ。

 この神社は、山から麓への移動に伴い新しく立て直されたという。もう築年数も経っているので新品のようとはいかないが、丁寧に管理されていることがわかる。霊感などまったくないが、なんとなく神社特有の神聖な雰囲気を感じる気がした。


 ――しゃんしゃん。――どぉぉん。


 人々に安らぎを与える鈴の音。続けて鳴ったのは腹底に響くような力強い太鼓の音。

 世間話をしていた観客が一斉に前を向く。席などないため立ち見状態だが、みんな行儀よく、鬼合戦の再現が始まる瞬間を今か今かと待っていた。


 ――しゃんしゃん。――どぉぉん。


 一定の間隔で鳴るその音に合わせて、空色の袴を履いた男性が現れる。次いで出てきたのは尺寸ほどの骨壺を持った男性。それを観客によく見せるよう高く掲げた。

 おそらく、あの中に「鬼の頭」が入っているのだろう。そう思いながら骨壺を見つめていると、とうとう男性が蓋に手をかけた。少しでも近くで見られるよう前のめりになる。もちろん、迷惑にならない程度で。

 男性はゆっくりと蓋をずらしていった。もう何年もこの舞に参加している人なのだろう。観客が盛り上がる見せ方をわかっている。

 そしてついに、観客全員に見えるよう蓋が外された。中身を見た観客たちの間に走ったのは興奮、


「――っ⁉」


 ではなく、どよめきだった。開けられた箱には、何も入っていなかったのだ。

 演者たちの慌てた様子が感染したように、観客も不安げにざわざわとし始める。それはシゲルも例外ではなかった。


「え、どうして空っぽなの、確実にあの骨壺に入ってそうな雰囲気だったよね?」


 そう太宰に問いかけると、彼はだるそうな目を少しだけ見開いて空の箱を凝視していた。


「……こりゃまずいな」

「え、まずいってなにが――」


 まるでこの先に何が起こるか理解しているような彼の呟き。その詳細を問おうとしたシゲルだが、鼓膜を破るような轟音によってそれは叶わなかった。

 音の発生源は彼女たちの後方。そちらに振り向けば、そこには「鬼の頭」が存在した。


 比喩ではない。正真正銘、「鬼の頭」だ。

 

 肉などまったくついていない、乾いた骨だけのそのてっぺんには歪に伸びた棒状のものがついている。――角だ。直感的にシゲルは悟った。

 必ず畏怖の念を覚えるだろう異形のしゃれこうべ。呉葉に殺されると思った瞬間を彷彿させる。頭ではない、脊椎から這い上がってくるような、本能が訴えかける純粋な恐怖。

 どうやって尺寸ほどの骨壺に入っていたかは不明だが、今彼女たちが見ている「鬼の頭」はシゲルの身長ほどあるように思えた。眼球があったであろう空洞は、洞窟と見紛うほどに暗く深い。たとえるなら、全てを闇に飲み込んでしまう新月の夜だ。


「……■■、■■? ■■――■■■」


 緩慢な動きで、頭はぐるりと辺りを見渡す。何かを探しているようだった。発声器官が繋がっていないはずのそれは、くぐもった音だけを生み出す。まるで仲間たちを呼ぶような、そんな、不快な音だった。

 「鬼の頭」は己の呼びかけになんの返答もないことを確認すると、演者がいる方向に存在しない眼を向ける。次の瞬間、凄まじい速度で頭部が突進した。

 一瞬にして三十尺ほどの距離を縮める。そして、ばきばきと文字通り骨が軋む音をたてて、口だったであろう部分が大きく開かれた。

 全てを吸い込むその暗闇をただ見ていることしかできない。息を吸うことすら忘れている。悲鳴も出ない。

 この場所にいる人間たちは、個という概念を忘れた家畜に成り下がった。身体を支配するのは脳ではなく、絶対的な恐怖のみ。その前では、筋一本動かすことすら許されない。


 ――でもこれは、人間に限った話だ。


 時間が止まったようなこの場所で、いつの間にかシゲルの隣から移動していた太宰は、演者と「鬼の頭」の間に身体を割り込ませる。そして右腕で上顎骨を、左腕で下顎骨をつかんだ。しかし、そんなこと「鬼の頭」はどこ吹く風で、まるで咀嚼するように口を閉じ始めてしまう。

 普段、何にも興味がなさそうな太宰の目に焦りの色がにじんだ。このままでは運が良くて手首から先、悪ければ腕ごと喰い千切られる。

 その光景を見て、やっとシゲルは呼吸を思い出した。強張った筋肉を無理やり動かし、太宰の方へ駆け出しながら喉が痛くなるほどの大声で叫ぶ。


「――呉葉さんっ‼」


 瞬間、シゲルの視界に人間離れした赤毛を持つ美女が現れた。そして褒めるように、するりと頬を撫でていく。


「よく呼んでくれたわ後輩。あと、お手つき野郎もよくやった」


 そう聞こえた瞬間、「鬼の頭」が音を立てて青い炎に包まれた。


「■■ッ■■■ィ■■――⁉ ■■■‼ ■、■ヵ■ッ■■‼」


 動物のものとも違う、嫌悪や恐怖を掻き立てるような絶叫だった。「鬼の頭」から距離があるシゲルでさえ耳を塞ぎたくなる音なのだ。目と鼻の先で叫ばれている太宰の耳は限界に近かった。脳にまで力づくで押し入ってくるような、恨みを蓄積させた不快音。頭蓋骨全体に激痛が走る。思わず眉根を寄せたその時、


「あんたは燃やさないでおいてあげるから、もう少しがんばって押さえときなさい若造。ここが漢の見せどころよ」


 鶴の一声ならぬ、鬼女の一声が耳元で聞こえた。特に何か手伝ってくれるわけでもなかったが、幾分か頭が楽になった気がする。


「ほんっと、無茶おっしゃる……!」


 太宰の隣に降り立った呉葉は、その返答に口角を上げた。

 青い炎がより一層激しく燃え上がる。それは天にも届くほどだった。

 観客たちは全てを燃やし尽くす勢いの青い炎に恐怖を覚える。しかし、ある男性にとっては、どこか優しさと懐かしさを感じる色にも見えた。


「…………呉葉?」


 大乗の口からこぼれた愛しい人の名は、青い炎が消えたと同時に吹いた風によってかき消された。

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