オスガタ様

オスガタ様 其ノ壱

「透き通ってる……本当にきれいな水ですね」

「そりゃあこの村の生命線ですからね。田んぼも畑も飲み水も、ぜぇんぶここから引いてるんです」


 小麦色の肌をした男性が歯を見せて笑う。シゲルは相槌を打って、再度池を覗き込んだ。おかっぱ頭の女が映っている。もはや鏡のようだ。ごみの一つも浮いていない。本当に地面を掘っただけの穴に水が溜まっているのかと疑ってしまうほどである。

 池の周りには、子どもが誤って侵入しないよう大人の腰辺りまである防護柵が張り巡らされていた。といっても、木杭が撃ち込まれているだけなので見た目としてはお粗末だ。


「いやぁそれにしても、うちの村に記者さまが来てくれるなんてなぁ。それもこれも『オスガタ様』のおかげだ」


 男性はそう言うやいなや、池に向かって手を合わせる。この村の人々は、ずいぶん信心深いようだ。




 今回、シゲルは「オスガタ様」という伝説を記事にするためこの村を訪れていた。だが、「こっくりさん」の件のように村から依頼されたわけではない。

 始まりは太宰の誘いだった。

 姿池すがたいけという名の池があるその村では、頻繁に行方不明者が出るという。地元の警察が調査を行ったが、怪しい点は一つも見つからない。それなのにも関わらず、行方不明者は依然変わらず発生し続ける。そこまでくると、国もさすがに見過ごせなくなった。

 そうして帝都の警察隊から五名派遣されることになったのが半月前。しかし、そんな彼らも行方不明になったまま帰って来なかった。そこで、自称「軍内の閑職につく元人間」の太宰に白羽の矢が立ったのだ。行方不明者が出続ける原因を調べろ、と。


 ――そういうわけで、一緒にどうです?


 シゲルの借りている長屋にて。

 そう誘われたのは、二人して小さなちゃぶ台を囲み、そうめんをすすっている時のことだった。

 開いた窓からはぬるい風が入り、蝉がけたたましい求愛の声を上げる。

 でもそれって危険なんじゃ……と尋ねると、「だからあたしが行くんです」と当然のように言われてしまった。「だから」の意味がわからない。

 だが、その地域特有の伝説を持つ村だ。正直興味はある。

 シゲルは数秒悩んだ後、太宰に向かって「行く」と力強く答えたのだった。




「この村は帝都からもずいぶん離れてるんで疲れたでしょう。ぜひうちに寄ってください。記事に必要な質問も答えますんで。あぁ、もちろん助手の兄さんも」

「お気遣いありがとうございます。とても助かります」

「いやいや、いい記事書いてもらわなきゃなんねぇかんなぁ……これくらいは当然ですよ」


 そう言って笑う男性の後に続いて村の細い道を進む。言うまでもなく、整地などされていない。拳ほどの石がごろごろ転がっていた。

 歩く度に足を取られるため、太宰のサスペンダーをつかみながら村人の話に相槌を打つ。

 頭上から呆れたような視線が向けられていることは見なくてもわかった。


「……そんな目で見るなよ」

「いやぁ、ずいぶんと立派な足さばきだと思いまして」

「ならもっと褒めてくれてもいいよ」

「嫌味ですよ」


 そんな話をしていると、ぱちぱちという何かを燃やしているような音が鼓膜を揺らす。音の方へ顔を向ければ、野焼きをしている人々が目に入った。何を燃やしているかはわからないが一向に灰にならないらしい。苛立った様子で火消し棒の柄を使い、火の中心をつついていた。

 それを見て女学校時代のことを思い出す。十代のシゲルは中々にやんちゃだった。学校の敷地内で、掃除の時間に集めておいた落ち葉を使って芋を焼いたりしていたのだ。もちろん大目玉を食らったことは言うまでもないだろう。


「ちょっと先生、生まれたての子鹿状態なんですからよそ見しないでくださいよ」

「わかった……って、ちょ、ちょっと! 私が悪かったから揺らさないで! 太宰のサスペンダー引き千切るよ!」


 今回の取材が無事終わったら焼き芋でも買ってやろうと考えていたのに……!

 そう思いながら、太宰が生み出す揺れに歯を食いしばってどうにか耐えた。

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