第11話 天ぷらフルボッコ

朝起きて思う、あぁ休みだったっけ。

まだ仕事が始まっている時間じゃないけど…みんなが仕事の今日、莉兎とあたしは休みなんて何か嬉しい。

学生時代みたいなサボりじゃないから堂々としていられる…だって有給やもん。


まだ夢の中にいる莉兎の腕の中から離れて部屋着を拾ったけど、洗濯しよう。

外を見れば空は明るく、陽射しは強そう。

まるで暑いですよと知らせてくれてるみたいに。

本当なら枕カバーもシーツも洗いたいけど、気持ちよさそうに寝ている莉兎を見たら今度にしようと感じた。

とりあえず二人分の部屋着と下着を拾って洗濯機を回してシャワーを浴びる。


シャワーの温度は生温く。

髪や体を洗いながら曇る鏡に写ったあたしの体。

よくもまぁこんなに痕をつけたな、なんて。

そりゃ一昨日からセックスしかしてないし無理もない。

今年はオフショルを着れないかもと思うくらいだった。

莉兎がつけた散らばった赤い痕、そして肩に噛み痕。

…あいつ、あたしがオフショルを着る事を阻止してる?


そんな気がしたけど、莉兎ばかり責められない。

あたしだって何度も何度もつけたから。

莉兎の肌は思い切り吸い付かないと残らない。

痕がつきにくいから一生懸命やり続けてたら舌や口内がビリビリした。

綺麗には残らなかったけどあたしの頑張った証のようなものはいくつもある。

莉兎はニコニコしながら髪を撫でてくれていたけど、多分あたしと同じでオフショルを着れないと思う。


二人、この夏はシンプルすぎるTシャツにジーンズで過ごそう。

莉兎はチビやけどそういうシンプルな格好が似合うからな…ってあたしの脳内よ。

莉兎の事ばっかやん、笑えんレベルやん。

何回莉兎莉兎言うてんの、恥ずかしいレベルやん。


はぁぁと溜め息を零しながらシャワーを終えて体の水滴をバスタオルで拭く。

ドライヤーは暑くて嫌。

これからの季節、サボりがちになってしまう。

でもあかんよな…頭皮や髪に良くないよな…と反省して数日は頑張るけど、またサボって。

そういう繰り返しをするくらい、ドライヤーは暑い。


だからこそ、切ろうかなと思うほど。

せめて胸の辺り…いや、もうちょっと上…とか考えるけど結局切らずに終わる。

ここまで伸ばしたからという思いが一番強い。

そして毛先の傷んだ部分を切るくらいで満足してしまう。


濡れた髪に櫛を通しながら髪色くらい変えてもいいけど、と考える。

でも莉兎のような金髪にしたら…あぁ、あかんあかん。

顔面つよつよの上に金髪とかもう恐れられたいん?と自問自答したくなる。

逆に黒髪は似合わなすぎて笑う。

髪の長さもカラーもそこまで大幅に変えられない現実。


はぁ、もっと莉兎に可愛いって思われたいのになぁ。

…え?いやいや、今自分何思った?

素直に溜め息混じりに心の中で呟いた言葉に驚いてしまう。

まぁ、でもそうなんよな。

他の奴らの意見とかどうでもいいけど莉兎が

「可愛いやん」

そう言うてくれるなら髪も切れるしカラーチェンジもできてしまう。

アホすぎる莉兎至上主義な脳内。

だって莉兎の中であたしが一番とか思われてたいやんか。

いつか二番三番百番になるかもしれんけど、一番がちょっとでも続くように努力したいやんか。

結構、ガチの乙女なんやで。



髪を乾かさないままスキンケアだけをして煙草を吸って。

背中を向けてる莉兎の三日月を見つつ、近くに寄ってなぞってみたり。

くすぐったかったらしく、あたしの指先から逃げるようにうつ伏せにごろん。


ふふっと笑ってスマートフォンに触れればSNSの通知が何件か。

何やろうと思いながら開けば、いいねやコメントだった。

そこで思い出す、昨日投稿した事。

コメントは学生時代の友達。

「ひよにやっと春がきたー!おめでとう!」

冒頭からテンション高めで笑ってしまった。

でもその後に続く言葉は


「相手の手見て思ったんやけど女の子?」


やっぱりそういう反応になるよなぁと思う。

自分で投稿した写真を改めて見ても理解できる。

写っている莉兎の手は男性の手とは程遠い、細くて指先が綺麗な手だから。

あたしと莉兎は「それでいい」とか「関係ない」と思って過ごして愛し合っていても周りは違う。

でも後ろめたさなんかない。


笑いながら返信。

「ありがとう。そこら辺のしょーもない男を蹴散らすくらいのスーパーウーマンやねん」

言い放つようにスラスラと指先で文字を打った。


もう一度、うつ伏せで寝てる莉兎を見る。

流れる金髪、チビな体、指先に塗ったあたしの色。

全部愛おしくてたまらなくなる。

誰が好奇な目で見ようともいい。

こっちは真正面から愛し合ってるだけ。


うん、あたしは今日も変わらず

「好きやで」

小声で呟けばうつ伏せで寝てた莉兎の指先が微かに動いた。





朝ご飯はトーストにマヨネーズとマスタードを塗ってチーズを乗せて焼く。

簡単だけど美味しいトーストを食べて、後で莉兎にも焼いてあげようと思いながら洗濯物を干して。

外に出ればクソ暑い。

梅雨入りすると言ってたのになぁと思いながら早々に窓を締めた。


それから部屋の中を見渡す。

莉兎の部屋は一応片付けたけど、今度はあたしの部屋の番。

いらない物が多そうだとちょこちょこと片付け始める。

引っ越しするんだから身軽になって出ていきたい。

そして新生活をスタートしたい。

できるだけ断捨離を心がけながらゴミ袋を出して仕分けしていく。

これだけ動いたりゴミ袋をガサガサしていても起きない莉兎はすごいと思う。


ベッドの枕元にある押入れを開けたら、まぁいらない物ばかり。

あたしも莉兎の事を言えないくらい捨てる事が苦手。

だってホットサンドメーカーやトースターなどの小型家電の箱をきっちり置いてる辺り、意味不明。

説明書だけ置いてたらいいし、売る予定なんかこれっぽっちもないのに。


呆れつつ箱を潰しながら押入れの中は昔読んでいた小説や漫画、集めていたCDが入った箱。

もういらないよなぁと感じつつもっと探っていたら出てきたジュエリーボックス。

様々な雑貨に紛れていて奥の方に潜んでいたそれに触れると心臓がドクっとした。


床に座り込んで蓋を開ければいくつかのネックレスや指輪、ピアス。

それらの横に置かれていたのは時が止まった腕時計。

ステンレスのベルトに文字盤は桜色。

触れる事を躊躇ったけど、思い切って握ればひんやりとしていた。

手を広げて見つめても腕時計は変わらず時が止まったままだった。

あぁ、久々に見たし久々に触れた。


何とも言えない気持ちを抱えていたら

「元カレからのプレゼントやろ?そんなに愛しいんか」

左耳に聞こえてきた声に振り向けば、うつ伏せで呆れた顔をしている莉兎。

「…起きたん?」

「邪魔して悪かったな」

「元カレちゃうわ」

「…そうなん?だってその中、指輪とかいっぱいあるやん」

「まぁ、これは…元カレやけど」

「はん、やっぱりそうやんけ」

でも莉兎が想像するような物じゃない。

これらのアクセサリーは「好き」やからくれたんじゃなくて「許してほしい」からくれた物だらけ。


殴ってしもてごめん、許してのネックレス。

浮気してしもてごめん、許しての指輪。


別にいらんのに。

そんな物よりも気持ちが欲しいだけやのに。

好きっていう変わらん気持ちが。


でも結局受け取って

「もうせんといて」

そう言った過去のあたしも悪いと思う。

しばらく経てば、殴られて暴言を吐かれて。

もう一人の男には浮気を繰り返されて。


「だからいい思い出なんかないねん」

「貸して。莉兎が全部ほかしたる」

「別に意味があって置いてたわけじゃないから」

それだけは分かって欲しいと思って言えば、莉兎は頷いて起き上がった。

「あれ、部屋着は?」

「洗濯中」

「ありがと」

別の部屋着と下着を取り出して身に纏いながら莉兎は

「ほんで?その時計は?」

気になるようで聞かれたけど、この時計の思いは重い。






社会人になってからお父さんがプレゼントしてくれた腕時計。

最初の頃、ガラケーで時間を確認していた。

他にも家を出る時は掛け時計を見て

「あ、やば。行ってくる!」

慌ただしく出かけたり。

会社にいる間も掛け時計を頼りにしていた。


そんなあたしにプレゼントしてくれた腕時計。

「ひより、もう社会人なんやから時計くらいせなあかんで」

確かにその通りだった。

パッとした時、掛け時計が見えない場所にいたら時間の確認ができない。

かと言ってガラケーを開くのは失礼。

でも、最初この腕時計を見た時は「桜色とかめっちゃ可愛すぎやん」と思った。

あたしに似合わんのに何で桜色なんやろうと不思議だった。


それから二年後、お父さんはいなくなった。

あたしが荒れたのはその頃から。

腕時計は変わらずにずっしり重いし、当たり前に時間を刻み続ける。

何もかも嫌だった。

目を逸らしたかった。

もうお父さんはいないのに。

そればかりを思って泣いて。


見つめる先の腕時計の文字盤。

桜色を選んだお父さんの気持ち。

周りから顔面が強いと言われてたけど口も悪かったあたしだけど、お父さんにとってはそんな事はどうでもよくってただひたすらに「娘」だったからなのかも。

淡く可愛い桜色を選んでくれるほど、お父さんはあたしを大切な娘だと思ってくれてたのかも。


そんな気持ちになったら、もう駄目だった。

ジュエリーボックスに入れてあたしは勝手に封印して逃げた。

いなくなったお父さんがプレゼントしてくれた腕時計をつけて仕事を頑張り続けるほどのメンタルがなかった。


「…だから、今は違う腕時計してるやろ」


横に座った莉兎に視線をずらせば頷いていた。

安い腕時計を自分で買って今は仕事中、それをつけている。

もちろん今の腕時計を買う時、この腕時計が脳裏によぎった。

でも勇気がなくて封印したままだった。


「ひよの気持ちは分かるけど…莉兎ならその腕時計、使い続けるけどな」

「あたしはその勇気がない。もう十年経つのに」


そう、もうお父さんがいなくなってから十年。

なのに未だ思い出すと駄目で。

格好悪いし情けないと心底思う。

お父さんはもう上で呆れてるはず。

手の中の腕時計は既に熱を帯びている。


「やっぱり直しとく」

「それはあかん」

「…何でよ」

莉兎にむすっとしてしまう。

あたしの気持ち、少しでも分かってくれたと思ったのに。

見つめると


「ひよは辛いと思うけど、腕時計も辛いと思うで。だってお父さんが選んでくれたんやろ?それからひよにいっぱい使ってもらってお父さんがおらんようになったからって封印されるんは違うんちゃう?」


莉兎に言われてグッと喉が詰まってしまう。

確かに。

お父さんが時計屋さんで数ある時計の中から選んだ子。

プレゼントされたあたしは使い続けたけど、お父さんがいなくなって勝手に封印。

腕時計だって辛かったはず。


黙って聞いていると莉兎は続けた。

「ひよが封印した間も腕時計は時間を刻んで、知らん間に電池切れて。可哀想やろ」

「…それは、」

「お父さんがおらんようになった事、乗り越えろとか言わんけど…腕時計はまた使ったらええ」

「そう、かな」

「つけてみ」

莉兎に言われるまま、手首につければ懐かしい感覚。

この重み、ステンレス独特のフィット感。

ふっと笑うと莉兎はあたしの髪をくしゃっとしながら

「今の腕時計よりよぉ似合ってる」

莉兎も同じように笑ってくれて踏ん切りがついた。


電池を交換してまた新たに使おう。

お父さんがくれた腕時計と一緒に今の仕事を頑張る。

今度はもう辛い思いも可哀想な思いもさせない。


「莉兎、ありがとう」

「何も言うてへん。それよりこのアクセ全部ほかすからな」

「あー、もう好きにして」

「粉々に粉砕してやりたい気分やわ。胸糞悪い」

「過去に嫉妬?なぁ、嫉妬?」

「するに決まってるやろ!」

「かわよ」





衣類や小物、それから雑貨。

押入れを片付けるあたし。

朝ご飯を食べ終えた莉兎も手伝ってくれた。

片付けが苦手なくせに手伝ってくれるのはありがたい。

莉兎は三段ボックスのボックスの中身を出して「いる」か「いらない」かと聞いてくれている。


「何でヘアアイロンの箱まで置いてるん」

「…自分でも分からん」

「ひよっぽいな」


笑いながら「いらんで」と言えば箱を潰している。

ほんま「箱置きすぎ問題」続出。

その場で捨てればいいのにそれができない。

変やなと思いながら感じる、あたしも結構な衣裳持ち。

この分だと引っ越し先のもう一つの部屋は二人の衣類で埋まりそう。


そんな事を考えてると

「何これ?」

莉兎の声で振り向いて見た瞬間、何かを発するより先に体が動いた。


「それは…っ!何もない!」


近づいて莉兎の手から奪おうとするけどさすがチビ。

すばしっこくてパッと手を引っ込めた。


「ちょっ!返せや!」

「そんなテンパって何やねん、怪しいな」

「ええから返せ!!」

黒い巾着に入れられた細長い箱とその他。


焦るあたしに莉兎は中身を見ようとするから奪うよりも真っ先に手が出た。

スパンっっ!!!

とりあえず頭を殴れば巾着を落として痛がる莉兎。


サッと巾着を回収したあたしは二度三度咳払いをした後

「…もう結構いらんもん分けたかなぁ」

至極普通にぼやきながら辺りを見渡す。


ゴチャゴチャしてるけどゴミの日に出せるものは出して…と考えていたら

「おい、ひよこ!何もしてへんのに叩くなや!痛いやんけ!」

怒る莉兎は頭を片手で押さえたまま。

「いらん事するからや」

「何がいらん事やねん!手伝ってただけやろ!」

「ありがとう」

「…まぁ、ええけどその中身は何なん?」

「忘れなさい」


まるで暗示をかけるように莉兎の額の辺りに手の平をかざして何度も言ってみる。


忘れなさい…忘れなさい…さぁ、忘れるのです…


「あれ…何やっけ?」

「そう、それでいいのです」

「って忘れられるか、アホ!」


一瞬乗ってくれた事がおもろかったのに。

一部始終がおもろくて笑い合ったけど「はぁぁ」と溜め息。

多分言わないままだとコイツはずっと納得しない。


いや、隠してたというより必要なくなったもの。

もうこの存在も結構忘れてたし。

そりゃ莉兎と付き合う前はちょっと、お世話になってたけど。

でももうこれは断捨離。

「いらない物」に分類されるからあたしが処分する。


「まどろっこしいな。そんなんええからストレートに言えや」

「だから…大人のおもちゃ」

「……は?」

「す、ストレートに言えって言うたくせにフリーズすんなや!」


莉兎にフリーズされるとめちゃくちゃ恥ずかしい。

あーあー、もう即捨て決定。

忘れなさいって暗示かけたあたしの方が忘れたい。

全部忘れてしまいたい。

俯くあたしに莉兎はくつくつと笑い始める。


「置いといたらええやん」

「何でやねん。必要ないやろ」

「莉兎が使ったろか?」


え、ちょっと待て。

莉兎が近づいてくる、距離を縮めてくる。

後ずさりしようとするあたしを抱きしめて手から巾着を奪う。

中身を見た莉兎はにぃっと笑う。


「へぇ、ひよってこんな大き」

「言うな!何も言うな!言うたら殺すぞ!」

「あ、ロータ」

「もうしばく!お前ベランダから投げ出したるからな!」

「可愛いなぁ。もう莉兎ニヤニヤぞくぞくしてたまらんわー」

「今すぐベランダ出ろ!」





無駄に疲れすぎた…。

精神的な疲弊がすごい。

片付けてスッキリのはずやのに恥晒しまくっただけやんけ。

くそ!まるで弱み握られた気分や。


一頻り片付け終わり、ゴミもまとめて。

メイクをして着替えて家を出た。

段ボールや紙類はまとめて捨てられる場所に捨てて、時計屋さんで腕時計の電池を交換してもらった。

また動き出した腕時計が嬉しくて左腕につけてチラチラ見る。

心地良かったし、今までごめんなって気持ちで溢れた。

でもやっぱり腕時計の後の衝撃が大きくてぶすっとしたまま。


「そんな怒らんでもええやんか」


お揃いのサングラスをして運転中の莉兎は左手を伸ばしてあたしの右手を掴む。


「調子に乗った時のうさぎのウザさ半端ない」

「ごめんて。ひよこ愛してる」

「ひよこちゃうし」

「ひよりごめん」

「…な、名前呼んだら機嫌直るとか思うなよ!」

信号で止まってひよはサングラスをちょっと下ろして見つめてきた。

「違うん?」

「あ、アホうさぎ…」

「ひよりだけのアホうさぎです。ほんで?どこ行く?」

「適当に走れや」

「承知致しました」


クーラーガンガンの車内。

でも暑いのは暑い。

陽射しの強さは想像以上で青空に浮かぶ真っ白い雲。

もう完全に夏空みたい。

暑いくせに莉兎の左手を解けず、寧ろ握ってる矛盾。

ぶすっとしてるのに手を繋いでる反比例さに自分でもおかしくなりそう。


機嫌を直そう。

恥ずかしいけど知られてしまったものはもう仕方ないし。

一人で慰めてたとか…何だか遠い昔のように思える不思議さ。

おひとり様の切なさも寂しさも全部余すことなく莉兎が上書きしてくれたから。


体を莉兎の方に寄せるけど、遠い。

この車は大きい故に車内も広くてなかなかくっつけない。

「莉兎が遠い」

「それな。莉兎も思う」

「今度買い替えるとしても大きい車にするん?」

「多分」

チビのくせに…と心の中でぼやく。

莉兎が軽自動車に乗ればフィットするかな?

ぼんやり想像してみたけど、似合わないなと感じた。

何せ莉兎はチビだけど態度は百獣の王。

この車の存在感がよく莉兎に似合ってると思う。



車は南に向かっていて気付けばサンセットビーチに辿り着いた。

あの日の事を思い出しながらお互い黙って車を出る。

「あ、っつ!」

「サングラス外したら目やられるやつや」

二人で笑って歩きながら遠くの海を見る。

近づこうと砂浜に足をとられながらも進んでいく。

「やば、風吹いて砂が舞ってる!」

「サングラス神」

「ほんま神」

やたらサングラスに感謝しながらある程度近づいて広がる青の世界。

波と風の音、たまに聞こえるとんびの鳴き声。

こんな暑い日に誰もいなくて独占状態。


莉兎は砂浜を蹴り上げて

「さいこー!」

その後聞こえてきたのは奇声。

子供か、と思いながらも笑ってしまった。


繰り返す波の白。

遠くの海の青。

そして頭上に広がる空の青。


本当にいい景色で暑い事に対しての苛立ちもなくなっていた。



スニーカーも靴下も脱いで莉兎はバシャバシャと波打ち際で戯れている。

海にきたらどうして足をつけたくなるのか。

分からないけどあたしも同じように裸足になって近づく。

硬く黒い砂、さらっと足を濡らしていく波。

気持ちいい。


莉兎に向かって足で波を蹴る。

バシャっと降りかかって笑ってたら

「あのな、いつも思うてるけどほんま足癖悪いねん!」

おらっ!!と逆にやられてしまった。


「足癖悪いて何やねん、ふざけんな!」

「悪いやんけ、莉兎は今までクソ親にしか蹴られた事ないんやぞ!」

バシャっ!


「他人はあたしが初めてなん?」

バシャっ!


「初めてに決まってるやろ!」

「莉兎の初めてゲットー」

あはは、と笑って莉兎からのバシャっ!を待ってたら何もない。

あれ?と不思議そうなあたしに近づいてきた莉兎は何も言わずにぎゅうっと抱きしめてきた。


「なに?」

「そんな初めてで喜ばんでも莉兎の全部、ひよにあげる」

波があたしと莉兎の足を撫でていく。

ひんやり冷たい波じゃなく、少し温い波。

砂浜は硬いけれど段々足が沈んでいく。

足の指の間に入った砂がちょっと気持ち悪い。

頭上のお日様は照らし続けていて、そんな中であたしと莉兎があっつあつ。

黙って莉兎の背中に手を回してぎゅう返し。


「あたしの全部もあげる」

「おん、もらうつもりでおるから」

少し離れて見つめ合う。


じゃれ合ったり愛し合ったり忙しい。

あたし達はきっとこうして過ごしていく。

そんな日ばかりじゃないかもしれないけど、大体こんな感じで。

こんな感じで生きていけたら、ええなぁ。


ぼんやり思いながら気付けば唇を鳴らしていた、催促。

莉兎はふっと笑って短く触れるだけのキスをしてくれた。


もう一回ぎゅううっとした後

「暑いから離れろや」

突然氷点下何度?レベルの言葉を浴びせたら、莉兎は声に出して笑って

「もう、ほんま氷のひよも好きやわ」

髪をわっしゃわしゃに撫でた。


氷のひよってなんやねん。

何か嫌やなと思いながらあたしも笑っていて。

波打ち際から脱出してお互いスニーカーを持って海に背を向ける。


「写真撮ってないよな」

「ちょ、一枚だけ!」

「えー」

莉兎に言われて撮った写真、一枚だけ。

海をバックにお揃いのサングラス。


莉兎はニコニコしてたけどあたしは思った。

バチボコカップルの夏って感じ。

あぁ、もっとゆるゆるふわふわの可愛い女の子になりたい。







気付けば満足にお昼も食べないまま、もう時間はとうに過ぎている。

サンセットビーチの自販機で飲み物を買って足を拭いて運転する莉兎は何故だかご機嫌。

お腹が空いてるはずなのにと不思議に思っていたら

「サンセットビーチのリベンジできたな」

莉兎の呟きに上機嫌の理由が分かって何だかこっちも嬉しくなってしまう。


あの日は雨だったし。

思い出すともう何年も前みたい。

全然そうじゃないのになと感じながらお互い車内に流れる音楽を口ずさむ。

いいピアノの音色とハイトーンボイスで歌われるラブソング。

同じ年齢だから懐かしいと思う音楽やドラマ、ファッションも一緒。

それが心地良いし一緒にいて楽しい。



「今日の夕飯は暑いからそうめんです」

「おぉ、やった!」

帰り道の海岸線沿い、莉兎に言えば喜んでいる。

「そうめんには何が必要ですか?」

「めんつゆ?」

いや、そうやけど。

間違ってないけど、と笑いながら

「天ぷらです」

すぐに答えを言えば

「お、おぉぉ!!」

莉兎のテンションが分かりやすく上がった。

運転しながら既に体が揺れている。

いつもあたしのご飯を「美味しい」と言った時、体を左右に揺らすあのアクションと一緒。


「野菜の天ぷら揚げようと思うんやけど何がいい?」

「とり天」

うん、そうじゃなくて。

頷きながらあたしは莉兎を見つめたままもう一度


「野菜の天ぷらで何がいい?」

「とり天」

「野菜言うてるやろ」

「とり天しか勝たん」

「お前、喧嘩売ってんの?」

「野菜やろ?そんなんよりとり天やて」

そ、そんなん?

はっ…コイツ、マジでふざけてる。

あかん、闘志が湧いてきた。

めちゃくちゃフルボッコにしたくなってきた。

もちろんあたしの拳じゃなく、野菜の天ぷらでフルボッコ。


「許さん…!野菜の天ぷら食べて申し訳ございませんでしたって言わせたるからな!」

「いや、だって所詮野菜やん」

「あーもう腹立つから話しかけんな!」

「何でそんな怒んねん」

「とりあえずスーパー寄って!」

「分かったけど、ひよ熱くなりすぎちゃう?」


その先、あたしは黙ったまま。

野菜の天ぷらの美味しさを知らんとは。

たっぷり味わってもらうからな。

それであたしの望み通り「申し訳ございませんでした」と言わせたるからな。

莉兎はさっぱり意味が分かってなくて「やれやれ」状態。

あー、むかつく。



一人でぷんすこしながらスーパーで買い物をして。

あたしが選んだ野菜たちに莉兎は

「これ天ぷらになっても、」

鼻で笑うからもう許さん、マジで許さん。


家に帰ってからは本気モード。

髪をアップにして速攻戦闘体勢で天ぷら粉を作り始める。

炭酸を入れるのがカラッと揚げるポイント。

これはお母さんから学んだ事。


黙々と暑い中揚げていく。

あたしの心も燃えているから余計暑く感じる。


新聞紙を広げてそこに天ぷらの花が咲いて。

かき揚げ、茄子、にんじん、牛蒡、カボチャ、ブロッコリー、カニカマ、そして鶏肉は大葉で包んで。

肉食獣が「とり天」ってうるさいから揚げてやった。

ほんまは肉食獣を丸ごと揚げてやりたかったくらいやけど。


汗をダラダラ流しながら天ぷらを揚げるあたしに莉兎はチラチラと気にしている。

何度も用事がないのに冷蔵庫を開けてくる辺り、ほんまにウザい。


天ぷらを揚げたらサッとそうめんを茹でる。

でも何束茹でればいいのやら。

莉兎がどれほど食べるのか分からないと思いつつ、もう余ったら次の日の味噌汁に入れようと五束茹でた。

その間に大葉やミョウガを刻んで夕飯の出来上がり。


天ぷらはあたしの闘志の結晶。

でも必死になってたせいで揚げすぎた。

冷凍できるからいいけど…それにしてもこの量。

冷凍庫に入りきらないなと反省。

明日のお弁当は天ぷらになりそう、はぁぁ。


とりあえず家にある一番大きいお皿に盛り付けてドンっと出せば

「すご…」

莉兎は一言呟いていた。

その後、そうめんを持っていって。

後はもみ海苔、麺つゆ、わさびや生姜。

あたしはわさび派だけど莉兎は分からないから両方持っていく。


「はい、いただきます!」

「い、いただきまーす!」

冷たい水と麺つゆを調節して莉兎はわさびを選んでいた。

一緒なんやなと思いながらあたしはそうめんを食べ始める。

夏って感じで最高。

揚げたての天ぷらもサクサクで最高。


莉兎はそうめんを食べた後、天ぷらを選びながらとり天一つ。

肉食獣め…と思ってたら

「うま!!」

ふにゃっと笑顔を向けられて頬が緩む。

「野菜も食べなさい」

「…んー」

気が進まない様子だったけど、莉兎は食べ始める。


かき揚げ…

「めっちゃサクサク!」

茄子…

「うま!」

にんじん…

「え、ほんまにんじん?うま!」

牛蒡…

「噛む度うまい!」

カボチャ…

「さつまいもみたいで甘い!」

ブロッコリー…

「ブロッコリーじゃないみたいやん!うまい!」

カニカマ…

「これ最高」


気付けば食べ尽くしている莉兎は最早とり天よりも野菜の天ぷらを気に入ってる様子。


ニコニコして食べる莉兎に笑ったけど

「お前は油潜らせたら何でもええんか」

呆れてしまう。

何でも天ぷらにしたら食べるんちゃう?

野菜嫌いとか食わず嫌いをもっと克服してやりたくなってしまう。


「ひよ様、申し訳ございませんでした」

お箸を置くと頭を下げて謝る莉兎。

「美味しいやろ?分かったらええねん」

「それもそやけど、暑いのにこんな手間かけてくれてありがとうな」


莉兎の意外な言葉に驚いてしまう。

いや、これはあたしが勝手に闘志を燃やしただけで。

それに好きでやってるんやし。


「あたしが莉兎と食べたいだけやもん」

「それが嬉しいねん。感謝してる」

「…もうええから、はよ食べ」

あたしは牛蒡をぱくっと食べて何度も噛みながら恥ずかしさも嬉しさも一緒に噛み締めていた。


莉兎はあたしが作るご飯を美味しいと残さず食べてくれる。

楽しみにしてくれるし、それだけでこっちが幸せ。

ご飯なんて誰かの為に作るものが一番美味しいに決まってる。

自分の為だけに作るご飯は味気ない。

そして、誰かの為に作ったご飯を食べてもらえない事だってあった。

だから今、幸せなのはあたしの方。


「そうめんなくなりそう」

笑う莉兎に驚きながらしっかり覚えておく。

莉兎とのそうめんは五束じゃ足りない事。

脳内にメモしていると

「天ぷら永遠に食べれるな」

また驚く事を言われた。

「まだあるけど」

「そうなん?」

「めっちゃ調子乗って揚げたもん」

「全然食べるで」

ニコニコしてる莉兎に笑ってしまう。

天ぷらは揚げすぎという事などない。

これも脳内メモに貼り付けておこう。


莉兎に寄りかかりながらもぐもぐしている頬をツンツン。

「美味しい?」

「当たり前やん。最高や」

「ほっぺた膨らんでるで」

まるでリスかハムスター。

頬袋でもあるかのよう。

必死な莉兎に寄りかかったままあたしはお腹がいっぱい。


莉兎が食べ終わったら片付けと天ぷらを冷凍用とお弁当用に分けて。

お風呂に入ってやっとゆっくり。

明日から仕事。

三連休、たっぷり莉兎補給できたし頑張れる。


「明日、お弁当に天ぷら入れていい?」

「めっちゃ嬉しい」

「ほんまスパダリやな」

「何で?」

「そういうとこやぞ」


残り物をお弁当に入れても文句一つ言わないそのスタイル。

嬉しいしその上ありがたいのに意味が分かってなくてきょとんとしてる莉兎の髪を撫でて


「好きやで」


あたしは甘えるように呟いた。


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