第2話 蘇った記憶

 茶色い煉瓦造りの小さな屋敷の軒先に、白い柑橘の花が揺れている。

 ミアの家、メルクリオ家は商家だ。

 ミアの母が亡くなった後、ミアの父が後妻を迎え、今は父と継母と継母の連れ子の義姉、そしてミアの4人で暮らしている。


 父の商いが上手くいかず使用人に賃金が払えなくなり、ミアが家事をするようになって早半年。

「ここは……廃墟か……?」


 ミアはお世辞にも家事が得意だとは言えなかった。

 メルクリオ家の屋敷の勝手口を抜け、台所にたどり着いた時に、ミアの後ろにいた男が呟いたのだった。


 床に物が溢れ埃がつもり、そこかしこで積み重ねられた物が雪崩れている。

 キッチンには白い汚れが溜まっていて、コンロにはベトベトした汚れがついていた。


 ミアは思わず不機嫌に言い返す。

「失礼ですね。この家には使用人がいないので、ここが現在進行形で私の仕事場です。何ですかそのこの世の終わりのような顔は」

「いやヤバい奴についてきちゃったなって」


 ふう、とミアはため息をつく。

「そうですよ。私はヤバい奴なんです」

 投げやりに言うと、ミアは綺麗な水を用意して、窓際に干していた白い布を取り水に浸して絞る。


「この布なら綺麗です。掃除や炊事は苦手ですけど、洗濯はマシな方なので安心してください」

 ミアは鼻血で汚れた顔を拭こうとして男の頬に触れた。


 その時だった。


(———え)


 ドクン、と心臓が大きく鳴った。

 目の前に、知らないはずの光景が次々に浮かんでは消えていく。知らないはずの人達の顔が浮かぶ。知らない声、音、映像、文字———


 ミアは全てを思い出した。

 ここは前世で遊んだ『ディアマンテ王宮恋物語』という乙女ゲームの世界だ。この都の街並みを、遠目から見る王宮の形を、ミアはゲームで遊んで知っていた。


「大丈夫か?」

 ミアは目の前でこちらを不審そうに見ている男を改めて見つめて、思わず呟いた。

「……火の男爵グイド・クレメンティ」


 彼はディアマンテ王宮恋物語の攻略キャラクターの1人。そして———

「俺のこと知ってたのか」

 グイド・クレメンティはミアの前世の推しのキャラクターだった。


「まぁ……四大貴族様ですから」

 咄嗟にミアは冷静なフリを装った。


 ディアマンテ王国が誇る、火、水、地、風の四大精霊に愛される四大貴族。

 彼らは精霊の恵みで、それぞれ違う属性の魔法を使うことができる特別な人間だ。


 鼻血を拭いている間、グイドはされるがままで大人しかった。

(こうしてみると、やっぱりかっこいい。いや可愛い)

 正直でまっすぐで、何かと世話焼きなグイド・クレメンティ。


「何考えてる?」

 不機嫌そうな顔で睨まれて、ミアは正直に口走ってしまった。

「子供みたいで可愛いな、と」

「かっ……」


 ボン!と音がするようにグイドの顔が赤くなる。

 クス、とミアは微笑んだ。

「他にお怪我は?」

「……擦り傷くらいだ」


「それは良かった。あの崩れた橋、結構古くなってたんです。地元民はあまり使わないようにしてたんですけど。男爵様はご存知なかったんですね」


「今日は踏んだり蹴ったりだ。国王陛下の命令で婚約破棄はされる、黄昏てたら川には落ちる、変な女には殺されかける」

「婚約破棄ですか……そして黄昏てたんですか。ダメですよぼんやりしちゃ」

「最後だけ聞かなかったことにすんな」


 ミアは、グイドが婚約破棄されるエピソードなんてあったかな?と、考えてしまった。

 推しのグイドの情報を見落としたなんてことはないと思うのだが……

(ゲームの物語とは少し違う?)


「お前は一体何やってたんだ、川の中で!」


 ミアは言葉に詰まった後、小さな声で答えた。

「亡くなった母の……ネックレスを探していました。川に落ちた時に失くしてしまって」

 ひゅっ、という息を吸い込む音にグイドの顔を見ると、彼は愕然とした表情をしていた。


「……見つかったのか?」

「いえまだ。あ、でも気にしないでください! この後また一人で探しますんで」

 ミアが言い終わらないうちに、グイドは立ち上がって勝手口に向かい始めた。


「グイド様!?」

「探すぞ、そのネックレス」

「ちょ、ちょちょちょ、待ってください!」

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