4(回想・太陽、地元に帰る)

 大きな仕事が落ち着いた頃、太陽は東京を出ることにした。

 原因は、心身の健康と生活サイクルの維持管理の目的で引き取った、2匹の雑種の保護犬だった。

 東京で当時住んでいたマンションはペット可だった。不整脈の経過観察を含めて、通院を続けていた頃、ふとした話の流れでアレルギーがなければ犬や猫を飼うことを勧められたのだ。

 あいにく猫はアレルギーがあるため無理だったが、犬ならいけるということがわかった。

 そこに、ちょうどマンション近くの保護団体が譲渡会をするという知らせを目にして、会場に赴いた。

 一目惚れしたのは、2匹の子犬だった。似たような体格、似たような顔立ちの犬で、他の犬が愛想を振りまくように元気に遊んでいる中で、その子達は隅の方でひっそりと身を寄せて眠っていた。

 聞けば、この2匹は同じトレーナーのもとで現在保護されている子だそうで、兄弟同然に過ごしている犬達だという。

 それを聞いて、いっそう引き離すのが惜しくなった。

 譲渡を受けるためのエントリーシートに名前と連絡先、家族構成、平均在宅時間、犬の飼育経験と志望動機とその2匹を同時に引き取ることを希望する旨を添えて提出して帰った。

 犬なら生まれる前から高校時代まで、コッカー・スパニエルを実家で飼っていた。毎日散歩を家族全員で数十分ずつ行っていた。ただ、ある時期から姉の分まで太陽が散歩に行かなければならなくなった。作曲の習慣は、その頃の散歩のひまつぶしの鼻歌からはじまっていると言っていい。

 先代犬が亡くなった時は悲しかった。だが、安堵もした。最後の方は目もまともにみえず、散歩も寒い日と暑い日は避けるようになっていて、家ではおむつも欠かせなかった。

 この犬たちが亡くなるときは、その苦労を2匹分し、悲しみも2匹分背負うのだと考えると、内心では自分よりも裕福な、たとえば子どもの居る家族なんかに迎えられてほしいと思った。

 だが、皮肉なもので保護団体からは譲渡の権利獲得を通知する連絡が届いてしまった。

 これをうけて、太陽は急いでマンションのリビングを子犬2匹を迎え入れるための環境整備に奔走した。

 餌皿に水飲み器、半畳ほどのケージを2組ずつ。リビングのペット用クッションシートの設置と滑り止めのタイルカーペットの敷設などである。

 だが、最後の関門、マンション管理会社への通知で事は止まった。

 雑種の犬2匹を引き取る、と言った途端、それまで歓迎する空気だった態度が豹変したのだ。

「あー、中型犬以上の多頭飼育は規約にひっかかりますね。賃貸契約書の3ページ目、ペットの種類のページです」

 そういわれて、埃をかぶっていた書類棚の一番奥の『マンション関係』のファイルをひっぱりだし、賃貸契約書の写しを見た。

 確かに『猫2匹まで、小型犬2匹まで、中型犬大型犬共に1匹まで、その他小型動物は特に制限なし(有毒生物に限り事前に管理会社に報告すること)』とある。

「えーと、これは……子犬のうちはオーケー、ということでいいんですよね?」

「まあ……そうですね。体重10キロを越えたら退去して頂くことにはなります」

「わかりました。まだ4キロ未満なので、3ヶ月以内に転居先を確保します。それでどうでしょう?」

「そういうことなら、まあ、いいでしょう」

 そういう形で話は決まった。

 太陽は保護団体へのメールの返事を書く前に、全力でネット上の東京23区外の中古一軒家物件の不動産販売の情報を検索した。条件は、現在の貯蓄を全て使って即金で買える一戸建て、駐車スペースつきである。音楽家は将来性の安定しない自営業だからローンが組めないのだ。

 検索をかけると、出てくるのは青梅か八王子、築年数が太陽の年齢を越える木造物件ばかりである。

 ためしに同じ条件で地元、隣県の柏原台で検索をかけてみた。

 こちらのほうがまだ築30年未満の家がぽつぽつ出てくる。そこそこに治安の良いエリアの物件もある。

(いっそのこと、柏原台あっちに買ってしまおうか)

 子供の頃から犬の散歩で歩き回っていたから、土地勘もある。

 しばらく検索し、2階建ての3LDKで、2階を収納兼仕事部屋、1階を寝室に割り振れそうな物件を見つけた。

 連絡先の不動産屋がまだ営業時間中であることを確認して即座に連絡をし、内見の予約を取った。

 そのうえで、保護団体にもろもろの事情の説明と、それを踏まえたうえで地元である隣県の柏原台への転居を計画している旨を長文のメールで伝えた。

 さらなる返事が同日夜に帰ってきた。

『ご事情、了解いたしました。里子のコたちの精神面を考えて、一時トライアルを現在お住まいのマンションにて行い、その結果を見て柏原台の転居先にてお預けするという形でよろしいでしょうか?』

 という返事が来た。

 これを受けて、太陽は腹をくくった。

 マンションの管理会社には3ヶ月と伝えた退去予告通り、柏原台の築27年の3LDK戸建てを購入、仕事部屋の配線と防音、寝室の床張り替えと窓サッシ類の断熱化等の簡易的なリフォームを翌月中に済ませた。リフォーム終了の報告を受けてすぐに夜逃げのように荷物をまとめて迅速に転居、3ヶ月目を待たずに新居にて犬たちを迎えた。

 最初に会ったときより、2匹は一回りほど大きくなっていた。抱えた感触も、2匹同時だとまるで5キロの動く温かい米袋をそれぞれの腕に抱えているようだった。

 久々に嗅いだ犬の匂いは、ポップコーンとおひさまと、少しおしっこの匂いがした。

 犬たちの名前は、引っ越しを手伝ってもらった柏原台プロレスに所属している友達に決めてもらった。賢い方はロック、少しやんちゃな方がストンコだ。由来はアメリカの歴史的名勝負を繰り広げたプロレスラーだという。


 そのような経緯を経て、太陽はフリーの作曲家として地元、柏原台に帰ってきた。


 地元に拠点を移し、母の高額な治療費がなくなって、皮肉な話だが経済的な負担は軽くなった。ツキジ時代の付き合いで事務所を離れても楽曲依頼をしてくれる業界関係者やローカルアイドルのアイドルプロデューサーなどもいた。そうした諸々のおかげもあって、犬の終末期にそなえた医療費の貯蓄ができるくらいの余裕はあった。

 先を見通しても、心配なのは実家で一人暮らしをしている父親くらいだ。

 ……実家での父との同居を選ばなかった理由は2つある。ひとつは、在宅介護になった場合、そしてその時犬の加齢による介助の必要性が重なった場合、おそらく自分は心身ともに耐えられないだろうと思ったからだ。そんな精神面の健康状態や心臓に爆弾を抱えた人間が、本来犬を飼うべきではないことは、自分でもよく理解している。

 それでも、小さな2つの命に憐れみを抱いてしまったのだ。

 ……父には既にその話はしているし、必要になったらヘルパーを雇ったり、自治体の支援を受けると本人が言ってくれた。そして認知症などのさらなる問題の発生の兆候が出た時は、実家を担保に入れて近所の特養老人ホームないし高齢者支援住宅に移り住むという話まで交わしてくれた。

 犬達に関しては、元気な若いうちにたまに散歩で実家につれてきてくれればいい、とも。

 これからは、お互いゆっくり生きていこう。

 父とそんな話をした。音楽で食っていくことを最後まで反対していた人間とは思えないほど柔らかく、音楽家としての人生の先細りが決定した息子を受け入れてくれた。

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