神宿しの郵便屋

まるる

第1話:『風の便りと、狐面の少女』

「……風が、呼んでる」


稲葉風真は、配達袋を背負いながら空を見上げた。


秋の空は澄んでいて、風はどこか懐かしい香りを運んでくる。


「……たしか、このあたりだよな。“狐坂”って」


彼が足を踏み入れたのは、小高い山の参道。


鳥居がいくつも連なり、紅葉がふわりと降る、静かな神域だった。


配達先は、「狐坂神社・神主さまへ」とだけ書かれた封書。


差出人は不明。切手もない。けれど、その手紙には――神気が宿っていた。


「……この手紙、泣いてる気がする」


風真は封を開けたりはしない。ただ感じ取るだけだ。


手紙が伝えようとしている「気持ち」を。


寂しさ、懐かしさ、ひとひらの祈り。


それが風のように、彼の心に吹き込んでくる。


「よし、届けるぞ」




* * *




神社の境内は、誰もいないはずだった。


けれど、ふいに――鈴の音がした。


チリン。


振り向くと、赤い鳥居の下に、ひとりの少女が立っていた。


白い着物。狐の面。


右手には箒。左手には、小さな木の箱。


「……こんにちは。えっと、神主さんは――」


「神主は、今は不在です」


狐面の少女は、静かに答えた。


その声は若く、けれどどこか「人ならざるもの」の気配があった。


「この神社に、手紙を届けに来たんだ。……これ、渡しても?」


少女は一歩、風真に近づくと――すっ、と手を差し出した。


「これは、"忘れられた神"への手紙ですね」


「……わかるの?」


「私も、かつてそう呼ばれていたことがありますから」


風が吹いた。紅葉が舞う。


少女は、狐の面を外さないまま、風真に小さく頭を下げた。


「ありがとうございます。神さまは、こうして思い出されることで、もう一度、この世界と繋がれるのです」


「……うん。手紙って、そういう力があるよね」


風真は少し照れくさそうに笑った。


「それに僕、神さまの気持ちが“ちょっとだけ”わかるから。神宿し、だからね」


「……ふふ、それはとても素敵な才能ですね」


少女はそう言って手紙を抱きしめた。


その瞬間、空がやさしく鳴った。


神社の鈴が、ひとりでに――カランコロンと、音を立てた。


「……この神社、また神気が戻りそうです」


風真は、風の匂いを嗅ぎながら、うなずいた。


「また、何かあったら配達するね。次はお手紙、君からでもいいよ?」


少女は、微笑んだ気配を残して、そっと踵を返す。


「そのときは……名をお伝えします。今日はまだ、名乗れませんから」


風真は、小さく手を振った。


「うん。またね、狐面の少女さん」


彼の足元には、風がやさしく渦を巻いていた。

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