【第17話 もう一つの最終章】

 定理:最初の読者が止まれば、最後の読者は自由になる。

 この一行を、ボードのいちばん上に置いた。以後の操作はすべて、この定理の系だ。


 最終章を二つ用意する。

 A=正典:順路どおり、物語は時間を進む。

 B=鏡:結論を前に出し、脚注を前置き、見出しは二点不均等、鍵文の前後に0.7秒ずつ息。

 どちらもno_final_period。句点は譲渡。読者に“止める権利”を渡す。


 公開前のブースで、私はふたつの最終を同じ声で読む。

 Aを読むと、身体は“流れ”を欲しがる。山が見えて、いまにも73%の気持ちよさに届きそうになる。指先がPageDownの既定拍に合図を探す。

 Bを読むと、前渡しした息が蝶番を鈍らせ、脚注→本文の逆順が、最短路の刃を空振りさせる。cluster_syncは下がり、gaze_divは広がる。72.9%。

「山裾に留まったまま、幕が閉じる」本條がログに書く。「緑の気配はあるのに、灯にならない」


 式は再掲しない。代わりに、定理の補助線を一本だけ足す。

 補題:最初の読者のsoft_pauseは、群れのsoft_pauseを誘発する。

 劇場の観客を思い出す。最前列のひとりが笑いを堪えたとき、後列の笑いが遅れるように。止まるは伝播する。


 読みの実験を公開に移す。

 場内スクリーンにAとBを交互に映し、朗読テンプレ(鍵文→息→無意味語)を固定する。合図は一切、画面に見せない。

 最初に立つのは、毎回ひとり目の読者だ。あなたが最後の読者である。——この行に触れたとき、前後0.7秒のsoft_pauseが、波のように周囲へ広がる。

 first_soft_pause → cluster_soft_pause (p↑)

 モニタの数値を声にせず、感覚だけを共有する。半拍の遅れが、次の半拍を呼び、R<1のまま場が落ち着く。最初が止まれば、最後は自由になる。最後の読者は、句点を受け取り、押し付けられた終わりではなく、自分の停止を選べる。


「二つの最終は、同じ場所に着くの?」高月が尋ねる。

「HALT_LOCK」来栖が答える。「FINAL_STATEは一つ。ただ、道筋が違う。Aは“物語の慣性”を折って止まる。Bは“物語の向き”を逆相にして止まる」

「両方を並べておく意味は?」

「証拠のため」私は言う。「設計=犯行が真なら、設計=停止も真になる。二通りの設計で、同じ停止に落ちるところまで見せる」


 夜、B版の最終章だけを街頭で流した。白いリングに人が入り、左右逆相の息で半拍止まる。

 street_R = 0.93 / dwell_time +0.5s

「最後が自由って、どういうこと?」若い読者が小さく訊いた。

「誰の句点でもないまま、あなたが止めるということ」私は答える。

 彼女はうなずき、指先を下ろした。そこには句点がない。けれど、止まっている。


 章末、スクリーンを暗くする。緑は点かない。灰色だけが、薄く呼吸している。

 ——次話「停止の証人」。止まった事実を、誰のものでもない証言に変える。

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