3話 パーティーはそのままに


俺たちは、俺の新しい船――大型デッキサルーン艇が置かれている区画へ戻った。

そのムーディーDs54デッキサルーンの船体は、ヨットとモータークルーザーの中間のような構造で、007の最新作に登場してもおかしくないスタイリッシュなフォルムがウリだ。


セイラーのようにキャビンが船底に沈んでいるわけではなく、

甲板の上に〈パイロットハウス〉と呼ばれる操舵室兼リビングが載っている。

甲板から段差なく室内に入れて、しかも強力なエンジンを積んでいるから

使い勝手はモータークルーザーに近い。


――15メートルを越えた船ともなれば、もう“水上の別荘”だ。


クリスマスで混雑するラウンジやBBQコーナーは避け、

俺たちはヨット〈セルケト〉で蜜の選挙のささやかな打ち上げを兼ねた

プライベートパーティーを開いていた。


夢の島マリーナはインフラが整っている。

シャワーやランドリーはもちろん、電気も水道も桟橋から直接引き込める。

震災のとき、俺はここで半年間、実際に“快適すぎる避難生活”を送った。


駐車場も広く、会員なら料金さえ払えば何台でも置ける。

だから俺のようにエアストリームのトラベルトレーラーを置きっぱなしにして、

蜜の選挙期間の“作戦拠点”として活用することもできる。



◆ キャビンにて


蜜がワイングラスをくるりと回し、杏子へ視線を向けた。


「杏子ちゃん。

 ……アギトとはどういう関係?」


杏子は笑った。


「ただの料理教室の知り合いよ。

 ワインに凄く詳しいし、話してると楽しい人。

 “味に色が見える”って言ってたけど……特に怪しい感じはしなかった。

 ソムリエかと思ったくらい。」


俺は頷く。


「共感覚者だ。

 俺とはタイプが違うが――“本物”だ。」


蜜も小声で言う。


「分かるわ。私も共感覚あるから。

 アギト……普通じゃない。」


(俺たちにしか分からない話だが、

 本当はパイカルのときと同じように“生体磁場の共振”を感じた。

 ただ、俺が現場に着いたときには奴はもう消えていたが――)


味沢が腕を組んで唸る。


「曲者どころじゃねぇ。

 アギト……大した“食わせ物”だ。狙いは何だ?」


FMからはシナトラの《Strangers in the Night》が流れていた。

“知らない誰か同士”がすれ違う夜の歌。


そのとき――甲板の方で、豪快すぎる嘔吐音が響いた。


「オエェェ……! もう無理……!」


赤井が魂の抜けた顔で戻ってきた。


「ゲロ吐いて死にかけました……!」


吉岡が支えつつ言う。


「海保大1年でやめた理由って……これじゃねぇよな?」


「ち、違うって……! まぁ半分はそうスけど……」


俺は肩をすくめた。


「……やれやれだぜ。」


赤井は息を整え、突然叫ぶ。


「それより! 俺のゲスト、まだ来てないんですよ!」


味沢が眉を寄せる。


「ゲスト?」


赤井は悪びれもなく言う。


「海保大の先輩ッス。

 クリスマスパーティーするって言ったら、

 “サプライズで行くわ”って。

 料理うまいし、ワイン詳しいし、

 “味が色で分かる”って言う変わった人ッスけど……

 でもめちゃくちゃカッコよくて。

 俺ら憧れの人だったんスよ。」


俺、蜜、味沢が――ゆっくりと視線を交わす。


杏子の手にあるアゼルバイジャンワインの瓶に、

三人の視線が吸い寄せられた。


赤井がきょとんとして聞く。


「え、サソリ先輩って……みんな知り合いだったの?」


――間違いない。

アギト=佐反晄人。


赤井は続ける。


「最近ロシアから帰ってきたって――」


味沢・蜜・杏子の三人が同時に凍りつく。


赤井だけが何も分かっていない。


吉岡がぽつり。


「へぇ……その話、さっきも出てたな。」


俺はワイングラスを指で回しながら、静かに言った。


「気にするな。

 ――名前がそのまんま過ぎるな、と思っただけさ。」


そして軽く笑って言った。


「さっき来て、さっき消えた。

 ……如何にもお前の先輩らしいな。

 “普通の人の三倍の速さで退場”ってところか。」


赤井は首を傾げ、吉岡は冗談だと思って笑った。


FMから流れる《Strangers in the Night》が

ゆっくりフェードアウトしていく。


こうしてヨット〈セルケト〉のキャビンでは、

蜜・杏子・味沢・蘭・吉岡・赤井が

グラス片手に、ささやかなパーティーの続きに浸っていた。



そのとき、

桟橋の方で控えめな足音がひとつ。


ノックもなく――扉が静かに開いた。


黒いカシミヤコート。

無駄のない立ち姿。

そして目元に、あの独特の“静かな殺気”。


白乾児だった。


手には、キャビアの缶と

アゼルバイジャンのビオワインの紙袋。


味沢が眉を持ち上げる。


「……パイカル、お前、どこ行ってた。」


白乾児は軽く会釈した。


「すみません。

 恩師のところに顔を出していました。ここにくる前に、“教授の方で”どうしても会わせたいという人がいるというんで、少し長引きました。」


語り口はいつも通り穏やかだが、

その一語一語の背後に“刃”が見え隠れする。


杏子が驚いたように言う。


「恩師……? もしかして、あの……?」


白乾児はうなずき、紙袋をテーブルへ置いた。


「ついでに、手土産を。

 キャビアと……アゼルバイジャンのビオワインです。」


味沢が呆れたように笑う。


「おい、またキャビアかよ。

 お前ら、今日はキャビアの日なのか?」


杏子の表情が固まる。

蜜も言葉を失う。

蘭のまなざしが鋭く光る。


白乾児は静かに言った。


「ここに来るのに手土産を何にしようかと思っていたら、そのワイン好きの人が、お近づきの印にと。」


蘭が小さく頷いた。


蜜が息を呑む。


杏子は自分の手に残るワインの瓶を見つめた。


味沢が低い声で言う。


「……アギトか。」


白乾児は短く答える。


「ええ、とても愉快な男でしたよ。“色んな意味”で。」


空気が一段冷たくなる。


蘭はグラスを揺らしながら静かに言った。


「――“共鳴”していたんだな。

 やはり確定だ。奴も、こちら側だ。」


白乾児は軽く苦笑した。


「どうやらあなた方が思っているより、

 彼はずっと前から“舞台”にいますよ。」


蜜が眉を寄せる。

味沢が小さく息を飲む。



赤井と吉岡は意味が分からずぽかんとしていた。


赤井

「え? パイカルさん、先輩と何かあったんですか?」



白乾児は赤井へ穏やかに微笑むと

ワインの瓶を卓上に置きながら付け加えた。


「ああ、因果率のなすがままに。」


赤井と吉岡はますます混乱し、

味沢は頭を抱え、

蜜は戦慄し、

杏子は息をのみ、

蘭は笑った。


この夜、謎は一つ解け、三つ増えた。


だが――

“仲間”はまた、一人増えた。

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