第1話

 ――また、声が聞こえる……沢山の、子供達の声……


 ――笑ってる……? いや……泣いてるんだ……それに悲鳴も……


 ――パチパチ聞こえるのは……拍手……? 何か違うような……


 ――真っ暗で何も分からない……それに、指一つ動かせない……


 ――声が離れてく……嫌だ……怖い……ボク、は……んな……て……


 ――……に…………さ……………………



 「ソ……タ……」


 ――……呼……でる……誰か……ボクを、呼んでる……


 「……ウタ…………ソウタ――ッ!」


 段々と近付いてくるように大きくなるその心地の良い声に導かれ、ボヤけた意識がゆっくりと鮮明さを取り戻していく。

 薄っすらと開いた瞳が目の前の小さな黒いテーブルとその上に置かれたペットボトルに焦点を合わせていくと、柔らかい椅子に腰掛けた身体に細かな振動が伝わってくるのを感じた。

 そこは走行中の車の中、隣に座る女性が俯いた少年の顔を心配そうに覗き込んでいた。

 「もうすぐ着きますよ、大丈夫ですか?」

 「……大丈夫、異常はないよ、ウシオ。問題ない」

 小さく、ため息のようにフゥと一息吐いてソウタと呼ばれた少年の声は続く。

 「また、同じ夢を見た。前にも話した、子供の声の」

 少年の話を聞くと女性は困ったように眉を下げ尚も心配そうな顔を見せた。

 「……最近、夢を見る事が増えてきましたね……良い兆候だといいですけど……」

 ウシオと呼ばれた女性は少年と同じ様に小さくため息を零し、少年の背中をさするように手を添えた。

 今度は大きく、ゆっくりと深呼吸をするとソウタと呼ばれた少年は窓の外へと目を向け、流れ行く街並みを見つめながら現在地を確認した。

 「あと五分くらい……か、博士の乗った飛行機は?」

 「予定通りです、トラブルがなければあと十五分ほどでご到着されると、先程ベッキーから連絡がありました」

 問い掛けにウシオから卒なく答えが返ってくるとソウタは窓の外を見つめたまま呟いた。

 「トラブルがなければ、ね」

 呆れとも諦めとも取れる含みのある反応を零しつつ、少年は真っ直ぐな道をひた走る車の窓から流れる景色を無機質に眺めていたのだった。



 ここは太平洋上――かの大災害フラッシュフォールが起きた際光の柱が立ち上ったとされるまさにその場所に建造された円形、直径約二百キロメートルにも及ぶ巨大な人工島である。

 この島は中心から放射状に十分割され、それぞれのエリアを世界を十に分けた各グループが独自に管理、統治を行っている。

 中心から半径約五十キロメートルの位置には島の内側と外側を隔てるように建てられた分厚い壁がグルリとまあるく連なっており、壁の内側には本部職員の居住区や研究施設等が置かれた内街が、壁の外側には多数の商業施設や飲食店の他、世界中から集められた能力者達の居住区が立ち並ぶ外街が広がっている。

 この島へのアクセスは主に空路と海路の二通りあり、内街外街の双方の中ほどにそれぞれ空港が、また島の外縁部には港が整備されている。

 島内の移動にはタクシーやバスと言った車のほか地下鉄道網が整備されており、他国が管理するエリア間であっても身分証明程度の軽いチェックだけで島中を比較的簡単に移動する事が出来るようになっている。ただし、これはあくまで外街での話である。

 外街から内街への移動、つまり壁の内側へ入るには本部発行の特別な通行パスを必要とし、更に島の中心部に位置するアークエイド本部への立ち入りともなると指紋や声紋のみならず静脈や虹彩認証と言った厳重なチェックをクリアしなければならない。

 空を飛べたり姿を変えられる能力者なども確認されている為、セキュリティには万全を期されている。



 そんな島の日本エリア、内街の空港に一機のプライベートジェットが降り立つと滑走路脇に停まっている一台の車の方へと近付いていった。

 やがて飛行機が止まり乗降口のドアが開くと一人の、まるで南国にバカンスでもしに行くかのような浮かれた格好をした白髪交じりの男性が颯爽と降りてきた。

 乗降口に連なる階段の下で男性を出迎えたのは子供と女性。

 全身を白い和装に身を包んだ十歳くらいの、一見女の子かと見紛う程に可愛らしい顔をした、無愛想でまるでお人形のように中性的な黒髪の男の子。

 そして男の子と同じく白い和装に身を包み、その上からフリフリの可愛らしいエプロンドレスを見事に着こなした二十代くらいの黒髪の女性である。

 女性の立ち姿はとても美しく、一瞬スラッとした細身に見えるのだがよくよく見てみると服の上からでもはっきりと分かる大きな膨らみが二つ、お腹の辺りを絞る帯の効果も相まって猛烈な存在感を放っていた。

 子供と女性、二人は揃って丁寧にお辞儀をすると白髪交じりの浮かれた男性に対し少年から歓迎の挨拶が送られた。

 「ようこそ、ブリスコラ博士。お待ちしておりました、ご来訪を心より歓迎致します」

 お人形のような少年はややぎこちない笑みを浮かべながら男性に握手を求めるように右手を差し出した。が、男性は握手にこそ応じてくれたもののどういうわけか、どこか困ったような苦笑いを浮かべながらこう述べた。

 「あーえっと……歓迎? してくれてるのかな? 悪いんだけど僕英語しか分からないんだ、僕の言葉はあー……伝わってる?」

 男性の話を聞くと少年はなるほど、と小さく呟き今度は英語で男性に話し掛けた。

 「ドクターブリスコラ、招待状に同封した耳飾りは持ってきていますか?」(※英語)

 少年の急な英語での返答に男性はWOW! と驚き笑顔を見せると同時に突然思い出したように全身のポケットをまさぐり始め、ようやく見つけた耳飾りをすぐさま自身の左耳へと取り付けた。

 「いやごめんごめん、そういえば手紙にもそんな事書いてあったね。ここに来るのが楽しみ過ぎてすっかり忘れていたよ、君英語上手だね」

 HAHAHAと一人陽気に笑う男性をよそに少年はにこやかな笑みを顔に貼り付けたまま淡々と説明を続けた。

 「この島にいる間は常にその耳飾りを着けていて下さい、あらゆる言語をリアルタイムに自動翻訳してくれます。それと緊急時の対策としてGPSや通信機能も付いていますので、くれぐれも失くさないようにご注意下さい」

 少年から耳飾りに関する説明を受けた男性は興奮した様子で目を輝かせた。

 「ハハッ、こんな小さいのにすごい機能だね! 流石人類の最先端を行く島アルカディアだ!」

 「アルカディア?」

 少年は男性の口から出た耳慣れない言葉にキョトンと小首を傾げるとどういう意味でしょうか? と尋ねた。

 「この島の呼び名さ、ARCAIDにエージェンシーのAを加えて少し並び替えると……ARCADIA、アルカディアだ! 島の外では皆そう呼んでいるよ、人類の叡智を結集した最高のユートピアだ! ってね」

 男性は芝居がかった大仰な身振り手振りで溢れんばかりの興奮を表現していた。しかしその一方、目の前で話を聞いていたはずの少年はと言うと……

 「アルカディア……理想郷、ですか」

 何か思う所があったのか、少年は足元の地面の一点を見つめ何か考え込んでいるようだった。すると傍らに立っていたエプロンドレスの女性は少年の肩を叩きそれを静止した。

 「ソウタ、そろそろ」

 思索から引き戻された少年はハッとしてチラリと女性を見上げ即座に反省の弁を口にした。

 「ッ……あぁ、ごめん。それではブリスコラ博士、到着早々で申し訳ありませんが統括理事会の皆様がお待ちです。本部までご同行をお願い出来ますか?」

 少年が背後の車へ促すような仕草を見せると白髪交じりの浮かれた男性、もといブリスコラ博士はOK! と元気にハンドサインを掲げ意気揚々と車に乗り込んでいった。

 目的の人物を無事に車へと乗せ少年と女性は互いに顔を見合わせ頷くと、同じ車へと乗り込み一同は島の中心部に建つアークエイド本部へと向かうべく空港を後にしたのだった。



 空港を出てすぐ、来た道を戻る車の中では黙って到着を待つなんて出来ない! と言った様子で未だ落ち着きのない博士が小さなテーブルを挟んで向かい側に座る少年と女性に興味の矛先を向けていた。

 「えーっと……そういえば君達の名前、まだ聞いてなかったよね?」

 「あぁ……そういえばそうでしたね、失礼しました」

 少年と女性は揃って頭を下げるとやや口元を緩め、耳飾りの件で流れていた挨拶を再開した。

 「では改めて自己紹介を。ボクはソウタ、ミソノソウタと申します。こちらはウシオ、ボクの姉……のようなものでしょうか」

 どうぞお見知りおきを、と二人揃って恭しくお辞儀をすると博士は挨拶もそこそこに早速抑えきれない好奇心を露わにした。

 「ソウタ君達は統括理事会からの指示で僕を迎えに来たんだよね? という事は二人も能力者だったりするのかい!?」

 博士は座ったままではあるが顔をズイッと前に突き出し、斜め四十五度はありそうな前傾姿勢で子供のように目を輝かせていた。


 ――能力者(あるいは異能力者とも呼ばれる)

 大災害フラッシュフォール以降、世界中で確認されるようになった異能の力を獲得した者達の総称である。

 フラッシュフォール直後に自身に発現した異能の暴走や混乱により多くの能力者が亡くなってしまったと見られているが、それでもまだまだ数多くの能力者が生き残っている。

 異能を得た者と得なかった者、両者が同時に存在する為その間に出来た溝は非常に深く、お互いがお互いを恐れ距離を取る事で一時的な安寧を得てはいるものの、両者の関係は未だ改善の糸口を見出だせずにいる。

 アークエイドの造ったこの島ではそういった異能の力を持つ人々を世界中から集め、異能及び能力者の研究や力の制御の為の訓練など様々な課題に日夜取り組んでいるのである。


 博士から食い入るように見つめられながらも幾ばくも動じる様子はなく、ソウタは相も変わらず無愛想な顔で熱心に注がれる興味の視線を受け流した。

 「ええ、その認識で相違ありません。能力者に随分と関心が高いようですが、博士ご自身は違うのですか?」

 ソウタが質問を返すとどうした事か、途端に博士の顔から笑顔が消えていった。

 「……ああ……口惜しい事にね」

 呟くように答えると博士は意気消沈したように俯き項垂れた。

 つい今しがたまで子供のように目を輝かせ直向きな好奇心を見せていた博士はまるで別人にでもなったかのようにがっくりと肩を落とし、大きなため息を深く吐くとそれまでとは打って変わった真剣な眼差しをソウタに向け、ゆっくりと語り始めた。

 「能力の獲得、発現条件については結構議論が進んでいて……『例の光を見た』、もしくは『浴びた』者が、『一定の年齢に達する』事で異能の力を獲得、発現するのではないか……っていうのが今の所は通説になっている。まぁ、例外みたいな話もたくさんあって、未だに確証は得られてないんだけど……」

 また起きたら確認出来るかも、などと肩を竦め笑えないジョークを交えつつ博士はゆっくりと前傾姿勢だった体を起こし、背もたれにその身を預けると視線を窓の外へ向け話を続けた。

 「八年前のあの日……僕はずっと研究で自宅の地下室に籠もりきりでね、外の大騒ぎにも全然気付かなかった。誰にも邪魔されたくなくて、壁や天井を分厚くし過ぎたのが裏目に出たよ」

 博士は遠くを見つめながら嘲るように口元だけで笑ってみせた。

 「僕が外の状況を知ったのは事件後、三日も経った後だった。家も家族も、愛犬も近所の友人達も皆めちゃくちゃで、もう酷い有様さ」

 視線は流れ行く景色へ向けたまま、遠い目をした博士の手元では左手の指輪を懐かしむように右手の親指が優しく撫でていた。

 ここまで黙って話に聞き入っていたソウタは得心のいった様子で博士に一つ問い掛けた。

 「なるほど……だから、フラッシュフォールの研究を始めたのですか?」

 少年からの問いに規則正しく指輪を撫でていた手は止まり、博士は強く真っ直ぐな瞳をソウタに向け力強く頷いた。

 「ああ、そうだよ。何もかも奪っていったあのクソッタレの原因を必ず突き止める、それが今の、僕の全てさ」

 真っ直ぐな瞳、精悍な表情、そこに明るくおどけた、浮かれた男性の姿はなかった。

 確固たる信念を胸に秘めた研究者としての博士の決意に触れ、ソウタが感動や激励の言葉でも掛けようかと口を開き掛けた……その時――


 ――ッドオオオオォォン……ッ!?


 突如大きな音と振動が轟き驚く間もなく車はギィィィ――ッという耳鳴りのようなブレーキ音をかき鳴らして急停車した。

 車内では進行方向を向いて座っていた博士が反動で前方へ吹っ飛びそうになっていたが、いつの間にか博士の傍らに移動していたソウタとウシオの二人に左右両側から支えられ事なきを得ていた。

 直後天井から何かがガラガラと降り注ぐ音が車内に響き、ソウタは弾けるように声を荒らげ車の運転手へと状況の説明を求めた。

 「おい! 何が起きた!」

 「すっすす、すいませんっ! 前方で爆発がありやむを得ずブレーキをっ、すいません……っ!」

 運転席と後部座席の間にある小窓越しに顔を見せた運転手はペコペコと頷くように何度も頭を下げ申し訳なさそうに謝罪を繰り返していた。

 前方で爆発があったという事以外何も分からない、要領を得ない報告しかしない運転手に束の間鋭い視線を向けたソウタは仕方がない、と自ら状況を確認しに行く事を決めた。

 「……ウシオは博士の身の安全を最優先に、ボクは爆発現場を確認してくる」

 「はい、くれぐれも油断は禁物ですよ?」

 ウシオからの過保護な一言に不満気な目を向けつつ、パニックが混ざり余計に落ち着きをなくした博士をウシオに任せ車を降りたソウタはすぐに周囲を警戒した。

 周りには爆発音を聞いて飛び出してきた研究施設の職員達が一体何があったのかと集まり一帯は騒然となっていた。

 グルリと周囲を見渡し、車を狙っている者が居ない事を確認するとソウタはモクモクと煙の立ち上る建物を見据えゆっくりと歩を進めて行くのだった。


 爆発した建物へあと十メートルほどの距離にまで近付いた頃、ソウタは立ち込める煙の中から話し声と共に複数人の男達がぞろぞろと出てくる様子をその目に捉えていた。

 彼らは全員同じ地味な色の服装をしており、それが異能研究の為に集められた能力者達の服装である事を予め知っていたソウタはすぐさま男達へ静止を呼び掛けた。

 「そこのお前達、動くな!」

 突然飛んできた子供の呼び声に男達がギョロリと鋭い視線を返すと、その内の一人が男達をかき分け前に出てきた。

 「……何だこのガキ……遊んでやってる暇はねぇぞ、俺達はたった今からこの島をぶっ壊すんだからな……」

 過激な発言をする男のバキバキに見開かれた目は真っ赤に血走っており、他の男達もまた興奮しきった様子で青筋を浮かべソウタを睨みつけていた。

 誰がどう見てもこの男達が犯人で間違いなさそうなのだが、人を見た目で判断するのも失礼な話なのでソウタは無愛想に淡々と男達へ確認を取った。

 「お前達、異能研究の被検体だな。この爆発はお前達の仕業で間違いないか」

 ソウタの問い掛けを聞くやいなや、目の血走った男は顔まで真っ赤にして怒りを露わにした。

 「……あぁ……テメェもそっち側か……」

 怒り心頭といった様子で俯いた男はワナワナと全身を震わせながら絞り出すように怨嗟の声を吐き出した。

 「どいっつも……こいっつも……人を実験動物みてぇな目で見てきやがって……ッ!? 俺たちゃモルモットになる為にこの島まで来たわけじゃねぇぞッッッ!?」

 怒りに打ち震え、目を真っ赤に血走らせるどころか顔も手もみるみる内に真っ赤に染め上がっていく男が今にも異能の力で暴れ出そうかというその只中……対照的にソウタはすんと澄ました顔でおもむろに上を見上げると、白い雲の流れる穏やかな青空に向かってポツリと呟いた。

 「……遅い」

 次の瞬間、突如空から落ちてきた白く大きな丸い何かがズンッ!? と音を立て全身を真っ赤にした男を押し潰した。

 余りに突然の出来事に被検体の男達が唖然と立ち尽くしていると、今度は男達の周囲を取り囲むように再びズンッ!? ズンッ!? と白い物体が次々に空から落ちてきた。

 その白い物体は何やら生き物のようにブヨブヨと蠢いており、おもむろにその形を変えていくとやがて身長二・五メートルはあろうかというヒト形の怪物へと変貌を遂げた。

 妙な怪物に周囲を取り囲まれた男達が慄く暇もなく、白いヒト形はその柔らかい身体を巧みに使いあっという間に男達を絡め取り拘束していった。

 男達はギャアギャアと汚い言葉を吐き散らし必死の抵抗を試みるものの白いヒト形は全く意に介する様子もなく、容赦なくその拘束を強めると締め上げられた男達は抵抗虚しく泡を吹いて気を失うのだった。

 リーダー格のように振る舞っていた目の血走った男はどうしたのかと言うと、最初に押し潰された際にすっかり伸びてしまったようでヒト形の手の中で大人しくグッタリとしていた。

 白いヒト形の怪物達が男達を瞬く間に拘束していく様子を鋭く見つめていたソウタは、手際よく事態を鎮圧してみせたヒト形達へ歩み寄ると労いの言葉……ではなく不満を露わにした。

 「到着が遅い。もっと早く。迅速に」

 自分の倍近い大きさの怪物にも臆さず厳しく叱咤していると、今度はどこからともなくコロコロとした直径六十センチ程の白いボールがワラワラと集まり始め、またしても小さなヒト形へと形を変えせっせと散らばった瓦礫の後片付けを始めた。

 その様子を見ていたソウタはすかさず声を張り上げヒト形達へ指示を飛ばした。

 「拘束した男達はいつも通りラボへ送れ、中級は爆発した建物と被害状況の確認、下級は道路に散乱した瓦礫を最優先に片付けを急げ!」

 ソウタの指示を受けた大きい方の白いヒト形達はまた形を変え、ヒト形から翼の生えたトリ形へと変貌を遂げると男達を連れてどこかへと飛び去っていった。

 道路の方も何十と集まった小さなヒト形達の手によってみるみる内に片付けられていき、あっという間に通行可能な状態にまで復旧していた。

 ソウタは爆発した建物内外の怪我人や被害状況などを残った大きいヒト形達と共に確認したのち、遅れて駆け付けてきた警備職員らしき人達に引き継ぎその場を任せると遥か後方で停まったままの車を招くように合図を送り、ウシオと博士の待つ送迎車の中へと足早に戻っていった。


 車内に戻るとそこにはお疲れ様でした、と笑顔でソウタを迎えるウシオと、足元には白く艶めく糸のようなものでグルグル巻きにされたまま興奮している変態がいた。

 「スゴイグルグルッ!? シロイスゴイッ!? デカイ! チイサイ! スゴイッ!?」

 地球上のありとあらゆる言語を自動翻訳してくれる耳飾りの力を持ってしても、もはや何を言っているのかわからなかった。

 足元でモゾモゾと蠢く言語を失った変態を何とも名状しがたい表情で見つめるとやがてソウタは静かに目を伏せ、つい先程伝えようとした感動や激励の言葉をそっと胸の奥にしまい込んだ。

 「落ち着いて下さい、博士……ウシオ、解いてあげて」

 ソウタはため息混じりにウシオの隣へ腰を下ろすと拘束を解かれた変態、もとい博士を諌めた。

 「何をしているんですか、先程までのかっこいい博士は一体どちらへ?」

 幼気な少年に諭され流石に恥ずかしさを覚えた博士は未だ高揚する頬を擦りながら申し訳なさそうに頭を下げた。

 「ハハハ……いや、ついつい興奮し過ぎちゃって……恥ずかしい限りだよ……」

 博士を見つめながらソウタは小さくため息を吐いた。

 「まぁ、その愚直さこそが統括理事会が博士に期待する事でもあるのですが……」

 程々にお願いします、とソウタの言葉が続き車内が一様の落ち着きを取り戻すと、それを合図にするように車は再び本部へと向け静かに走り出した。


 ちょっとしたトラブルに見舞われながらも大事には至らず、動き出した車内では一息つきましょうか、とウシオによってペットボトルの飲み物がテーブルにズラリと並べられていた。

 その中の一本、赤いラベルの貼られた黒い炭酸飲料を手に取った博士は炭酸などお構いなしにゴクゴクと勢いよく喉を鳴らし一気に飲み干すと、直後の大きなゲップと共に先程の興奮をまとめて吐き出した。

 「ゲェェェェッ……ぃやぁっ、それにしてもさっきのは凄かった! 白いボールが人みたいにグネグネ変形して、近くで見たいと思って車を出ようとしたらあっという間にグルグル巻きのミノムシさ! そしたら小さいのまでワラワラ集まってきて、あああぁッ! 思い出しただけでもまた興奮してきた!」

 忙しなく手足をバタバタさせ高揚が再燃した博士をよそにソウタは水を一口だけ飲むと、本部へ着くまでの退屈しのぎに無邪気な大人の話し相手を受け入れる事にした。

 「ではまず、何から聞きたいですか?」

 ソウタの言葉を聞くやいなや、博士は待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを見せた。

 「そりゃあもちろんあの白い巨人だよ! この島にはあんなのがウジャウジャいるのかいッ?」

 再び全力の前傾姿勢を取り生き生きと未知の探求を始める博士にソウタは淡々と答えを返した。

 「あれはここ、日本が管轄するエリアの治安維持を担当している警備兵です。他のエリアはそれぞれ別の治安維持部隊がいますので、あれらがいるのはこの日本エリアだけとなります。大きい方が中級、小さいのは下級と呼びます」

 「日本エリアの警備兵……中級と下級……? じゃあ上級もいるの?? ていうかあれも能力者なの???」

 「もちろん上級もいるにはいます、ですが配置はされていません。あれ自体は能力者ではなく、能力によって生み出された人形です」

 「人形! あれを操ってる人がいるんだ! あんなに沢山を同時に……その人は一人? それとも同じような能力を持ってる人が複数いるの??」

 「一人です。同じような能力者は……いるにはいますが……関係はないですね」

 「へぇー……て事はたった一人でこの広いエリアの治安維持を任されてるって事だよね……すごい能力だなぁ! どうやって操ってるんだろう?」

 人間の治安維持部隊も勿論別にいますよ、と補足を入れつつ、留まる所を知らない博士の好奇心にまた水を一口飲み一息つくとソウタは人形の説明を畳み掛けた。

 「操るというよりは主人の与えた命令に従って勝手に動きます。手動も可能ではありますが、流石に手動ではありません。現在は中級下級合わせて五百体ほどが、日本エリア全域で稼働中です」

 白い人形の説明はこんな所です、とソウタが満足して貰えたか尋ねると、博士は驚いて少し仰け反りながらも尚も尽きない探究心でソウタを掴んで逃さなかった。

 「たった一人で五百体もの人形を出せるって……能力者って皆そんななのかい? ハハ……ちょっとこの島が怖くなってきたかも……」

 能力者という存在のスケールの大きさに冷や汗を垂らし引きつった笑みを浮かべながらも、怖いもの見たさを湛えたその目は未だ好奇心に輝いたままソウタに釘付けになっていた。

 「いえ、能力者と一言に言ってもその能力の強さや大きさは大小様々です。非能力者と大して変わらないような人もいればごく一部、自然災害に匹敵するような並外れた力を持っている人もいます」

 絶え間ない質疑の応酬にソウタがテーブルに置いた水に手を伸ばしたその時、ゴクリと息を呑む音が車内に木霊した。

 「……そのごく一部ってもしかして……統括理事会のお抱え部隊とかっていうやつの話かい……?」

 その瞬間、三度水を飲もうとしていたソウタの手がピタリと止まり、車内の空気がヒヤリと変化するのを感じ取ったのか博士は恐る恐る両手を上げバツの悪そうな顔で反省を示してみせた。

 「まずい事言ったかな……ごめん」

 博士が謝罪を口にするとソウタはその様子を一瞥して小さく首を振ってみせた。

 「あー……いえ、申し訳ありません。少し驚いただけで脅かすつもりはありませんでした。まだ公には発表されていないと思っていたので……博士はその話を、一体どこで?」

 「いやまぁ、そんな情報ってほど大したものじゃないんだけど、噂程度に耳にした事があったから本当なのかなぁって……つい。ぁいや、駄目な事だったら聞かなかった事にするよ、うん!」

 触れてはいけないものに触れてしまった経験が過去にもあるのか……銃口を突き付けられた時のように両手を上げ引きつった笑みを浮かべる博士の対応は実に潔いものであった。

 「……そうですか。まぁ、近日中に発表されるとは思うので、別に大した問題があるとかではないのですが……人の口に戸は立てられませんね」

 無表情に目を伏せたままソウタが水を一口飲み、ヒヤリと感じた空気が再び緩んだ事を確認すると博士は大きなため息と共に手を下げホッと胸を撫で下ろした。

 「ハ、ハハ……もう……あんまり脅かさないでよ、本当に……」

 「申し訳ありません…………それで博士、聞きたいですか? お抱えの、直属部隊の話」

 無愛想な少年と視線がかち合うと博士はゾワリと背筋が伸びた。

 この流れでの唐突な質問にギョッと目を見開きながらもそれでもやはり研究者としての性は抗えないようで……博士の瞳はジワジワと滲む好奇心に色付いていった。

 「い、いいのかい……? そりゃあ、聞けるなら是非とも聞きたいんだけど……怖いのも痛いのも嫌だよ?」

 「何もありませんよ……多分」

 怖いのや痛いのと言うのが何を指しているのかは分からないが博士はえぇ……と戦々恐々といった表情を浮かべ慄いていた。

 そんな博士を差し置いてソウタはおもむろに隣りに座るウシオと顔を見合わせ、微笑んで頷くウシオを確認すると今度は真っ直ぐに博士を見据えこう切り出した。

 「実はいつお伝えしようかと考えていたのですが……」

 「な……なんだい……?」

 何とも怖い切り出し方に博士は寒気でもするように肩を竦めていた。

 まるでホラー映画でも見ているかのような博士の怯えた視線の先で、人形のような少年の口がゆっくりと開かれた。

 「今日この後、博士には統括理事会の方々と直接面会して頂くわけですが……その場に件の直属部隊の方々も居合わせておりまして」

 普段会議になど滅多に出てこないのですが彼らも珍しく博士に高い関心を持っているようで、とソウタが話を続ける一方……博士はパチクリと瞬きを繰り返ししばし内容を飲み込めないと言った様子で硬直していた。

 かと思った次の瞬間――


 「……ワッツ――ッ!?」(※英語)


 何故か翻訳されない驚嘆の大きな叫びが車内に響き渡った。

 その後もちゃんと話を聞いているのかいないのか分からない硬直したままの博士と、そんな博士をよそに構わず淡々と話を続けるソウタ。それを穏やかに微笑みながら優しく見守るウシオと背後のやり取りに笑みを浮かべ車を走らせる運転手。

 四人を乗せた車は程なくして島の中心部、統括理事会と直属部隊の待つ巨大な建物へと辿り着くのであった。



 ――国際連合機関アークエイド本部

 大災害フラッシュフォールの原因究明と人類が新たに獲得した異能の解析、及び研究開発を目的とした国際連合機関アークエイド。

 その総本山がここ、太平洋上に浮かぶ直径約二百キロメートルにも及ぶ巨大な人工島の中心にそびえ立つ、これまた巨大な建造物である。

 この人工島は中心から放射状に十等分する境界線が敷かれており、十に分けられたそれぞれのエリアを各グループが各々独自に管理管轄している。

 しかしこの本部となる建物のある中心部だけは違う。『人類に境界線はなく、みなが一丸となってこの事態に対処しなければならない』との理念から境界線などは設けられていない。

 多くの木々や色とりどりの草花に囲まれた自然豊かな緑の中に無数の研究施設が輪を描くように建ち並び、その中央部には全面ガラス張りのラッパをひっくり返したような円錐状のタワーが天を突くように鎮座している。

 島を上空から見下ろすと切り分けられたピザかダーツのマトのように見える事だろう。


 そんな本部塔の足元ではたった今到着したばかりの車から白い和装の少年ソウタと同じく白い和装の上にエプロンドレスを纏った女性ウシオが降り立ち、二人に連れられた客人と見られる白髪交じりの浮かれた格好の男性ブリスコラ博士があとに続いて車から出てくると目の前にそびえ立つ巨大な建物を見上げ感嘆の声を漏らしていた。

 「はぁぁぁ…………たっ……――っかいねぇ、首が痛くなっちゃうよ」

 博士が首を交互に左右へ傾げコキコキと小気味よい音を鳴らしていると、ソウタがある方向を指し示しながら声を掛けてきた。

 「博士、本部に入る為の手続きをしますのでこちらにお願いします」

 そう言って少年が指し示す方向へ博士が目を向けると、その先には四方ガラス張りの物置のような小さな小屋があった。

 本部の入り口脇にポツンと置かれた透明な小屋の中にはこれと言って何があるわけでもなく、二畳ほどのスペースの中心にここに立てとでも言わんばかりの足跡がペイントされているだけの何とも形容し難いただのスケスケな小部屋であった。

 「ここって……何も無いけど、ここで何するの?」

 初見なら誰もが思うであろう率直な疑問を投げ掛けてみるも少年は無愛想に黙ったまま答えを返してはくれず、博士はハテナを浮かべたまま透明な部屋の中へ押し込まれるとソウタから両手を上げてじっとしているように、とだけ指示を受けた。

 怪訝な顔を浮かべながらも言われるがまま両手を上げてじっとしていると数秒後、突然天井や床から無数の光線が照射され博士は思わず悲鳴を上げた。

 しかし尚も部屋の外に立つソウタから動かないでと釘を差され、博士は訳もわからないまま四方八方から浴びせられる色とりどりの光線にじっと耐えた。

 しばらくしてようやく光線の照射が終わったかと思うと今度は目の前の透明な壁に画面のような四角い画像が映し出され、以下の文章を読み上げろ、という文字と共にテストの例文のような簡単なテキストが表示された。

 外の少年をチラリと一瞥すると早く読め、とでも言うような無愛想な視線に促され、博士は渋々指示の通りにテキストを読み上げた。

 最後まで読み上げるとその瞬間壁の画像はパッと消え、今度は何だと博士がキョロキョロと警戒していると数秒ののち何処からともなくオッケー、という軽い口調の女性の声が聞こえると同時にスライドドアが自動で開き博士はようやく透明な部屋から解放された。

 一体何なの? とハテナで頭が満たされた博士が口をへの字に曲げ不満気にぼやきながら部屋から出てくると、出迎えたソウタの顔には空港ぶりのぎこちない笑みが浮かんでいた。

 「お疲れ様でした。すいません、どんな反応をされるか興味があったのでつい」

 ここに来て初めて子供っぽい一面を見せる少年に肩を竦めつつ、結局これは何だったの? あの光とテキストは何? 妙に軽い女の人の声は誰? と博士が気になる事を次々に捲し立てるとソウタは改めて本部入場手続きについての説明を始めた。

 「この部屋は指紋や声紋、静脈認証や虹彩認証と言ったボディチェックを行い、個人情報を登録する為の設備になっています。本部に入る為には必ず受けて頂かなければなりません」

 ソウタの説明を聞くと博士はへぇぇ……と納得した様子で何度も頷き改めて透明な部屋眺めた。

 「こんな透明な部屋でそんな事まで出来るんだねぇ……じゃあさっきの声はシステム音みたいなものかな? 随分軽かったけど」

 「あれはレベッカさんの声ですね」

 「レベッカさん……誰?」

 また新たに湧いて出たハテナに首を傾げる博士をよそにソウタはとりあえず中へ入りましょう、とウシオと共に既に歩き出していた。

 置いて行かれないよう博士も慌てて小走りに追い掛けると三人はいよいよ本部庁舎の中へと足を踏み入れるのだった。



 ピッという小さな電子音に迎えられ本部入り口のゲートを潜ると、中は近未来を思わせる荘厳な雰囲気の漂う、広々とした開放感溢れるエントランスが広がっていた。

 五階くらいの高さまで吹き抜けとなったエントランス正面には誰もいない受付のようなカウンターと、その上に超巨大なディスプレイが設置されている。

 足元に目を向けるとピカピカに磨き上げられた床には大きな銀色の水玉模様が大胆にあしらわれており、ちょっとした体育館かと言う程の広々とした空間は差し込む暖かな陽差しと静寂に優しく包まれていた。

 「広くて綺麗だけど……なんかちょっと寂しいエントランスだね。というか二人はあの透明な部屋やらなくていいの?」

 空港からここまでの僅かな時間ではあるが交流を重ねた博士に遠慮という概念は既になく、絶えず飛んでくる質問をソウタもまたもう慣れたと言った様子で鮮やかに捌いていった。

 「あの部屋は初めての人だけです。あの部屋で登録された情報を下にゲートを潜る際入場者をチェックしています」

 「あぁなるほど、さっきのピッて音はそれか……警備員とか受付とか、誰もいないけどいいの? いや、それよりもレベッカさんって誰??」

 「レベッカさんはこの島のほぼ全てのシステムを管理統括している方で、耳飾りの自動翻訳やセキュリティチェックは勿論、その他にもこの島におけるありとあらゆる電子制御を一人で処理している凄い方です。ちなみにですが島内であればいつでもどこでも耳飾りを通じて当人と通話できます」

 警備員や受付は……、と歩みを止める事なく流れるように続けられた説明が止まるとソウタはエントランスの中ほどで突然ピタッと足を止め、ゆっくりと振り返るなり後ろに立つ博士の顔を見上げながらある提案を口にした。

 「折角ですから呼んでみましょうか」

 そう言うとソウタは博士の返事を待たずに自身の耳飾りに手を当て、やや上を向くような姿勢でレベッカさんという女性に呼び掛けた。しかし――

 「……レベッカさん? 聞こえてますか? …………返事がありませんね」

 翻訳は機能してるから耳飾りの故障でもない……、などとぶつぶつ呟きながらソウタが隣に立つウシオと顔を見合わせキョトンとしていると、突然エントランスのカウンター上に設置された超巨大ディスプレイにニット帽をかぶった眼鏡の女性が映し出された。

 何やら頬を膨らませジトーっと不満気な表情を浮かべている女性に視線を送ると、ソウタは向き直って当たり前のように画面に向かって声を掛けた。

 「聞こえているなら返事をして下さい、なぜ黙っているんです?」

 ソウタが無言の理由を尋ねてみても女性は依然むくれた顔で黙ったまま、やはりソウタの事をジトーっと不機嫌そうな目で睨みつけているようであった。

 怒らせるような事をした心当たりもなくソウタが首を傾げていると、これまで静かに見守るばかりであったウシオが見かねたのか、呼び方の事ではありませんか? とそっと助言をくれた。

 ウシオの助言を受けてソウタはようやく何かを察したようで、改めて画面の女性に向き直ると神妙な面持ちで口を開いた。

 「……ベッキー」

 「――そう、それでよし。いい加減慣れてよねー」

 ベッキーと呼ばれてようやく機嫌を取り直した女性は改めて蚊帳の外に置き去りにされていた浮かれた格好の男性に向け手を振って挨拶を送った。

 「――ハローブリスコラ博士、あたしがレベッカ。レベッカ・ジェビイね、気軽にベッキーって呼んでー」

 初対面なはずであるにも関わらず、まるで旧知の仲であるかのような軽いノリのレベッカにおじさんである博士の笑顔は引きつっていた。

 「ハ、ハァイレベッ……ベッキー、思っていたよりもずっと若くてびっくりしたよ。たった一人でこの島全部のシステムを管理してるんだって? ハハッとても信じられないよ、君も能力者なの?」

 時も相手も選ばず、初対面であっても容赦なく向けられる博士の探究心にベッキーは親しい友人とでも話すような軽妙な口調で卒なく答えてくれた。

 「――そだよー、この島にいる間はずーっとあたしが見張ってるから、くれぐれも悪いコトはしちゃ、ダ・メ・ダ・ゾ(はぁと)」

 「オ、オーケー……肝に銘じるよ……」

 巨大な画面からウインクと共に放たれるベッキーの若さに圧倒されたのか、白髪交じりのおじさんはタジタジになっていた。

 二人の挨拶が終わるとソウタは改めてベッキーに声を掛け、呼び出した当初の目的を伝えた。

 「ベッキー、エントランスのセキュリティを博士にお見せしようかと思ったのですが、構いませんか?」

 「――ん、おっけー」

 ベッキーは軽すぎる二つ返事で了承すると端末を操作――するわけではなく、右手の人差し指を立てながらほいっ、と言う掛け声と共に軽く振ってみせた。

 すると突如静寂に包まれていたエントランスの至る所から機械の駆動音が鳴り響き、床の模様だと思っていた銀色の水玉が次々にせり上がっていくとあっという間に周囲を銀色の円柱に取り囲まれた。

 わっわっわっなにっなになに! と驚き慌てふためくおじさんを眺めベッキーはお腹を抱えてケタケタと笑うと満足気に滲んだ涙を拭っていた。

 「――んふふふふ……ぁーおじさんからかうのマジオモロ、うけるんふふふ……いやってか遊んでる場合じゃないわ。上のおじさん達もしびれ切らしてるからさっさと上がっておいでよ、エレベーター呼んどくから」

 「はい、ありがとうございます」

 先を急ぐよう促され、ソウタが超巨大な画面に向かってしっかりと頭を下げ感謝を述べると画面の中の巨大なベッキーはバイバイ、と手を振りながらプツリと消えていった。


 ベッキーと別れ再び地面の下に戻っていく銀色の円柱を背にソウタ達三人は足早にエレベータホールへと歩を進めていた。

 最後尾を後ろ向きに歩く博士は沈みゆく円柱群をしばし眺めていたかと思うと、クルリと進行方向へ向き直ると同時に新たに湧いて出た疑問を先頭を行くソウタの小さな背中へ投げ掛けた。

 「最先端のセキュリティって感じはしないけど……あの柱をバリケードにして足止めしてる間に、能力者とかあの白い人形が駆け付けて侵入者を捕まえる……って感じかな?」

 「もちろんバリケードの役割もありますが、あの円柱には色々な武装が仕込まれていて柱そのものが警備兵なんです」

 質疑の応酬もすっかりと板につき、即座に返ってくる答えにへぇー……と博士が何度も満足げに頷いていると程なくして、辿り着いたエレベータホールにはベッキーが言っていた通り、用意されたエレベーターが扉を開けたまま静かに三人の到着を待っていた。

 立ち止まる事なくそのまま速やかに三人が乗り込むと扉は自動的に閉まり、目的階のボタンまでもがひとりでに点灯するとエレベーターは静かに、微かな振動一つなくスゥ――と上昇を始めた。

 動いているのかわからないほど静かなエレベーターの中、高速で数字の増えていく階層表示を眺めていた博士はどうにも落ち着きのない様子でユラユラと体を揺らしていた。

 「んー、速いし静かだし、良いエレベーターだ。ここ何階まであるの? いや、それより飛行機降りてからずっと気になってたんだけど、ウシオさんは何でエプロンド」

 「博士」

 ピシャリと、妙に圧のある声に言葉を遮られギョッと驚いた博士が声の方へ目を向けると……無愛想な少年の綺麗な顔がジッ……とこちらを見上げていた。

 「いよいよ統括理事会の待つ中央会議室に到着します。車でもお伝えした通り、面会には直属部隊の人達も立ち会います。少々、と言いますか……幾分空気が重いかも知れませんが、気をしっかり持って臨んで下さい」

 不気味さすら覚える人形のような綺麗な顔からのもはや脅しのようにも聞こえる忠告を受け取ると、博士は背筋に寒気を感じながらゴクリ……と息を呑んだ。

 「そ、その人達って……全員能力者……すごい能力者、なんだよね? 怖い人達だったり、するのかな……?」

 博士の引きつった笑顔から視線を外し、ソウタはやや考え込むように目を伏せるとやがて重々しく口を開いた。

 「まぁ……流石に急に暴れ出したりまではしないと思います……多分……きっと」

 その恐ろしく歯切れの悪い言い回しにえぇ……と青ざめた博士が震え上がっていると無情にもチィン――と到着を告げる甲高い音が鳴り静かに扉が開いた。

 エレベーターを降りると目の前には鮮やかな赤い絨毯の敷かれた左右ガラス張りの廊下が一直線に伸びていた。廊下の奥にはダークブラウンの重厚な扉が見える。

 横に目を向けるとガラス張りの廊下からの眺望は実に壮観で、太平洋のど真ん中に造られた島という事もありグルリと弧を描いた空と海の境界線が地球の丸さを教えてくれていた。

 一方眼下に目を向けると地上の様子はもはや肉眼では捉えられない程に小さく、道中遭遇した爆発現場の崩れた建物も周囲の建物と区別が付かず、複数の車が集まっているお陰で何とか見つけられると言った細かさであった。

 ソウタは一方的に淡々と話を続けながらすっかりと腰の引けた博士の手を引きズンズンと赤い絨毯の上を突き進んでいった。

 「彼らが一堂に会する事自体が極めて稀でして、そう言った所からも今回のプロジェクトへの注目度の高さが伺えます」

 「……僕、何か悪い事したかな?」

 すっかり及び腰となってしまった博士をまるで駄々をこねる子供を引きずるが如く、子供とは思えない力強さでズルズルと重厚な扉の前まで連れてきたソウタは博士から手を離し、その不安気な顔を見上げながらぎこちなく笑みを見せた。

 「博士ご自身に、というよりは……その研究対象に」

 「……フラッシュフォール」

 この島へ何をしに来たのか……自身の目的を思い出し小さく呟いた博士は大きく深呼吸をして姿勢を正すと、目の前の扉を見据えたその顔には研究者としての矜持が戻っていた。

 その様子にソウタとウシオは静かに笑みを交わすと二人で扉に手を掛け、博士への再びの祝辞と共にゆっくりと扉を押し開いた。

 「改めて、ようこそブリスコラ博士。ご来訪、心より歓迎致します」



 ――アークエイド統括理事会と直属の部隊、最高戦力群

 大災害フラッシュフォールとその後の混沌とした世界情勢を受け、世界中の国々が手を取り合ってこの事態を打開すべく設立された国際連合機関アークエイド。

 その管理運営と最終判断を担う、十のグループそれぞれの代表者によって構成された組織……それが統括理事会である。

 フラッシュフォールの原因究明と人類にもたらされた新たな力、異能にまつわる様々な問題や課題について日々議論を重ねている彼らであるが、その中でも最も頭を悩ませている問題の一つが『異能犯罪』である。

 ただ悪人が異能を得て暴れ回っていると言うだけなら対処に悩む事もないのだが、そう単純な話ではないと統括理事会が大きな懸念を抱いているテーマの一つが『能力者と非能力者の分断』。

 どんなちっぽけな力であろうと能力者であるというだけで非能力者から迫害を受ける。あるいはそんな非能力者に対し能力者が同じ能力者を守る為に力を使って抵抗する。

 互いが互いを恐れ悪意を向けあった結果、やがて非能力者は非能力者同士、能力者は能力者同士で手を組み犯罪行為に手を染める過激な犯罪者集団が生まれてしまう……こんな事が今の世の中では当たり前のように起きているのである。

 こうした事態に対し統括理事会が下した決断は『目には目を、歯には歯を』……すなわち異能には異能を、であった。

 ミサイルなどの武力に核の抑止力を持って対抗するが如く……力はより大きな力で抑え込むしかない、という事で集められたのが統括理事会直属の部隊、最高戦力群である。

 基本各グループ毎に一人、場合によっては二人選出され、グループの代表理事の指揮下へと配属される。自身が所属するグループ内で異能によるトラブルが発生した際は彼らが鎮圧に赴くというわけである。

 求められるのは最低限の人格と他を圧倒するただひたすらの強さだけ……武力が銃火器から異能に変わっても結局力で抑え込む以外の方法では平和を作れないというのは何とも皮肉な話である。



 ダークブラウンの重厚な扉の先、中央会議室と呼ばれるその空間は扉を開いた瞬間息が詰まるような重苦しい空気に満ちていた。

 本部塔の天辺に位置しコンサートホールかと思うほどに広いその円柱形の会議室は三つある入り口部分を除いた三方の壁がやや茶色がかった遮光ガラス張りとなっており、適度に光量が抑えられた陽差しによって幾分室内のひりついた雰囲気を和らげてくれていた。

 入って正面に目を向けると会議室の中心には三つのディスプレイが三方を向くように三角形に置かれ、その周囲をドーナツを三分割したような細長い机が輪を描くように取り囲んでいる。また部屋の外周にも小さな円卓が十個、規則正しく配置されており、それぞれが個人の為の席となっているようであった。

 客人を歓迎しようというような暖かな雰囲気など微塵も感じさせない極めて重苦しい空気の中、ギィ……と扉の開く音が響き渡ると現れた三人の人物に全員の視線が一気に注がれた。

 白い和装の少年とエプロンドレスの女性は視線などどこ吹く風と言った様子で構わず進み出るのに対し、白髪交じりの浮かれた格好の男性の方はと言うとガチガチに緊張してしまっているのか、まるで関節の錆びたロボットのようなぎこちない歩き方で今にも倒れそうになっていた。

 浮かれた格好の男性、ブリスコラ博士はガクガクと震える身体で必死に、一歩ずつ前へ進みながら気を紛らわせるように自身に注がれる視線を一つ一つ確認していった。

 「(中央の机に並んで座ってるおじさん達が多分統括理事会……という事は外周のテーブルに座ってるのが例の……女の子に……二人組もいる……意外と若い人が多……何あれ、人? ……羽生えてる人までいる…………え、あれ?)」

 部屋の壁際に並べられたテーブルに着く人達を右から左へ、反時計回りに見回していくとすぐ左……一番最後の最も近いテーブルによく見知った姿がある事に気が付き博士は驚いて目を見開いた。

 「あ、あれ……ソ、ソウタ君? ウシオさんも……あれ?」

 そこには空港からここまで付き添い案内してくれた、度重なる質問にも嫌な顔一つせず丁寧に答えてくれた白い和装の少年とエプロンドレスの女性の姿があった。

 自分のすぐ傍らと会議室のテーブル、二つの場所に同時に存在する瓜二つのソウタを交互に見比べ博士が混乱していると、ここまで案内してくれた方のソウタがゆっくりとその手をテーブルのソウタの方へ向け声を掛けた。

 「お疲れ様」

 ソウタが労いの言葉を口にした瞬間、テーブルに着いていたソウタとウシオはフッと音もなく掻き消え、あとに残された小さな紙切れのようなものがヒラリと宙を舞いソウタの袖の中へと吸い込まれていった。

 目の前で起きた事が信じられず、ぽかんと口を開けどーゆーこと? と首を傾げる博士にソウタは小さく微笑んで見せた。

 「人形ですよ、博士。少しは緊張が解れましたか?」

 少し意地悪な笑顔とソウタの穏やかな声にハッとした博士は自分の手に目を落とし、いつの間にか震えが止まっている事に気が付くと頬を緩め感謝を述べた。

 「ハハッ……ありがとうソウタ君、少し落ち着いたよ。まさか人形の能力者がソウタ君だったなんて……」

 もっと早く教えてよ、と緊張が解け博士がいつもの調子を取り戻していたその時……部屋の奥からチリチリと肌を刺すような嫌な気配と共に男の声が響き渡った。

 「……チッ、こっちが人形かよ……随分と待たせてくれたじゃねぇの……親睦は深められたかよ、チビ」

 その声はソウタ達が入ってきた入口の反対側、中央に座す統括理事会の更に向こうから聞こえてきた。

 ソウタ達が声の方へ視線を向けると、奥のテーブルには頬杖を突いて尊大な座り方をした、体格のいい金髪の男性が眼光鋭くソウタを睨み付けていた。

 ゾッと背筋に寒気が走るような威圧感に気圧され博士が肩を竦める隣で、ソウタはゆっくりと金髪の男性の方へ向き直ると姿勢を正し、畏まって深々と頭を下げ潔く謝罪を口にした。

 余りにも張り合いのない、あっさりと頭を下げるその姿勢すらも気に食わないといった表情で更に苛立ちを募らせた金髪の男が再び不満を吐き掛けてやろうと口を開いた……次の瞬間――


 ――ガシャァン……ッ!?


 と、大きな音が会議室に響き渡った。と同時に、どこかで聞いたような謝罪の声が後に続く。

 「すいません! すいませんっ! 本っ当にすいませんっ!!」

 音のした方へ目を向けるとそこには送迎車を運転していた男性の姿があった。男性は床に膝をつき妙に慣れた手付きで素早く散らばったティーカップの欠片を片付けている……どうやら躓いて転んだようである。

 「あれ、さっきの運転手さんだよね? 運転手さんがどうしてここに?」

 疑問を口にしながら博士の視線が運転手の男とソウタの間を行ったり来たりしているその傍らで、ソウタは右手で目元を覆い隠し頭の痛そうな様子で俯いていた。

 「チッ……チビがチビなら秘書も秘書だな、しょうもねぇ……」

 どうやら運転手だった男はソウタの秘書らしく、まんまと水を差され意気を削がれた金髪の男が溢れる苛立ちを尚も吠えようとすると――

 「よさんかザック、黙っておれと言っただろう」

 中央に座す統括理事会の一人がピシャリと金髪の男を諌めた。

 ザックと呼ばれた金髪の男はつまらなそうに舌を打つと、不貞腐れながらも渋々沈黙を受け入れるのだった。


 会議室が再び重苦しい沈黙に満たされるとソウタは小さくため息を零し、博士を統括理事会の側まで進むように促した。

 促されるまま博士が統括理事会の側に立ち、ソウタ達も案内を終え自分のテーブルへ戻ると博士のすぐ左に座っていた理事の一人がおもむろに立ち上がり、博士に握手を求めながら改めて歓迎の挨拶が送られた。

 「ブリスコラ博士、ようこそお越し下さいました。私は理事代表を務めさせて頂いております、ホサキジュウジと申します。まずは招待に応じて頂けた事に最大限の感謝を。本来であればこの場の面々を一人ずつ紹介などして、ゆっくりと歓迎のおもてなしでもして差し上げたい所なのですが……我々は先を急がねばなりません。早速本題に入らせて頂きたい」

 少々強面のおじさんと固く握手を交わし、張り詰めた緊張感に博士はゴクリと喉を鳴らすと静かに頷きどうぞ、と短く続きを促した。

 ホサキは口元に笑みを浮かべありがとうございます、と感謝を述べると早速仕事の話を始めた。

 「ブリスコラ博士、類稀なる優秀な物理学者であるあなたをお招きした理由は他でもない。フラッシュフォールの原因を一日でも早く突き止めて頂く為です。この島はかつて大災害の折、その光の柱が立ち上ったまさしくその場所に造られました。建造の過程で周辺海域はその隅々まで調査が行われ、そして我々はついに! 見つけたのです。フラッシュフォールの原因に関わりがあると思われる、その……『ナニカ』を」

 「ナ、『ナニカ』……とは……一体……?」

 話を聞いていた博士は早くも興味津々と言った高揚した様子で前のめりになっていた。するとホサキは見て頂いた方が早いでしょう、と不敵な笑みを浮かべやや上を向いて宙空に向け声を掛けた。

 「レベッカ、降ろしてくれ」

 ホサキの呼び掛けにすぐさまいえっさー、と相変わらずの軽い口調でレベッカの返事が聞こえてくると、突然窓の外の景色がスゥー……と上昇を始めた。

 どうやらこの会議室は部屋そのものがエレベーターになっているらしく、相変わらず音も振動もなく動いているのか分からないにも関わらず窓の外を流れる景色と浮遊感からかなりの速度が出ているという事は窺い知る事が出来た。

 腹わたが持ち上げられるかのような不快な浮遊感と共に高速で降りていく会議室はやがて地上を通り過ぎ海中へ……徐々に太陽の光は遠ざかり会議室の中は瞬く間に深い青によって染められていった。

 そしてやがては青から黒へ……静かな暗闇が部屋を満たし壁の向こうから不気味な深海の音が響いてきたかと思うと、今度は急に身体が重くなり始めた。地球の中心に近付き重力が強くなった……というわけではなく、エレベーターが速度を落とした事による反動である。

 速度を緩めつつもゆっくりと下降を続けていたその時、突如人工的な光が窓から差し込み暗所からの急激な変化に目の眩んだ博士は両手で目を覆い隠した。

 徐々に明るさに目を慣らし、窓の外に広がる光景を目の当たりにした博士は大きく目を見開き驚愕と興奮に身震いした。

 「……凄い……街だ……海の底に街がある……」

 そこは恐らく海底付近――巨大なドームに覆われた広大な空間の中には多数の建物やテント、機材が所狭しと並び白衣に身を包んだ研究者らしき人々が忙しなく動き回っているのが見えた。

 エレベーター、もとい会議室が一番下まで到着すると会議室の中にいた全員が示し合わせたかのように一斉に移動を始め、一人キョロキョロと周囲を見回していた落ち着きのない博士にホサキは着いてくるようにと告げた。


 海底の研究都市は中心から三方向に太い通路が伸びており、その内の一本は中心であるエレベーター兼会議室から直線で約百メートル程の距離にある一際大きな白いドーム状の建物へと繋がっていた。

 道の両側に研究施設と思われる建物や研究に用いるものと思われる様々な機材の立ち並ぶ中誰一人一言も発する事なくそのドームを目指し歩いていると、沈黙に耐えかねた博士がすぐ近くを歩いていたソウタに近寄りヒソヒソと声を掛けた。

 「ソウタ君、ここ何? 何があるの??」

 博士の問い掛けにソウタはチラリと一瞥だけ視線を返すと、無愛想に正面を見据えたまま博士と同じ様に声を潜めながら答えを返した。

 「ここが博士の新しい職場です。正面の建物に『ナニカ』があります、きっと驚きますよ」

 「『ナニカ』って結局なに……」

 中々はっきりと答えをもらえないもどかしさに身悶えすると博士は正面の建物へと目を向け、近付くにつれて徐々に大きく視界を埋めていく白いドームを見上げながら期待に胸を膨らませるのだった。


 ドームへ辿り着くと大型トラックすら余裕で通れそうな大きな扉は博士達を歓迎するようにひとりでに開いた。

 この先に一体何があるのか……『ナニカ』とは一体何なのか……ワクワクドキドキと目を輝かせた博士が胸を弾ませながら中へ入るとそこには――……一回り小さいドームがあった。

 なるほどそれほどに『ナニカ』とは重要な物という事だろう、そういう事ならこういう構造になるのも頷ける。

 肩透かしを喰らいながらも博士は何度も頷いて理解を示し、気を取り直して再び二つ目の扉を潜るとそこには――……また一回り小さいドームがあった。

 まるでロキアの人形、マトリョーシカのようである。

 一体何層あるんだと露骨にテンションのダダ下がった博士がため息混じりに三つ目の扉を潜ると――……満を持してようやく研究所らしい光景が出迎えてくれた。

 清潔感のある白に統一されたドームの内部は緩やかなすり鉢状となっており、入ってすぐ左側にはガラス越しに全体を見下ろす事の出来る展望スペースが、その下には研究員達のデスクや様々な機器が中央を向くように何重にも輪を描いて綺麗に並んでいた。

 そして部屋の中央、すり鉢の底の最も低い部分……円筒形の分厚い透明な壁に囲まれたその中に、『ナニカ』と呼ばれたソレはあった。



 海底で見つかったソレはまるでキラキラと瞬く星々を湛える、美しい夜空のようであった――……否、〝ようであった〟は語弊があるかも知れない。

 むしろそれはまさしく、星空そのものであった。

 瞬く星々を湛えた美しい夜空……それが一枚の葉っぱのような形で切り取られ輪郭を成し、海底と思しき岩場の隙間から飛び出た淡く光を帯びた柔らかそうな円錐状のトゲの先にくっついてやや斜めにしなだれているのである。

 さながら発芽したばかりの若葉のようなそれはさりとて小ぢんまりとした可愛らしいものでもなく、近くに立つ研究員と比較しても軽く高さ三、四メートルはあろうかという異様な巨大さを誇っていた。



 一同が展望スペースに移動する中、いち早く最前列でガラスにへばりつき食い入るように『ナニカ』を見つめていた博士の手は小刻みに震えていた。それは果たして未知への興奮か、或いは恐れ故か……自身の目に映る信じがたい光景に博士はしばし言葉を失っていた。

 まるで取り憑かれてしまったかのように一心に『ナニカ』を見つめる博士の隣に立つと、ホサキは一緒に『ナニカ』を見つめながらゆっくりと落ち着いた口調で話し始めた。

 「アレを見つけて以来、我々は多くの研究者達を世界中からかき集め、こうして海底に専用の研究所も造り、あらゆる手段を講じて、準備を進めて参りました。ブリスコラ博士、あなたが最後のピースです」

 そう話が締め括られると心ここにあらずと言った様子だった博士はゆっくりとホサキの方へ顔を向け、ホサキもまた博士の方へと姿勢を改めると力強い視線と言葉で願いを口にした。

 「博士には、アレが一体何なのかを是が非でも突き止めて頂きたい。ここにある物は自由に使って頂いて構いません。必要な物があればどんな物でも用意します。先んじて集めた研究チームは全員があなたの指揮下へと入る。我々……いや、人類の総力を上げて! 必ずや原因を突き止める! ……如何でしょうか、博士。我々と共に、ご尽力願えませんでしょうか?」

 その言葉と共に差し出されたホサキの手に博士は一瞬躊躇ったものの、震えたままの手でがっしりと力強く応えると視界の端にいたソウタに視線を送り引きつった苦笑いを浮かべながら独り言のように小さく呟いた。

 「とんでもない所に来ちゃったかなぁ……」

 小さな後悔に未だ震えは止まらず、されど同時に湧き上がる熱い思いを胸に、博士は『ナニカ』を見据え前人未到の未知へと挑戦の道を歩み始めるのであった。



 その後の一年は実にあっという間に過ぎ去っていった。

 『ナニカ』の星空のような部分には実体が無く、触れようとしてもすり抜けてしまったがどれほど長い物を差し込んでも貫通するわけでもなく、どこまでも延々と吸い込まれていった。

 ――本当に星空……宇宙へと繋がっているのでは……或いは何処か別の異次元空間に……?

 誰かが口にしたそんな疑念を検証すべくカメラやドローン、ソウタの人形等その他の能力者の協力も借りながら実験を繰り返していくと、やはり『ナニカ』は何らかの別の空間へと繋がっている可能性があるという事が判明した。

 あの惨劇を引き起こした光はそこから来たのか……また第二第三のフラッシュフォールが起こるのではないか……様々な疑念と不安を晴らせぬまま数多の無人調査を積み重ねていくものの、その道行きにもやがて陰りが見え始めた頃……。

 とうとう統括理事会は有人での調査に乗り出す事を決定し、新たな発見と研究の進展に期待が高まる――……はずだった。


 「――第一次調査隊派遣……能力者を中心とした十名の調査チームを編成、『ナニカ』への突入後二十秒で反応がなくなり三十五秒後に通信途絶。回収を試みたものの命綱として繋いでいたケーブルは断裂。突入後二ヶ月が経過、依然連絡は無く音信不通……消息不明」


 「――続いて第二次調査隊派遣……能力者のみによる五名のチームを編成、第一次調査隊の回収を最優先目標に設定。前回の失敗を踏まえより強固なケーブルを用意して再度『ナニカ』へ突入、前回同様二十五秒後に反応消失、三十秒後に通信途絶。回収を試みるもまたしてもケーブルが断裂、突入後一ヶ月が経っても連絡はなし……消息不明」


 ってな感じー、といつもの軽い口調でレベッカが報告の終わりを告げた。場所は中央会議室――統括理事会に加え件の戦力群も一堂に会していた。

 レベッカの報告を受け、理事会の一人、リベルタの代表理事ネルソンが机に肘を突いた左手で頭を抱え大きなため息を吐きながら重苦しく口を開いた。

 「やはり一筋縄では行かんな……何故ケーブルが切れる……無人で何とか向こう側の様子は確認出来んのか? 博士」

 そう問い掛けた視線の先には部屋の中央、床に置かれた三枚のディスプレイが描く三角形の上に浮かび上がったホログラムの博士が立っていた。時折ノイズの走るその顔には随分と疲れの色が見て取れる。

 「――えー……残念ながら、『ナニカ』の向こうで機能する電子機器の類はごく一部のセンサー類だけでして……。向こう側には一定以上の空間の広がりがある事に加え、奇跡的に回収出来た気体サンプルからこちらによく似た大気組成がある、ぐらいの事までは確認出来ているのですが……。それと、あー……ケーブルに関しても切断面に経年劣化のような状態の変化が確認されておりまして、時間の影響がこちらと違う可能性なども視野に検証手段を探っている所です……はい……」

 博士からの返答に理事一同の大きなため息が重なると、ネルソンは壁際のテーブルに着いている白い和装の少年に目を向け大きく声を張り上げた。

 「おチビさんの人形はどうなんだ、ご自慢のお人形で向こうの様子は分からんのか?」

 ネルソンの問い掛けに合わせ周囲の視線が一気にソウタの方へ向けられると、人形のような無愛想な少年はピクリとも表情を変えぬまま、すんと澄ました顔で静かに口を開いた。

 「無理です。人形とは視覚の共有が出来る他、稼働中であれば離れていても分かります。ですが、『ナニカ』に入った瞬間視覚の共有も途絶え、稼働中か否かも確認出来なくなります。戻ってくるように指示を出した人形も依然戻って来ていません」

 少年の返答もまた芳しいものではなく、手詰まりかと言った状況に沈黙が重く圧し掛かると理事会の一人、オースタニアの代表理事ダニーが穏やかな口調で再びソウタに尋ねた。

 「気体サンプルの回収は君の人形の手柄と聞いた、同じ様に調査隊を回収する事は出来ないのかね?」

 ダニーの問い掛けに合わせ再び視線が集まるもやはりソウタの表情は変わらず、人形のような良い姿勢のままソウタは無愛想に答えた。

 「『ナニカ』へ人形の手を差し込むと、六十秒前後で差し込んだ部分が消滅します。気体サンプルはその時間内で限界まで腕を伸ばし、消滅する寸前で引き抜いた際、手に持たせていた気体回収装置が偶然サンプルを回収していたに過ぎません」

 気体サンプルの回収はあくまでも任意ではない、とした上でソウタは更に淡々と話を続けた。

 「第一次調査隊派遣の際、ケーブルとは別に隊員に下級を括り付け、回収のサポートが出来るように準備をしていました。しかし通信途絶後、回収を試みる暇もなく逆に人形の方が『ナニカ』へと引きずり込まれてしまいました。第二次でも同様です、五人全員に中級を括り付け回収を試みましたが、同じ様に引きずり込まれてしまいました」

 ソウタの話が終わると直後、バンッ! と机を叩く音と共にネルソンのがなり声が会議室に響き渡った。

 「下級も中級も駄目なら上級を使えばよかろう! なぜしない!」

 「……上級は……」

 ネルソンの叫びに合わせ三度視線が集まると、それまで一切表情の変わらなかったソウタは控えめにやや目を伏せながら初めて言葉を詰まらせた。

 「……その辺にしてやってくれ、彼は良くやってくれている」

 ホサキがなだめるように割って入ると熱を帯びたネルソンは椅子に踏ん反り返り両腕を組んで尚も不満をぶち撒けた。

 「ならばどうする? 一年掛けて分かった事と言えば空気があるかも知れんと言うだけ。各国の情勢不安も未だ根強い。使える金も時間も、無尽蔵という訳には行かんのだぞ!」

 ネルソンの言い分に理事達は誰も対案を示す事が出来ず、固く口を閉ざし揃って視線を落とした。

 大災害から九年――どの国も復興は着々と進みつつあるものの依然能力者による犯罪行為も絶える事はなく、秩序と均衡を欠いたままの世界では穏やかな日々や暮らしは未だ遠い夢物語という厳しい状況にあった。

 誰一人良い打開策を打ち出せぬまま会議が暗礁に乗り上げようとした……その時、部屋の片隅で缶ビールを煽っていた金髪の男が飲み干した缶を握り潰しテーブルへ叩き付けながら一際大きな声で沈黙を吹き飛ばした。

 「ここまで来たらやるこたぁ一つしかねぇだろうッ!?」

 突然の大声に驚いた一同が声の方へ目を向けると、注目を一身に浴びた金髪の男ザックは仄かに上気したご機嫌な様子で不敵な笑みを浮かべながらこう切り出した。

 「雑魚をいくら送った所で何も得られねぇ、なら選択肢は一つしかねぇ! 俺達の中の誰かを送りゃ良い、簡単な話だ!」

 「なっ何を突然言い出すかと思えば……飲み過ぎだぞ、ザック!」

 ザックの提言に直属の上司であるネルソンまでもが慄き理事会の誰もがざわめき動揺を見せる中、ご機嫌な男の独演会は更に続いた。

 「俺達は世界中から集められた選りすぐりの精鋭部隊、アークエイドの誇る最高戦力群! なんだろう? 抑止力が何だとまどろっこしい話はこの際無しだ。送った連中が死んだとも限らねぇ。何があろうと対処出来る奴が向こうに行って、戻って来れねぇ理由をどうにかすりゃあいい、そうだろうッ!?」

 机上の空論――どころか暴論ですらある……だが一方で合理的とも言えるザックの発案に理事会の面々はすぐさま問題点を洗い出し議論を開始した。……が――


 「一番の問題は誰が適任か、だ。彼らはいわばアークエイドの切り札、いつ何が起きるかも分からん情勢不安を抱えたまま切り札を失うのは看過できん問題だ」

 「国内だけの話ではない、この島の治安維持においても彼らの存在を前提にしている。どこが欠けても負担の増加は免れんぞ」

 「申し訳ないがうちのは出しませんよ。ただでさえこの島の建造に多大な貢献をしたのですから、帰ってこられるかも分からない博打などごめんです」

 「おたくの彼なら宇宙空間でも活動可能なんだろう? どんな状況にも対処可能という点ではこれ以上ない適任では?」

 「ふざけるな! 選ぶならもっと納得の行く方法を用意すべきだろう! 適任と言うならそっちだって何があろうと問題なさそうじゃないか!」


 ガヤガヤと紛糾するそれはもはや議論と呼べるものではなくなっていた。

 すると再びご機嫌な男、ザックは何本目かも分からない缶ビールをカシュッと開けながら揚々と楽しそうに口を開いた。

 「情勢不安が気になるならいるじゃねぇか……いち早く国内の沈静化を成し遂げた平和な所がよ……なあ? おチビちゃん」

 アルコールに上気したご機嫌な笑みを浮かべ、されどその眼光は鋭く真っ直ぐにソウタの方へ向けられていた。

 再び全員の視線がソウタに向けられようとしたその時、今度は可愛らしい声が会議室に木霊した。

 「異議あり」

 その声はソウタとウシオが座るテーブルの扉を挟んだすぐ隣から発せられたものであった。

 目を向けるとそこにはモコモコとした身体にフワフワの毛並みを持ち、濃い青紫色の宝石が付いたブローチと鮮やかな青いリボンが首元を彩る身長八十センチ程の大きな熊のぬいぐるみが鎮座して…………失礼、間違えました。

 そこにはふんだんにフリルとリボンの飾り付けられたロリータ風の洋服に身を包んだ可憐な少女が座っていた。

 最高戦力群オースタニア代表のその人、リリィは毅然とした表情ではっきりと異を唱えた。

 「そこまでの大口を叩くのなら、他人にやらせるのではなく自分が行くべき。誰でも良いなら、言い出した人が一番の適任」

 可愛い声とは裏腹にリリィの視線は鋭くザックを睨み付けていた。

 可憐な少女からの中々の手厳しいご指摘に当のザックはと言うと……リリィの言葉を聞きながらゴクゴクと喉を鳴らし、開けたばかりの缶ビールをまたしても一気に飲み干すと同時に吹き出すように笑ってみせた。

 「ブハッハッハッハッハッ! 勿論構わねえぜ? 上司が許すと言うならの話だがな?」

 会議室の対角に位置するザックとリリィの視線が中心でぶつかり合い火花を散らすと、すぐさまネルソンが立ち上がり間に割って入った。

 「ならんッ!? ならんぞザックッ!? ただでさえ広大な国土に手が回らんのだ、お前を失うわけにはいかんッ!? 断じてならん……ッ!?」

 酷く興奮した様子でネルソンが全力否定してみせるとザックはだとよ? とリリィに向けてまるで小馬鹿にするような厭味ったらしい顔で言い放つのだった。

 場が一気に険悪な空気に包まれる中、リリィと同じくオースタニアの代表理事ダニーは場を落ち着かせようと口を開いた。

 「国内の沈静化をいち早く成し遂げたというのは、素晴らしい功績だ。それが貧乏くじを引かされる理由になってはならんと思うがね」

 「……誰を選ぶにせよ、これ以上の人的損失は最小限に留めなければならない。次の方策で駄目なら、向こう側の有人調査は一時凍結せざるを得まい」

 ダニーの後にホサキが続き、行き詰まった会議を一時取りまとめ後日の機会に改めようかと話し始めた頃……部屋の片隅で俯き目を閉じて何かを思案していた人形のような和装の少年がおもむろに目を開きゆっくりと顔を上げた。

 その様子を隣で見守っていたエプロンドレスの女性は妙な胸騒ぎを感じ、心配そうに少年へ声を掛けた。

 「ソウタ……?」

 少年はウシオの声にも反応を見せずただ真っ直ぐに前を見据えたまま、その瞳にはどこか強い意思が宿っているように見えた。

 理事会の面々が一様に解散を見ようとしていたその時、少年の固く閉ざされていた口がゆっくりと開かれていった。

 「ボクが行きます」

 短く、されど力強く、少年は驚くべき言葉を口にした。

 その場にいる誰もが少年の言葉に驚きを隠せず、しかし掛ける言葉もなく、ただただ人形のような無愛想な少年を見つめる事しか出来ずにいた。

 そんな中にあってただ一人……ご機嫌な金髪の男だけが、勇気ある少年へ惜しみない拍手を送っていたのだった。



 中央会議室から場所を移し……ここはアークエイド本部内日本領、統括理事会代表ホサキジュウジの執務室――部屋の中にはこの部屋の主であるホサキの他、応接用のソファに座るソウタとウシオの姿もあった。

 「何故あんな無茶な……理由を聞かせてくれないか」

 自身の執務用のデスクに座り肘を突いた右手で頭を抱えながら、眉間にシワを寄せたホサキは発言の真意をソウタに問いただしていた。

 「必要だと判断したまでです。どの道、我々の中から誰かを送る方向で議論が進めば、自ずと自分が選ばれていました」

 相変わらずの無愛想な、すんと澄ました顔でお茶を啜りながらソウタは淡々と答えた。湯呑の中に視線を落としながらソウタの話は更に続く。

 「組織設立の発案者である事、それと黎明期の不安定な責任の所在を押し付ける都合の良い場所として、半ば強引に代表を任されてはいますが、日本はこの組織の中で最も立場が弱い。どこの国も自分の所の切り札を手放すつもりなどないでしょう。必然、最後はうちに押し付けられる」

 「……私にだって意地はある。仮にそうなっていたとしても、黙って受け入れるつもりなどなかった」

 自身の立場の弱さを自覚しているが故に、ホサキは苦しい胸の内を明かした。

 「どう転ぼうと君達の中から選ばなければならないのなら、その時はまず私自ら名乗り出ようと……」

 「能力者でもないただのおじさんが名乗り出た所で、笑われるだけですよ」

 そう言いながら飲みかけの湯呑をテーブルに置くとソウタはホサキの方に目を向け、ややぎこちないながらも微かな笑みを浮かべてみせた。

 「あなたはこれからの日本、そしてこの組織にとっても必要です。ボク以上に、無茶は許されませんよ」

 無愛想な少年の見せる優しい表情に目を細め、根負けしたホサキは目を閉じると共に大きなため息を零した。

 そんなホサキの心情などお構いなしと言った様子でソウタはテーブルの上に置かれた茶菓子をお皿ごと手に取り、一口大に切って上品に口へ運んでいた。

 沈黙の中茶菓子のお皿をテーブルに戻し、口に残る甘さをズズッとお茶を一口含んで洗い流すとホッと一息ついてソウタの声が続く。

 「それに、個人的にも『ナニカ』の向こう側には興味があります」

 「……興味?」

 俯いていたホサキは顔を上げ、お茶を見つめているソウタにその意味を尋ねた。

 「はっきりとした事は言えませんが、人形を何度も送っている内に何となく、向こう側に行けそうな気がしました。そんなに悪いものは待っていない様な、何か温かいものが待っている様な、不思議な感覚があります」

 確証はありませんが、と最後に付け加えソウタは残りのお茶と茶菓子を交互に平らげた。

 人の心配など気にも留めず、見た目に反して全く可愛げのないソウタをジッと見つめていたホサキはフゥと一息吐くと、おもむろに机の引き出しからある物を取り出しソウタへ投げてよこした。

 「っ…………これは?」

 ソウタが咄嗟に両手で受け止めたそれは銀色の古びた懐中時計であった。所々傷だらけの古めかしい時計だがその針はチクタク、チクタクと今も確かな時を刻み続けている。

 「年代物のアナログ時計だ。時間の影響が違うかも知れんという事だから、役に立つかは分からんが……持っていけ」

 ただしちゃんと返せよ、と付け加えるとホサキは相変わらず眉間にシワを寄せたまま、ホサキの意図がよくわからないと言った様子で時計を眺めるソウタの事をしばし見つめていた。


 やがて――

 「……第三次派遣調査の詳しい日程やら細かい諸々は決まり次第追って通達する、レベッカからの報告を待て」

 と、ホサキから事務的な指示を受けるとソウタとウシオも事務的な反応を返し、二人は揃ってホサキの部屋を後にした。

 ソウタ達が部屋を出て少しした後、コンコンッと扉をノックする音が執務室に響いた。

 ホサキが入室を許可すると入ってきた人物は何も言わず、スタスタと応接用のテーブルの方へ歩いていくとソウタ達の使った湯呑やお皿を手早く片付け始めた。

 その様子をただじっと眺めていたホサキは藪から棒にその人物へと声を掛けた。

 「おい……本当に良いのか? あいつ本気で行くつもりだぞ?」

 ホサキからの突然の問い掛けにもその人物は微塵も動じる事なく、淡々とテーブルを拭き終わると湯呑やお皿を乗せたお盆を持って立ち上がりホサキの方へ振り向いた。

 「したいようにさせますよ、自発的な行動は歓迎する所です。そんな事より、意外とベタな事するんですね?」

 「ベタ……? 何の事だ」

 言葉の意味がわからないと言った様子で小首を傾げるホサキへ、その人物はからかうような笑みを浮かべながら解説した。

 「時計ですよ、わざわざ持たせて必ず返せよ! なんて、まるで映画のワンシーンのようで」

 「か、必ずとは言ってないだろう……っ!」

 自身の行動をいじられ年甲斐もなく気恥ずかしそうに誤魔化すホサキをその人物は無遠慮に、とても親しげな様子でしばしからかい続けていたのであった。



 数日後――

 第三次派遣調査の詳細は僅か数日の間に決まり、ソウタとウシオは本部内にある自室にてレベッカからの報告を確認していた。

 「――もう説明するまでもないとは思うけど一応確認ねー。調査任務の目標は大きく分けて三つ。一つ目は勿論帰還、もしくは連絡方法の確立。どんな手段でも良いからこっちとコンタクトを取れるようにする事」

 「――二つ目は先の調査隊の確認と保護、並びに回収……どうしても難しい場合は遺留品だけでも可」

 「――んで三つ目は現地調査。地形や環境、生態や資源とか、もし知的生命体がいるならその言語とか文化とかも、得られる情報は何でもって感じ。タイムリミットは六ヶ月。六ヶ月経っても帰還、もしくは連絡が叶わなければ有人での調査は一時凍結……追加の派遣調査は行われない。必要そうな持ち物なんかは諸々全部コンテナに突っ込んであるけど……食料物資の希望、マジでこれだけでいいの……?」

 レベッカからまるで信じられないものを見るような目で疑問を呈されたソウタは改めて自身の提出した希望を確認した。

 「……はい、大丈夫です。そのままお願いします」

 「――いいんだ……そっか……」

 ソウタがリストを確認し希望通りである事を伝えると、レベッカは画面の中でドン引きしていたかと思いきや突然瞳を潤ませ、グスッと鼻をすすりポロポロと涙を零して泣き出してしまった。

 「――……マジで……何て言っていいか分かんないけど……ちゃんと帰って来るんだよ?」

 声を震わせながら餞の言葉を口にするレベッカの余りに突然の変化にソウタはギョッと驚いた顔を見せていた。

 まさか自分達の為にレベッカが涙を見せるとは思っておらず、驚いたソウタであったが穏やかに微笑むウシオと顔を見合わせるとぎこちない笑みを浮かべ、その心遣いに素直な感謝を述べた。

 「ありがとうございます、そのつもりです」

 「――……絶対だからね?」

 メガネを外し、涙を拭うレベッカの口元にもいつの間にか笑みが浮かんでいた。

 レベッカの鼻を啜る音と共にしばし暖かな沈黙が続いていると、ところで……とソウタは少し申し訳なさそうに口を開いた。

 「ベッキーに一つお願いしたい事があるのですが……」

 「――ん、なに……?」

 レベッカがメガネを掛け直し画面の中から擦っても赤くならない目を向けると、ソウタは畏まった様子で切り出した。

 「ボクが留守にしている間、日本エリアの警備に少しばかりご助力願えませんか?」

 お願いの内容を聞くとレベッカはハテナを浮かべ首を傾げていた。

 「――まぁ、そんくらいなら別にいいけど……日本エリアにも別に治安維持部隊はいるじゃん」

 そんな畏まってお願いするような事? と疑問に思うレベッカにソウタは淡々と自身の考えを話し始めた。

 「ええ、居るには居ますが、人形が居なくなったと気付けば好機と見て悪さをする輩が増えるかも知れません」

 「――あー……そっか、あっちに送った人形がどうなったか分からないなら逆も一緒か」

 「はい、なので警備に付けている人形は全て回収してから行くつもりです。十中八九、治安の悪化が見込まれます」

 なのでどうか、と頭を下げるソウタにレベッカはドヤ顔でトンッと胸を叩いてみせた。

 「――おっけー、そういう事ならこのレベッカお姉さんにドーンと任せときなさい? 悪さするやつみーんなラボ送りにしてやんだから」

 この島におけるセキュリティの全権を掌握するレベッカからの頼もしい返事にソウタは改めて感謝を伝えた。

 「ありがとうございます、帰ってきたら何かお礼を考えないといけませんね」

 「――いやフラグ立てんなし……」

 「ふらぐ……?」

 フラグの意味を知らず、キョトンと首を傾げるソウタにレベッカは思わず笑みを零すと楽しみにしとく、と和やかに約束を交わすのだった。



 そして詳細決定から僅か一週間後――

 第三次派遣調査任務の決行当日、ソウタ達の姿は『ナニカ』の直ぐ側にあった。

 研究室の展望スペースにはホサキを除いた統括理事会のメンバーの他、最高戦力群の人達の姿も見られた。

 ソウタの周りにはいつもの通りエプロンドレスを身に纏ったウシオと理事代表ホサキ、そして研究者らしいちゃんとした白衣姿のブリスコラ博士の姿もあった。

 「忘れ物は、時計は持ったか? あいつはゼンマイ式だ、一日一回しっかり巻けよ」

 ホサキが時計のレクチャーをソウタに施しているその隣では、出会った頃より少しやつれた博士が瞳をうるうると潤ませながら熱い声援を送っていた。

 「ソウタ君、どんな小さな信号でも必ずキャッチするから……絶対にキャッチするから! 絶っっ対、帰ってくるんだよ!」

 「はい、頑張ります」

 博士の思いにソウタはぎこちなく微笑み、しっかりと頷いて応えた。

 そんな胸の熱くなるようなやり取りの傍らで、先程からグスグスメソメソと鬱陶しい声を上げている男がいた。

 ブリスコラ博士の送迎車で運転手を務め、緊迫した会議の場では躓き転んでティーカップを派手に割っていたその人……ハンカチ片手に目頭を押さえ、喧しく嗚咽を漏らすスーツ姿の男……ソウタの秘書である。

 「うぅぅっ……無事のっ……グスッ……帰還をっ……ズズッ……祈ってますっ……よぉっ……よょょょっ……」

 余りの鬱陶しい泣きっぷりをホサキに呆れたような目で見られている事にも気付かず、ついにはズビーッと鼻までかみ出した秘書の事をソウタはまるで意にも介さず、真っ直ぐに『ナニカ』を見据えていた。

 発見された当初から何一つ変わる事なく、『ナニカ』は今日もキラキラと鮮やかな星空を湛えたまま静かに佇んでいる。

 そんな『ナニカ』の前には、以前にはなかった物々しい大きな金属の塊が鎮座していた。

 大きな駆動式の土台に乗せられたそれは少し長めのワゴン車と言った感じの、様々な機材や物資を積み込んだコンテナであった。

 コンテナには数人が乗り込む事ができ、ソウタ達が乗り込んだ後土台が駆動し持ち上がっていくと足元に敷かれたレールを伝って『ナニカ』の中へとコンテナごと放り込まれる仕組みとなっていた。

 しかしそこに第一次や第二次の時のような回収用のケーブルはどこにも見当たらず、誰から見ても分かる片道切符となっていた。

 ソウタ達が緊張した面持ちで『ナニカ』を見つめているとやがて、何処からともなくこちらも緊張気味のレベッカの声が聞こえてきた。

 「――システムの点検完了、問題ない……はず…………やっぱもっかい確認して良いっ?!?」

 「これ以上は何度確認しても一緒だろう」

 何度目だ、とホサキは既に三度も確認を繰り返しているレベッカに呆れた様子で制止した。

 「……行くか?」

 「はい、行ってきます」

 ホサキの最後の確認にソウタははっきりと、しっかりとした口調で力強く応え、ウシオと共にゆっくりとコンテナの乗り込み口に向かって歩き出した。

 コンテナにはまず身体の大きなウシオから先に乗り込み、続いて小さなソウタが入り口に足を掛けるとふと、その姿勢のままおもむろに展望スペースの方へ視線を向けた。

 一直線に向けられたその視線の先には両腕を組んで白い壁に寄り掛かる金髪の男、ザックの姿があった。

 二人は数秒視線を交えるもお互い何の反応も見せる事のないまま、やがてソウタは静かにコンテナの中へと消えていった。

 ソウタとウシオが乗り込むと直後土台が駆動音を轟かせ、ゆっくりとした動きでコンテナは上昇を始めた。

 緩やかに傾斜をつけて上がっていくコンテナの搭乗口に目を向けてみると、何やら隙間から白くて細くて長い……ツヤツヤモチモチとした柔らかそうな紐状の物体が垂れ下がっており、床を這って更に続くその紐を辿っていくと未だ鬱陶しくグズっている秘書の腰へと巻き付くように繋がっているようであった。

 ホサキが、博士が、そして当の秘書本人が、それに気付くも時既に遅し……白い紐にとてつもない力で引っ張られた秘書の身体は軽々と宙を舞い、断末魔という表現に相応しい震えた叫び声と共にコンテナの中へと吸い込まれていった。

 バタンッとドアが勢いよく閉じられガチャンッとロックの掛かる音が響き渡ると、中からドタバタと騒音を響かせながらコンテナは無情にもレールを滑り『ナニカ』の星空へと喧しく落ちていくのであった――

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