エプロンドレスとビア・ラクテアの十示禍(テンペスト)第一部

橘月りんご

プロローグ

 西暦二〇XX年、太平洋上に突如巨大な光の柱が出現した。

 それはまるで噴水のように、あるいは水中爆発によって巻き上げられる水柱のように立ち上り、瞬く間に地球上から夜の暗闇をかき消していった。

 突然の事にパニックを起こす暇すらなく、煌々と立ち上る光を見上げる人々は一人……また一人と次々に意識を失い倒れていった。

 走行中の車は制御を失いクラクションをかき鳴らしながら車に、ビルに、家に、そして人に……立て続けに突っ込んでいった。喧しく鳴り続けるクラクションに爆発音、警報機のベルや火災報知器がけたたましく鳴り響く中、そこに人の声はなかった。

 水面に落とした小石から生じた波紋が輪を描いて広がっていくように、その日人類が長い年月をかけ築き上げてきた秩序は一瞬にして……ドス黒い混沌に塗り潰されていった。

 人類史上かつてない程の未曾有の大災害。だがしかし、災禍の本番はここからだった……。

 倒れていた人々が意識を取り戻すと喧騒は悲鳴を取り込みより大きく膨れ上がっていった。それは目の前に広がる惨状に対する悲鳴のみならず、自身の身に起きた異変に対する驚きと嘆き、そして恐怖の悲鳴であった。


 奇声を喚き散らしながら火ダルマになって走り回る小太りの男。

 泣き喚きながら頭をかきむしるような姿勢で石になっていく体格の良い男性。

 ドロドロとしたスライム状の粘液に変化していく自身の身体を呆然と眺める事しか出来ない中年男性。

 体中から湯水の如く溢れ出すクリームに溺れジタバタともがき苦しむ若い女性。

 大声で叫びながらすごい速度で空を飛び回りビルに激突して真っ赤に弾け散ったスーツ姿の男性だったモノ……。


 唐突に人類にもたらされた不可思議な異能による犠牲者の数は想像を絶し、百億人を超えようとしていた地球上の総人口はこの日……その約半数を失う事となった。

 世界中を混沌と絶望の渦中へと叩き落としたこの超大災害は後に、『フラッシュフォール』と呼ばれる――。



 各国が国内の現状把握と対策に追われ失われた秩序を取り戻そうと奔走する中で、いち早く国内の沈静化を成し遂げたある一つの国から国際社会に対してとある提案が出された。全ての国と地域が一体となってこの危機的状況に対処する為の組織……国際連合機関を設立しよう――というものである。

 自国の力だけでは対処不可能と判断した各国はこの提案に賛同し、世界中の国々をおおよそ十のグループに分け、それぞれの代表者によって統括理事会を組織。全てのグループで協力して問題解決を図ると共に、人類が獲得した異能に関しても研究を進める事で合意した。

 また、組織の本部は事の発端……フラッシュフォールの原因があると推測される太平洋上に建造される事となり、この海に何かがあるのか、何が原因でこのような事態が引き起こされたのか、再び起きる事はないのか等の原因究明も進められる事となった。


 歴史的な大災害からおよそ八年の歳月を経て太平洋上には直径二百キロメートルにも及ぶ巨大な人工島が建造され、島の中央部には本部及び研究機関等の建物が建ち並ぶ一方、十に分割された各エリアではそれぞれのグループに所属する人々によって各国の文化を反映した独自の街が築かれていった。

 やがて島の八割ほどが完成に近づいた頃、統括理事会は会見を開き全世界に対してこう述べた。


 「八年前のあの日、人類に課された試練は余りにも残酷で、誰もがその体に、心に、深く……深く大きな傷を負った。多くのものを失い、絶望と悲嘆に暮れる日々は、つらく、厳しく、苦しいものである」

 「しかし、しかしまだ、我々人類は生きている。生き続けている。そしてこれからもまた、生き続けなければならない。かの大災害は我々から多くのものを奪った。だが同時に、我々人類にもたらされたものもある……異能の力だ」

 「僅か八年という短い歳月で、これほどの巨大な人工島を築き上げる事ができたのもまた、人類が獲得した異能の力による恩恵に他ならない。制御できない力は脅威だが扱いこなす事が出来れば、これほど頼もしいものもない」

 「たった八年。未だ傷の癒えぬ者達の中には異能の力を恐れ、排除の声を上げる者もいる事は重々承知している。しかし、目の前の現実から目を背けていてはいつまでも前に進む事はできない。人類は新たな力を得た。この力と共に、これからの未来を切り拓いていく他に道はない」

 「我々は、人類に課されたこの新たなる試練への対抗と、力ある者、力無き者、両者の間に生まれた溝を取り除くべく邁進し、人類の更なる発展の為、全身全霊を以ってこれに尽力する事をここに誓う。そして、その決意と覚悟を広く知って貰う為の新たな名を、ここで発表させて貰いたい」

 「組織の名は『International Ability Analysis Research and Development Coalition agency(異能の解析及び研究開発を目的とした国際連合機関)』、その頭文字を取って『ARC AID』、救済の方舟、と願いを込めて名付けた。我々の誓いが、決意が、人類の明日への船出となる事を祈っている――」


 こうして、フラッシュフォールという大災害に端を発する一連の騒動は新たな局面へと進んでいく。

 葛藤、喜び、執着、後悔、約束、理想、欲望、恐怖、愛、情熱……数多の思いが複雑に絡まり合い、一本の糸を紡ぐように、どこまでも果てしなく伸びてゆく。

 果たしてそれは混沌の闇を切り裂く一筋の光となるか。はたまた、より大きな災いへと繋がる黒い導火線となってしまうのか……。


 今ここに、災いへと立ち向かう新たな時代の幕が上がる――

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