第5話 神界の果てにて

――静寂。


それは、戦の終わりの音だった。

燃え上がっていた神界の空は灰色に沈み、

無数の神々の残光が、まるで星屑のように散りゆく。


その中心に、一人の男が立っていた。

神崎悠真。

かつて人であり、そして神を越えた男。


彼の周囲には、もはや敵も味方もいなかった。

砕けた神殿の石柱、燃え尽きた空。

残るのは、風が運ぶ“終焉の気配”だけ。


悠真は静かに息を吐く。

肺の奥から出たその息は、まるで霧のように白く広がった。

かつて感じた「熱」も、「痛み」も、すべて遠い昔のようだ。


「……これが、神を越えた先か。」


その声は、寂しげでもあり、穏やかでもあった。


足元には、彼が斬り伏せた神々の武器が散らばっている。

その中には、修行神ルオ・ザルの杖もあった。

かつて彼を導き、試し、そして託した男の象徴。


悠真はそれを拾い上げた。

ひび割れた杖の表面に指を滑らせると、

その奥から微かに光が漏れた。


「ルオ・ザル……」


耳の奥に、懐かしい声が響く。

それは風か、記憶か、それとも魂そのものか。


『お前は、修行の意味を見つけたか。』


「ああ。痛みの中で、やっとな。」


『ならば、これからどうする。

 神を超えたお前に、もう修行は残っていないはずだ。』


悠真は少し笑った。

その笑みには、どこか人間らしい柔らかさがあった。


「修行ってのは、終わるもんじゃないだろ。

 ……終わりを決めた時点で、もうそれは“修行”じゃねぇ。」


ルオ・ザルの声が一瞬、静まり返った。

そして、やがて穏やかな笑いが返ってきた。


『なるほど。ならば、行け。

 神の座を離れ、再び“人”として歩め。

 修行の理は、まだ地に息づいている。』


悠真は頷き、杖をゆっくり地に突き立てた。

すると、大地が静かに光を帯び、

神殿の残骸が粒子となって空へと還っていく。


光の流れが風を生み、風が悠真の髪を揺らす。


彼は天を仰ぎ、目を閉じた。

光と闇の狭間で、ひとつの“決意”が心に刻まれる。


「俺は、神じゃねぇ。

けど……“修行神”の意志は、この手で繋いでいく。」


その瞬間、悠真の背から黄金の光が立ち上る。

それは翼のように広がり、やがて静かに消えていった。

神の証が、消えた。


悠真は自ら“神”であることを捨てたのだ。

だが、不思議と恐怖はなかった。

むしろ胸の奥に、久しく忘れていた“熱”が戻ってきていた。


「……ああ、これが“人”の体温か。」


握った拳が震える。

その感覚が、懐かしかった。

傷つき、疲れ、迷い、倒れる――そんな不完全な存在であること。

それこそが、人であるという証。


悠真は剣を地に突き立て、最後に一度だけ振り返った。

そこには、かつての仲間たち――

戦いの中で倒れた神々の魂が、光の粒となって漂っていた。


「お前らの修行も、俺が引き継ぐ。

今度は、地上でな。」


空が鳴動した。

大地が割れ、光の渦が彼を包み込む。

足元の神殿が崩れ、天界と人間界を繋ぐ“道”が開かれた。


悠真は一歩を踏み出す。

その一歩が、無限の時を超える――。


「修行は終わらねぇ。

俺が続ける限り、誰かが見ている限り、道は途切れない。」


光の中で、悠真の姿がゆっくりと消えていく。

風が吹き抜け、空の彼方でルオ・ザルの声が、確かに微笑んだ。


『――修行の炎、再び人の世へ。』


そして、世界は静かに光に包まれた。

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