円環サンクチュアリ

乃木ちひろ

プロローグ

 死者を蘇生させる。まぎれもない禁術だ。そして過去に成功した記録はないという。

 ならば、俺が最初に成功させてみせる。 ジャジは何より大切な友だちなのだ。このまま失うなど耐えられない。


 礼拝堂には月明りが差し、ジャジが眠る棺を照らしている。

 リザンの魔力量からしても、挑戦できるのは一度きりだ。そして明日には、棺は島を出てしまう。


 必ず成功させる。


 リザンは深く息を吸った。呼吸を一定にして集中力を高める。頭の中で魔法陣の立体構造を組み立てていく。五つの層が垂直に重なり合うものだ。杖を振るい、頭の中のをそのまま描き出していく。


「第一層、『反転』」


 振るった杖に沿って空中に金色の軌跡が残り、四つの円環が浮かび上がる。命の流れを逆転させるのだ。生から死へではなく、死から生へと。第一層はその土台だ。


 正常な流れへ戻ろうとする魔力を力ずくで押さえ込む必要があるため、四つの円環には「安定」ルーンをくさびのように深く沈める。


 リザンの額に汗が滲む。まだ土台の第一層だというのに、既に魔力の半分近くを使っている。構わない。ジャジを取り戻すためなら、命だって惜しくない。


「第二層、『回帰』」


 ジャジの魂を捕捉する。そのためには、ジャジの名を織り込んだ特別な「門」のルーンを使う。柱のような強固さで第一層と接続し、魂を吸い上げるのだ。


 すると、喉元に冷たい手をかけられたような息苦しさが襲う。こんな感覚は、これまでの魔法では一度も経験したことはなかった。だが構わずに、一定の量を維持して魔力を込め続ける。


 やがて門のルーンが、水銀が流れるように順々に発光していく。魂が戻ってきたのだ。


「よし……。第三層、『変換』」


 魂に循環を与え、生命へと変える。第二層のすぐ下、八方位に「交換」「旅路」「明光」「定着」「結合」「償還」「変容」「浄化」のルーンを配置する。各ルーンは八芒星の線で結ばれ、放射状に広がっている。星の中央に第二層からの柱を繋げた。


 接続部から流れてきた水銀——ジャジの魂が第三層へ移ると、八芒星が左回りに回転し始める。一周したところで魔力で負荷をかけ、今度は右に回転させる。また一周すると左、今度は右。これを繰り返していく。


 回転が強すぎると魂が壊れる。弱くては循環しない。常に最適な魔力量へ微調整する、針に糸を通すような繊細な魔法だ。ジャジはこういうのが得意だった。


 ジャジ、見ててよ。


 額から汗が伝う。しかし拭ったら最後、魔力の均衡を失ってしまう。回転が安定するまで気を抜くわけにいかない。

  ジャジに命が戻った後、その炎を長く灯し続けられるかどうかは、この回転にかかっているのだ。


 やがて自然と回転がゆっくりになり、銀色に満ちた魔法陣が完全に停止する。成功したはずだ。


 次に、魂を生命へ変換する必要がある。だがリザンの魔力量では足らないと分かっている。だから迷いなく告げた。


「我に残る日々を断ち、汝が命の糸を紡がん。死せる者より生ける者へ、時の流れを反転させよ」


 使うのは、リザンの寿命。

 古代語で唱えると、 魔力へ変換された生命が魔法陣からあふれ出す。ここが正念場だ。 蘇ろうとするジャジの生命が暴走するのを抑えねばならない。残りの魔力のことは考えず、全開の出力で魔力を注ぎながら、更に第四層を展開する。


「第四層、『構築』」


 生命を納めるための肉体を、途絶えた循環を、再生せねばならない。四元素でも五行でもない、ジャジを形作るための十二方向のルーンだ。一つでもルーンに欠陥があれば、そのまま肉体の欠損へと繋がる。わずかなミスも許されない。


 リザンの目が金色に光る。

 俺の魔法陣は完璧だ。いつもそうだろう。

 己に言い聞かせる。


 ジャジの記憶を思い起こす。喋っている姿、笑っている姿、食べている姿。ともに語らい、魔法を磨いた記憶。それらがすべて十二のルーンに刻まれていく。


 魔法陣を紡ぎながら、リザンは泣きそうになるのを堪えていた。

 ジャジの温もりがそこにあった。いつもそこにいてくれたのだ。火竜を見た感動を、魔法対抗戦で優勝した喜びを、孤独な過去の寂しさを、分かち合った。


 なのにジャジだけが消えてしまうのか。もう四人に戻ることは永遠にない。それは底なし沼へ引きずられるよりも恐ろしい。


 十二のルーンに光が満ちる。

 あと一つだ。


「第五層、『起動』」


 中心に「生命」ルーンと、生命樹。魔法生成時に基本となるルーンだ。死から生へと逆行する魂が、最後に生命の輝きを得る。これまで構築した第一層から第四層までと、この生命ルーンを接続することで、肉体と魂が結合し蘇るはずだ。


 教授に直接確かめたわけではない。だがこれまでの学びを統合すれば、正しいはずだ。魔法陣は第一層の地上から第五層の地下へと伸びる、巨大な塔のようになっている。


「いくよ」


 生命ルーンの中心に、接続の「架橋」ルーンを足す。 これで第一層から第五層までが一本の柱で貫かれ、死から生への道が完成する。


 だが次の瞬間、リザンの体が何かに弾き飛ばされた。背中から後方の椅子に激突する。


「……っ! なんだ、どうしたんだ」


 魔法陣全体が激しく明滅し、魔力が逆流してしまっている。第五層から第四層へ、第四層から更に戻ろうと。


「どういうことだ⁉ 待って、止まれ!」


 き止めようとするが、逆巻く魔力を制御できない。


「駄目だ! 第三層まで戻ったら——!」


 ジャジの肉体が壊れてしまう。もっと戻れば、魂さえも失われてしまう。

 どうして。「架橋」の強度を誤ったのか? いや、縦画は足りている。接続角度か? 魔力量か?


「やめて、止まってくれ。ジャジが帰って来られなくなる!」


 だがリザンにはかろうじて押さえることしかできない。魔力を全放出している。魔法陣を修正する余裕はない。このままリザンの体力が尽きれば、逆流を止める術はない。そしてもう、魔力は長くはもたない。


「ジャジ……ジャジッ!」


 手が震えてきてしまった。これでは魔法陣の維持もできなくなる。

 絶望に膝をついたその時だった。


「リザン……⁉ 何をしている⁉」


 後方から駆け寄って来る足音。そしてリザンにとって、誰よりも頼りになる声。


「カヴィル……。助けて。ジャジが、このままだとジャジが!」

「お前、これはッ、禁術だぞ!」


「そうだよ。でも俺にはジャジを失うなんて耐えられない。四人じゃない生活なんてあり得ないんだよ」

「だからって、こんな」


「お願いカヴィル、助けて。このままじゃジャジが戻れなくなる。俺に力を貸して」

「ダメだリザン」


「お願いだよ」

「終わりにするんだ」


「いやだよ」

「リザン! 諦めろ。ジャジは死んだんだ」


「いやだ! 二度と魔法が使えなくなってもいい。俺の命なんていらない。ジャジはっ、ジャジは大事な友だちなんだ!」


 叫んだ瞬間、第四層の逆流が止まる。だがそれも少しの間だけで、すぐに再開した。


「カヴィル。お願い。助けてよ。俺一人じゃできない。できないんだ」


 か細い声で、リザンはカヴィルの足にしがみついた。泣くわけにはいかないと思ったが、どうしても堪えきれなかった。


 すがりついたカヴィルの足が、わずかに震えている。後ろへ引くか前に踏み出すか。その葛藤がリザンにも伝わった。


 倫理に反する魔法である。類まれな魔法使いになるであろうリザンの将来を、一生監視下に置かれるほどの危険に晒すことになるのだ。カヴィルが許すはずがない。


 だが歴史上、誰一人として成せなかった蘇生魔法を、リザンは一人でほぼ完成させた。新たな歴史を作るその事実に、カヴィルほどの魔法使いが何も感じないはずがない。


 今すぐ、引きずってでもリザンをここから連れ出すべきか。

 あるいは禁忌を犯し、共に歴史と世界を変えるか。


 カヴィルの手が、リザンの体へかけられた。

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