第2話 謎の青年フレッド

「何ナンダ、オマエー!!」


 森の中で響いた耳をつんざくような高い声に、急速に現実に引き戻される。


「チクショウ! ハナセ!」


 少し先の場所で騒いでいるのは、自分の道案内をしてくれていたシャルシェだ。


 急いで走っていくと、シャルシェの足をむんずと掴み、逆さに持っている金髪の青年がいた。


「喋る鳥か。面白いね。魔族と魔物の巣窟の森だと聞いていたけど……ひょっとしてお前は、人の言葉を操るという魔族か?」


 青年は興味深そうに呟いている。


(人間……!)


 目覚めて初めて出会えた人間の存在に、驚きと同時にホッとする気持ちが正直あった。


 だが青年に掴まれたシャルシェは、逆さの状態でジタバタと暴れている。

 いくら人間でも、弱いものいじめは許せない。


「ちょ、ちょっと! シャルシェを放して!」


 草木をかき分けて駆け寄ると、その青年はハッとこちらを振り向いた。


 そして驚きの表情を浮かべると、シャルシェの足を放した。


 バサバサと飛んでいくシャルシェの翼の陰で、青年は一瞬、泣き出しそうな顔をした。


「エヴィー! 探したよ、無事で良かった……!」


「え……」


 彼の安堵する表情に、その場から動けなくなる。


(私を、知ってる? それに、探した、って)


 森の奥から、何かの獣の鳴き声がした。

 相変わらず、風には腐臭が混じっている。


 この青年はまさか、自分を探してこの森に来たのだろうか?

 こんな不気味な場所に。


 一人で?


「エヴィー?」


 何も応えられずにいると、青年は不思議そうな表情を浮かべた。


 簡素だが整えられた青年の身なり。頭の後ろで一つにまとめられた淡い金色の髪と、印象的な青い瞳。


 一度見たら忘れられそうにない美貌なのに、その姿は自分の記憶には無い。


 まじまじと見つめていると、微笑みかけられた。


「酷い怪我をしただろう。すぐ魔法で治してあげる」


 その瞬間、呼吸が浅くなる。


(私が怪我をしていることを、知っている……)


 青年はこちらの戸惑いや警戒になど気付いていない様子で、手足の痕を見つけて魔法で治してくれる。

 その手つきは、宝物に触るように丁寧だ。


 空を覆う森の木々が、風にさわさわと葉を揺らす。


「手が震えてるね。寒い?」


 優しく問われ、首を横に振った。


 悪い人ではないのかもしれない。

 トクン、と小さく胸が鳴った。


「怖い目に遭ったね」


 ため息をついた後、彼は悲しげに呟いた。


 エヴァンジェリンは唾を飲み込み、息を整えた。


「あの、すみません」

「ん?」


 この青年が何者なのか分からない。

 敵なのか味方なのかも。

 それでも、聞かなければ始まらない。


「治してくださって、ありがとうございます。でも私、自分が誰なのか忘れてしまって……もしご存知なら、教えていただきたいんですが」


 鳥達の騒ぐ声が、遠くから聞こえる。


 青年は青く澄んだ瞳を見開いた。

 そして、何かを察したように苦笑を浮かべる。


「はは……冗談はやめてほしい。こんなことをされて、君が怒るのは仕方ないけど……」


「あの、冗談ではなくて、本当に分からないんです」


 この訴えに、青年の顔から笑みが消える。


「じゃあ、僕のことは……?」


 その声が震えている。


(傷つけたくない。でも、嘘は言えない)


「……ごめんなさい。どうしても思い出せないんです。私の知り合いの方、なんですよね?」

 

 青年は息を呑んだ様子だった。


「生きて、また会えたのに」


 そばの木に力無く寄りかかった青年の肩が、大きく揺れる。


「……嘘だ。嘘だ! エヴィー、君が僕のことを忘れてしまうなんて嘘だ!!」


 取り乱した青年の様子に胸がキリキリと痛む。誰かを悲しませたくなどないのに。


 何か、忘れた記憶を思い出すきっかけはないか。


「私は……エヴィーという名前だったんですか?」


「……エヴァンジェリン。僕はエヴィーと呼んでいたけど」


 見つめてくる青年の瞳は潤んでいた。


「君は僕の大切な人、エヴァンジェリンだ」


「エヴァン、ジェリン。あ、貴方は……?」


「僕はフィ……フレッドだ」


 青年は一瞬、迷うような表情を浮かべた。


(今、何か言いかけた……?)


「フレッド、さん」

「どうかフレッドと呼んで」


(距離が近い……!)


 フレッドの整った顔が近づいてくると、心臓が暴れ出して息が上手くできなくなる。


「フレッド……は、私の友達ですか?」


 フレッドは少し寂しげな表情を浮かべた後、わずかに首を傾けて囁いた。


「僕は、君の……恋人だよ」


 頬を染める青年。


 エヴァンジェリンは固まった。


「ええと?」

「つまり、君は僕のもので、僕は君のもの」

「ま」


 待って、と言いかけた。


 頭の処理が追いつかない。


「そうだね、もし君が記憶を失ったのだとしたら……僕達の関係がどこまで進んでいたかは、君も気になる点だよね。お互いに全てをさらけ出す関係だったかと言われれば」


「求めてない! そんな情報求めてませんから!!」


 クスクス、とフレッドが小さく笑った。


「こう言う話で、すぐ顔が真っ赤になるのは変わらない。君はエヴィーだ」


「か、からかったんですか……?」


 調子を狂わされたエヴァンジェリンは、盛大にため息をついた。


 しかし、フレッドの笑顔を見たとき、自分の身体の内側に熱いものが込み上げてきた。


(私はきっと、人のこんな表情が、たまらなく好きだ)


 ずっと見ていたい。守りたいのだ。


『守りたい』——!!


 頭の中に稲妻が走ったような衝撃が走り、エヴァンジェリンは呆然とした。


 そう。自分は思ったのだ。


 記憶を失う前に。



「ソロソロいいか?」


 緑色のオウムが二人の間に顔を出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る