王の剣と王の癒し手

第1話 魔族の鳥シャルシェ

 誰かに頬をツンツンとつつかれているような刺激。湿った土の感触。

 そして、灼けるような背中の痛みで目覚めた。


「う……」

 身を起こすと、身体の節々に痛みが走った。


(ここは……?)

 ぼんやりと辺りを見回す。

 濃い緑の葉が鬱蒼と茂る暗い森。

 風の中に、何かが腐ったような臭いを感じる。


「オマエ」

「!」


 不自然に高い声で呼びかけられた。

「だ、だれ?」


 声がした方を見ると、手のひら大の緑色の毛玉が地面に転がっていた。


「……今喋ったの、この毛玉?」

「オレ様、シャルシェ。オマエ、ダレだ」

「毛玉……じゃない?」

「オレ様、誇りアル、マゾクのトリ」


 よく見れば、その毛玉にはアーモンドのような目玉が二つあった。

 少し凹んだ部分がある丸い体に小さな翼。

 本当に飛べるのか心配になる。


「私は……あ、あれ?」


 自分の名前が出てこない。

 まるでそこだけ、頭の中から切り取られたようだ。

 背中がひんやりとする。


「ど、どうしよう……!」

「ドーした?」

「私の名前、知ってる?」


「オレ様、シラナイ」


 シャルシェはコロコロと地面を転がる。

「オレ様、エサをホルため、来タ。オマエ、エサのウエ、倒レてた」


 ギョッとした。

 自分の下に、この魔族の餌があったらしい。

「あ、ごめんなさい」


 ささっ、とその場を離れた自分を、シャルシェのつぶらな目玉が睨む。

「ケケケ。もう、オマエ、オレ様のエサ!!」


 毛玉が赤くなった?——並んでるのは、歯!

 シャルシェが口を大きく開けたと気付くのに時間がかかった。


 自然と身体が動いた。

「——!!」


 ボコ!


「グァァァ!!」

 鳥の甲高い悲鳴が空気を裂いた。

 

(え、何!?)

 シャルシェは、木の幹に跳ね返りながら遥か遠くへ飛んでいった。


 どうやら自分は、噛みつこうとしたシャルシェを、拳で思いっきり返り討ちにしたらしい。


 何かを考える余裕など無かった。

「だ、大丈夫!?」


 無意識とはいえ、乱暴してしまった。

「マダマダ!!」

「や、やだやめて!」

「ぐふぅっ」


 めげずに再び襲ってきたシャルシェを、また綺麗に殴り飛ばしてしまった。


「……ニンゲンのクセ、いいコブシ」

「な、なに? 手が勝手に動く……」

(この身体、一体何!?)

 落ち着いて。

 どこかに自分を思い出すヒントがあるはず。


 浅く息を吐いて上を見上げる。

 しかし空は、背の高い木々の葉に遮られてほとんど見えない。


 ぐぅぅう……。


 その情けない音は、目の前のシャルシェから聞こえた。


「お腹、空いてるの?」

「もう何日も食べてナイ。埋めたエサも、もう少シしかナイ」


「それは……大変ね。魔族は何を食べるのかしら?」

「イキモノの肉、ホネ、血。食ベル」


 シャルシェの凹んだ体を見て、針で胸を刺されるような痛みが胸に走る。

 いくら魔族でも、このまま、この痩せた小さな生き物を見捨てるのは可哀想だ。


「あのね。骨や肉はあげられないけど、血は少しなら、あげられると思う。あ、でも、少しだけね!」

 恐る恐る、腕を差し出す。


 シャルシェはふるふると、緑色の身体を震わせた。

 そして、ギラン!と目を輝かせて、腕に噛みついてきた。


「いっっっっ……たたた……」


 豪快な音と共に、腕から血が吸い取られる感覚がする。

 小さな魔族は、腕から口を離すと突然ビクリと跳ねた。


 そしてそのまま、ブルブルブルブル!!と激しく震え出す。

 動きが速すぎて残像しか見えない。


「コ、コノ!! コノ血……!!」

「え、どうしたの一体!?」


「ぐぉぉぉぉ」という呻き声。

 そして。


「ミナギッテキター!!」


 歓喜に染まった高い声と共に、緑の毛玉は凄まじい輝きを放った。


「スゲー! オレ様のハネがデカくなった!」


 その声と共に光の中から聞こえてきたのは、力強い羽音だった。

「へ……!?」


 光がシャルシェの輪郭を形作っていく。


 緑の毛玉は、五倍ほどの大きさに変化していた。

 さっきまでのまん丸から、少し細長いフォルムになっている。

 鮮やかな青の羽が入り混じる大きな緑の翼と、黒く曲がった大きなクチバシ。


 この鳥の名前は知っている。オウムだ。

(毛玉が、鳥になった……!)


「オマエ何ナンだ! イロんなやつの血を吸ったけど、こんなにデカくなったコト、ナイぞ!」

 興奮した声で言うと、その存在は翼を広げて胸を張った。


「ナニカ分からんが、すこぶるキブンがイイ!」

(何か分からないけど、とても偉そう)


「よし、オマエをオレ様のコブンにしてやる!」

 単語の連なりに近かったシャルシェの言葉が、少し人間のそれに近づいている。


 しばらく考え、閃いた。

「そうだ!」

 シャルシェの前に立つ。


「じゃあ……交換条件にしましょう、シャルシェ」

「コーカンジョーケン?」


「そう。私の血がまた飲みたいなら、友達になってちょうだい。この森は深そうだし、私は自分が誰かも分からない。貴方にしばらく助けてもらえると嬉しい」


「……」

 シャルシェは思案するように首を傾げた。


「ひとまず、森を出ようと思うの」

「ワカッタ、オマエを助ケル」


 意外と素直に了承したシャルシェは、目をきらめかせた。

「そのかわり、モリを出タラ、また血をクレ」

「うん。約束ね」


 シャルシェは、その態度や言葉と裏腹に、何故か少し可愛らしい。

(純粋、だから?)


 不思議なオウムだ。



   ☆☆☆



「ついてコイ」

 シャルシェは緑の翼を広げ、森の木々の間を飛んでいく。

 不安は尽きないが、行動を共にしてくれる存在は心強い。


 一歩ずつ、強張る足を踏み出して歩く。


 自分が踏んだ枝がパキリと折れた時、その音に怯えてしまった。

 遠くから、シャルシェの物ではない不気味な鳥の声がする。


 森の奥は暗く翳っていて、何が居てもおかしくない。

 人を食べる魔族や魔物がこちらを見ているかもしれない。

 シャルシェの案内が無ければ、生きて出ることもできないのかも。


(私は、一体何をしたの。何をされたの?)

 手首と足首に何かで縛られたような痕があることに気付き、足を止めた。


 シャルシェを殴ってしまった時の感覚を思い出す。

 襲われることも戦うことも、きっと日常的なことだった。


 やっぱり自分は……犯罪者なのか。

 もし、自分が脱獄した囚人だとすれば、人がいる場所に出て行くのはまずいだろう。


(でも)


 汗ばんだ手を握りしめた。

 自分はとても大事なことを、忘れてしまっている気がする。

 甘やかで、秘めやかで、それでいて熱い。


(思い出さなきゃ)



——覚えていて……


 その声を思い出した瞬間、頭に鋭い痛みを感じた。

 うずくまって痛みを何とかやり過ごした時、気付いた。

「……シャルシェ?」


 自分の少し前を飛んでいたシャルシェの羽音が、途絶えている。


 シャルシェの悲鳴が聞こえたのは、その時だった。

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