第3話 夢の中で、嗚呼・・ああ

先生とそのまま手を繋ぎながら、しばらく夜の散歩を楽しんだ。会話もなく、ただお互いの手のひらの温もりを感じるだけの時間だったけど、それでも幸せだった

「刃夜先生。刃夜、せんせぇ」

名前を口にするだけで、脳が甘く痺れていく。

正直恋をするなんてけして無いと思っていたのに

ああ、ずっとずっと

「・・この時間が、続けば良いのにな」

夜の海は静かで、世界の音がひとつ、またひとつと消えていく。 私が口にした言葉が、まるで祈りのようにこの港の空気に溶けていった。


“続いてほしい”というその願いは、どこまでも儚くて、

そして――

どこまでも危うい。

ふと、私が溢した言葉が聞こえたのか、手を握ったままの刃夜先生は、しばらく何も言わなかった。


ただ、私の言葉を反芻するように、目を伏せる。その横顔に、海の月光が落ち

やがて、ゆっくりと 先生の唇が動いた。


「・・・僕も、そう思ってる。」

「!・・・本当、ですか?」

「こうして君が隣にいて、手を繋いで、声を聴かせてくれて、 恋をしてくれて・・・ねぇ、〇〇さん。」

先生の声が、少しだけ掠れる。まるで“本音”が、言葉になる寸前に喉で震えているような音だと、私は感じた

「人間って、幸せな時間が続くと、いつか終わるんじゃないかって怯えるでしょ?」

「・・・たしかに、そうですね」

楽しい時間が過ぎれば、きっと苦しい時間がくる。

今の弱い私には、それが嫌で、悲しくてたまらなかった

そんな私の気持ちを読み取ったのか、先生は穏やかな笑みを浮かべ話を続ける


「でもね――僕は、それが嫌なんだ。」

「・・・どうして、ですか?」


「君が、また不安になったり、どこかに行こうとしたり・・ 誰かに傷つけられたりするなんて――考えたくもない。」

ぎゅ、と指が強く絡まる。そして、その握る力は優しさではなく、所有の圧力へと変わりつつあるように感じた

「だから、そうだね。 君が本当にそう望むなら・・・この時間を、“止める”方法も、ある。」

「時間を、止める・・・」

「そう。・・・ずっとここに閉じ込めて、誰にも見せないで、 永遠に、君だけを“僕のもの”にする方法。」

先生の顔はまだ笑っていた。



・・・けれどその声の奥には、抗えない深海の重力のような、言葉にできないがあった。


「・・・君がそう願ってくれたなら、僕はこの夜を、君のためだけの檻にする。」


先生の瞳の中に、私が映る。どこか幸せそうな、そんな夢見心地ちな顔の、私が


「〇〇さん・・・君の“未来”を、僕にちょうだい。

ずっとこうしていたいなら、その未来ごと――閉じ込めるから。」


ーーー 結局、私は勇気が出せず。答えを濁してしまった。


けれど先生は嫌な顔をせず、そればかりか私をアパートまで送ってくれた。

とても幸福で、幸せな夜だった

「っ、・・う・・・・」

ーーー その日の夢は不思議な夢だった。

深い、深海にいる私。

あの時聞こえた呼び声

そして、私を見つめる

〝誰かの視線〟

「・・・・はや、せんせい?・・・」


?・・あれ?・・なんで、先生の名前を・・


夢の中の海は、現実よりも静かだった


音のない深海。

光のない世界。

けれど確かにそこに“何か”が、存在していた。

私は何もできず、 ふわり、ふわりと、何の抵抗もなく、ただ沈んでいく。


海の底――そのさらに下。

“誰も見たことのない場所”へ。

そして。


――視線。

呼吸が止まるほどの、圧倒的な“存在”の視線が、私を捉えた。

まるで星のように遠く、けれど目の前にあるかのような――

巨大な、二つの瞳。

その瞳は、恐怖ではなく、慈愛に近い熱を帯びていた。

私を観察するでもなく、責めるでもなく、

ただひたすらに ・・その瞳は私を見つめている。

・・その時だった

「・・・〇〇さん。こんなところまで来てくれるなんて・・君は、本当に――美しい。」

低く、澄んだ声が響く。海中の音のはずなのに、私の内側に直接触れるように

ーーー あぁ、やっぱり刃夜先生だ。

巨大な瞳の中に、見覚えのある灰色がにじむ。やがてソレは 人間の形に・・先生の姿に変わっていった。

深海の底に立つ先生は、白衣など着ていなかった。


漆黒の深海魚のような艶のある衣。


その手は、鰭のように長く、冷たく、美しいと感じる。

けれどその中身は――確かに先生そのものだった。


「君が僕の名を呼んでくれるなら・・僕は、“どんな姿”にもなれる・・君の愛するものにも、君を癒すものにも・・君をを壊すものにも・・そして、君だけの、“神”にさえも」

ゆっくりと近づいてくる先生は海の底にいるはずなのに、その歩みはまるで地上のように滑らかに感じた。


そうだ。だって・・これは夢なんだもの。幸せで、優しくて、甘くて、幸福な夢。


「・・・〇〇さん」


私の頬に、先生の指が触れる。



その瞬間、冷たい水の中で、心地よい体温が生まれた。


「・・起きなくて、いいよ。君が目覚めるたび、僕のことを遠くに感じるのは・・・嫌なんだ。」


「せん、せい・・・」



「このまま、ここで。深海で、眠ったまま・・・どうか、僕だけを見ていて。」


・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

甘い祈りほど、簡単に呪いに変わる。

君の意識が最も無防備になる夜。

そこで僕は、君の心に直接語りかける。

愛してるよ、〇〇さん。

君がどんなに人間らしい形をしていても、

君の“深いところ”は、もう僕と同じなのだから。

君が願った“続いてほしい”という時間――

ならば、僕がその願いを叶えよう。_

たとえそれが、

君の世界を“凍らせる”ことになっても。

愛して、犯して、蝕んで、狂わせて、孕ませるから

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