男子高生視点
毎朝、数学の問題とにらめっこしている。理系なので、数学で置いていかれたら、たまったものではない。
が、視界の端に君の姿が入り込んでくると、そんなことはどうでもよくなってしまう。大きい声で「おはようー」というので、僕も挨拶を返したいけど、彼女のこの挨拶の対象はこの教室に含まれる全てなので、個である僕が返事をするわけにはいかないし、いきなり僕が挨拶を返しても違和感を持たれるのが結末。それがわかっているから、彼女に挨拶を返す勇気はなかなか出ない。
君を見ると、かっこつけようと数学を解くふりをする。本当はこんなにも視界の端で君を追っているのに。
君が僕の視界から消える。それは、彼女が席についたということ。彼女の現在の席は僕の後ろだ。
部活の仲間が前に”好きな人が近いから”という理由で席を交換してあげたことがあった。その借りとして、先月の席替えの時に、そいつと席を交換してもらった。彼には、”窓際の席がいいから”という理由にしたけど、本当は、その席は、彼女が、とても近いから。我ながら、とてつもなく、ずるいことをしたと思っているが、後悔はしていない。
「おはよう。」
君がそう言葉をかけてくれるだけで、そんな気持ちはどこかに吹っ飛んでしまうのだから。途中からほとんど筆が動いていない問題を解くことを諦め、彼女の方を向く。
いつも通り、ツヤツヤの長い少し茶色がかった、髪だ。長さも腰ほどまで伸ばしているのに、一切うねりやクセがない。ちなみに、何もしてないらしい。くりくりとした大きい目。モデルのように、顔が小さくて、それなのに、手足はスラリと長い。
こうやって、彼女の容姿を褒め称えると、さも僕が彼女がかわいいから好きになったのでは、と思われるだろうが、それは違う。かわいいから、好きになったんじゃなくて、好きになったから、可愛く見えるのだ。他の人にはわからないだろうけど。
おっと、彼女に見惚れすぎてた。でも、それを意識した途端、頬が緩む。不自然に思われないように
「おはよう。」
と彼女に返す。僕達の朝の会話は基本これだけ。なぜなら、
「うさちん、おっはよー!今日は寝坊しなかったんだねー!」
彼女の友人たちが、3人で雑談に種を蒔いて、花を咲かせるからだ。ただの僕の片思いに、彼女の友人との大切な時間を奪うわけにもいかないので、再び前を向いて、数学に取り組んでいるふりをする。
そして、心の中で(僕もそう思った)と感想を述べながら、彼女らの会話を盗み聞く。
「そうだよ!昨日、家帰ったら、寝落ちしちゃって!で、目が覚めたら、4時だったからびっくりしたんだよ!」
彼女らしい、かわいらしい理由だ。似たような話が以前にあっても、僕は彼女の話にいつも新鮮さを感じる。
「あっ、それ、結局もらえたんだ!」
何の話だろう。彼女に関することは何でも知っておきたい。ほんの些細なことでも。
「えっ?どういうこと?」
「あんた、昨日、生物の時間寝てたでしょ。で、授業中に先生が前にプリントを取りにこさせてたんだけど、取ってない人は自己責任って言ったから、もらえてないもんだと思ってた。」
生物のプリントの話か。あれは僕が追加でもらっていたものだ。プリントを取りに行く時に、彼女の姿が見当たらなかった。いつも優等生らしい振る舞いをしていたおかげで、プリントを2枚とっても、何の違和感も持たれなかった。
授業が終わって、移動教室で、人がいなくなったのを確認して、彼女の机にそっと入れておいた。周りの人間も一人を除いては僕が彼女にプリントをあげたと露にも思っていないだろう。だが、周りは何も知らなくていい。
もちろん、彼女も含めて。彼女は何も知らなくていい。彼女が幸せに、楽しそうに、そして、苦しんでいなかったら、それだけで十分だ。
不意に、彼女を好きになった日からのことを思い出した。
※
その時、彼女は俺の斜め前に座っていた。高1の2学期末試験も終わって、あとは冬休みに入るのを待つだけだった。が、それでも授業はある。そんな授業数稼ぎのような日々だった。歴史の先生は授業に関して割とゆるいので、俺のクラスは授業中に映画を見た。先生の映画のチョイスがなぜか、恋愛映画で全く授業に関係なかった。
せめて、歴史に関する映画、侍とか、戦争とか、そういう系のものだと踏んでいたのに、全く当てが外れていた。しかも、その映画は僕達が小学校...たしか5年生くらいのときに流行っていたものだったはず。泣ける恋愛映画として話題になっていた。
が、俺にとって恋愛など、夢のまた夢の話。興味がなさすぎて寝てしまおうか、と思ったが、生憎規則正しい生活を送っているので、寝ることは叶わなかった。
甘ったるいセリフやわざとらしい場面。恋愛なんかしたことないので、主人公たちに全く共感できない。こういう時間が一番疲れる。
(これのどこが、感動する恋愛映画なのだろう。)
そんなことを思った矢先、かすかに誰かが鼻をすすっていた音がした。本当に他人に聞こえるか、聞こえないか、のギリギリの音だった。部活と、映画に興味がなさすぎたおかげで、僕はそのギリギリの音を聞くことができた。
隣をキョロキョロ探していることがバレないように横目で見るが、泣いている様子はなかった。前と後ろは、端から”寝る”宣言をしていて、後ろはいびきを、前は机に伏せていたので、この二人でもなさそうだ。
再び、鼻をすする音がした。そこで、斜め前の二人を見た。
よく見ると彼女・宇佐美さんは泣いていた。いつも授業の合間とか、授業中に見る姿は、とてもはしゃいでいて、いろんな女子にちょっかいとか、いじったりしている子だった。勝手な偏見だが、前後二人のように、この映画を見ることなく、寝ているものだと思っていた。
しかし、見るとどうだ。こんな映画で泣かなそうなのに、ちゃんと感動していて、少し見える、その横顔は、今にも泣きそうなのに瞳いっぱいに涙をためて堪えていた。控えめに周りを見ても、その姿に気づいたのは俺だけだったみたいで、俺はらしくもなく、”この表情を知ってるのは俺だけでいい”なんて思ってしまった。
その日から、彼女のことを誰にも気づかれないように追っていた。彼女が友達と楽しそうに喋る姿、授業中に寝ないようにしてるのか、舟を漕いでいる姿、そんないろんな姿を見るたびに彼女を思う気持ちは大きくなっていった。
自分でも、なんでこうなっているのか、全くわからない。すべてが初めての感情で、初めての体験だった。だからか、僕はこの気持ちに名前をつけられないでいた。こんなにも、彼女を想うだけで胸が高鳴るのに。自分でも何なのかはわかっているけれど...
そう思って、一人の男に相談した。”恋をしたとき、どうなるのか?”と。
「えっ、成瀬、お前...ついに好きな人でもできたのか?!」
こいつは中学からの腐れ縁だ。何の因果か、こいつとはずっと同じクラスだ。俺と違って、フッ軽だし、誰とでも楽しげに話している。俺も、その能力がほしいと思いつつも、ないものねだりを仕方ないと結局勉強に逃げてしまう。が、彼はその能力の高さゆえ、彼の反応は俺をキレない程度に苛つかせる。
「お前に聞いた俺がバカだった。」
僕は他の話せる人に聞こうと思い、彼から目を背け、違う人に話しかけようとすると、
「ちょっ、待て!ごめんってば。冗談、冗談。」
僕の肩は強い力で静止を促され、僕の肩に手を載せてるやつの方を向いた。やつは悪いと思っているのか、はは...と元気のない笑い声を出した。
「で、恋したらどうなるかって?」
僕の質問に答えようと彼は腕を組んで、眉間にシワを寄せた。
「う〜ん。俺が今の彼女に恋したときは、気づいたら、ずっと目で追ってて、ずっと笑顔でいてほしい。そう思ったかな。」
コイツは周りから見ると、光属性のイケメンな気がする。明るくて、八重歯が合って、二カッと笑うから、その笑顔で周りを笑顔にする。認めたくないけれど。そのおかげか、何度も告白されたりして、それを自慢してくる。元カノもたくさんいて、今の彼女もいるから、っていうので話をしたってのもある。
「お前はその子のこと、今どう思ってるの?」
「なんで相手がいる前提なんだよ。」
確か、僕はコイツに”恋をしたらどうなるのか”を聞いたはずだ。何やら、自分の知らないところも、コイツに見透かされてそうな気がしてならなかった。話そうと思っていなかったのに、彼女のことを思い出したら、勝手に口が動いていた。
「まぁ、いいや。俺は彼女のこと、どう思ってるか、よくわからないけど、気づいたら、あの子のことを目で追ってた。あと、色んな表情、見たいって思ってる。」
もはや、僕は一人語りのようになっていた。彼はあんぐりと口を開けて、目を丸くしていた。それを見てすぐ、やつは意地汚いニヤニヤした顔を浮かべて、
「へぇ〜、その子のこと、好きなんだ〜。あのお前がなぁ。これを聞いたファンの子達が卒倒しそうだな。」
「俺にファンなんていないだろ。何いってんだ?」
やつは再びニヤニヤしたけれど、これ以上聞いても、自分が疲れるだけなので、やめておいた。下手なやぶは突かないほうがいいのだ。
その後、やつの口車に乗せられ、流されるまま、彼女のことを話したりしたけれど、(やつはそれを”相談してくれた”と思っているが)彼女との関係は何も進展しないまま、冬休みに突入した。
冬休みに入って、部活がないからと言って、課題をさっさとすべて終わらせてしまったことを後悔した。なにかすることがないと、いつの間にか彼女のことを考えてしまっていた。その時間は日に日に長くなった。時には部活中にも思い出しては一人で悶え死んでいた。(なんで悶えてるか知ってるやつに一生からかわれたが。)
そして、あの日がやってきた。
この日はたまたま部活がなく、勉強に精を出そうかと思ったが、課題もおわらせていたので、やることがなく、今まで習ったことを復習していた。いつものように、途中途中で彼女のことを思い出していたけれど。
午後4時くらいになると、愛犬のきりんがワン!ワン!と吠え始める。僕と同じく、とても規則正しい生活をしているため、同じ時間に同じことをするという、人でも至難の業を難なくやっている。
きりんは僕が持っているリードを首輪で引っ張り、走るように促してくる。これではどちらが、リードを握っているのか、わからない。精一杯、走ったあと、きりんは僕の上に覆いかぶさってくる。思っていた以上にきりんが強い力でよってきたので、耐えきれず、浜辺の上に転がり落ちてしまう。
「ちょっ、ストップだってば」
きりんに顔をペロペロ舐められて、少々くすぐったく思ったのも束の間。
堤防の上の歩道には宇佐美さんが立っていて、こちらを見ていた。
僕(+一匹)の姿を見た彼女は口を閉じたまま、目を大きく、丸く見開いた。彼女の新たな表情を知って、満足したあと、僕は自分が彼女にとんでもない醜態を晒してしまったことに気がついた。
慌てて、態勢を立て直して、おしりについた砂埃を払う。先程、彼女がいたところを見ると、すでに彼女はいなかった。帰ったのだろう。そう思ったが、すぐ視線を下ろした先には、彼女がこちらに向かって歩いてきていた。
「宇佐美さん...?なんで、あそこに、というかいつから、居たの?」
彼女にこんな醜態を見られてしまったことにパニックになってしまい、いろいろな言葉が先走っていた。
あとから思ったが、これが初会話だと言うのに、僕は最初の一言目をミスってしまった。
「いや〜、課題やってたんだけど、飽きたし、疲れちゃったから、お気に入りの場所に行こう!って思って、ね...」
彼女のよそよそしい態度は僕の喉を絞めた。痛くて、呼吸も少しだけ浅いように感じる。僕が一方的に片思いをして、何の一歩も踏み出さないまま、今日まで来てるから当然なんだけど。
それでもやっぱり、彼女のことが好きで、彼女がそっぽを向いてしまっても、夕焼けとそれに照らされている彼女の横顔に見惚れていた。
「ワン!」
きりんに吠えられて、彼女と会話をしていることを思い出し、彼女の会話からおかしくないように、言葉を紡いだ。
「あー、冬休み課題か。あれ、めんどくさいよね。たった、2、3週間しかない間に出す課題の量じゃないよね。」
「そうはいいつつも、成瀬くんは課題は終わってるんでしょ〜。」
「まぁ、ね。量が無駄に多いだけで、めちゃくちゃ難しいわけでもないし。」
ただの感想を述べ、彼女が軽い感じで僕に絡んだことが嬉しくて、少しだけ誇張をした表現をした。
でも、それがまずかったように思う。彼女の顔は先程まで友人をからかうような明るい感じだったのに、急に暗くなって、人生を諦めて、このまま放っておくとなにか危険だと自分の直感が告げた。
「あぁ〜、いいよね〜。頭がいい人は。私が持ってる悩みとか全部なさそう。」
彼女の顔はどんどん暗くなり、瞳には多くの水を溜めていた。遠くからだったので、海の輝きだったのかもしれないが。それでも、僕は、彼女に伝えないといけないことがある。
「そんなことないよ。」
「えっ...」
「俺、人付き合いとか苦手だから、どうやって接すればいいのか、今も困ってる。勉強だけができたらいい、ってわけでもないと思う。むしろ、君が持ってるコミュ力が俺は羨ましい。」
これは彼女を励ますための薄っぺらい言葉じゃない。話を聞いてくれた彼のように、そして、友人たちと楽しそうに喋る眼の前にいる彼女も。
「___っ。ありがとう。」
彼女の声はとてもかすれていて、こちらを向いた時に、見せた表情。泣いているのに、とても、とてもきれいな笑顔だった。日が沈む直前の光と、その後ろには、星がまばらに彼女を輝かせた。
あんな美しい光景が存在することに驚きと、心臓の高鳴りを抑えられなかった。
「女の子、一人、夜道を帰るなんて、危ない」
そう言って、彼女を家まで送ることにした。なんて、カッコつけたことを言ったけれど、ただ彼女と一緒にいたくて、その結果出た言葉がこれだった。
今では、歴史の先生が見せてくれたあの映画の主人公の気持ちがわかる気がする。好きな人の前ではカッコつけようとして、キザな言葉が出てしまうのだ。
すでに、暗くなって、彼女が一人で帰って襲われでもしたら大変だ、という最もな考えもあったけれど。
彼女は終始、俯いていた。頭一つ分ほど彼女は僕より身長が低いから、彼女の顔が全く見えない。だけど、彼女の手は髪をいじったり、服の裾を掴んだりと、何やらモジモジしていて、めっちゃかわいい。
でも、せっかく、彼女の隣を歩いているというのに、会話の一つもなく、僕の右手にはきりんのリードを持っている。それも悪くないけど、やっぱり、彼女の手を握りたい。近くにいるんだから、彼女に触れたい。彼女と話したい。
頭で考える前に体が動いた。彼女の手を握っていた。僕よりも小さな手。さすがに恋人つなぎをする勇気はなかった。だけど、彼女の体温をすぐに感じることができるだけで感激だった。
一方で、彼女はというと、より一層、俯いてしまった。そんなことに耐えられなくて、僕は彼女の顔を覗き込んだ。
「彼氏面、してみようと思って。その方が安全でしょ。」
彼女は口をパクパクさせたあと、顔がいちごみたいに真っ赤になって、再びそっぽを向いてしまった。だけど、彼女の耳も美味しそうなくらい、真っ赤になっていて、すごく可愛いし、愛おしく思った。
「今日はありがとう。それと成瀬くん、ごめんなさい。なんか嫌味っぽいこと言っちゃって。」
「いやいや、大丈夫だよ。俺が好きでやったことだし、人は誰しもそんな部分は抱えてるでしょ?もちろん、俺もそういう部分があるし、抱えていないほうが逆に怖いしね。」
事実だ。というか、彼女はあの程度の言葉を嫌味だと思っているところが愛おしいし、とても優しいと感じる。もっとひどいことを言って、謝りもしない人なんてこの世にごまんといる。本当に彼女は...
そう思ったら、僕は強引にもいろんなことをしてしまった。ただの片思いをこじらせすぎて、その我慢が一気に今日、爆発してしまった。彼女がどんな反応をするか、気になって彼女のあれこれ意地悪をしてしまった。でも、そのたびに新たな表情は本当に愛おしくて、ずっと見ていたかったし。
「というか、迷惑じゃなかった?」
「ううん!むしろ、よ...」
彼女が何を言いかけたのか、全く予想もつかなかった。だけど、彼女の表情と、必死に否定しているところを見ると、気持ち悪いとかの、嫌がり方をしていなかった。彼女にまだ嫌われていない。その事実が僕を明るくさせた。
が、さすがに、ここであれこれ話したり、なにかして嫌われてしまったら元も子もない。ここに長居したら、僕の理性が弾け飛んで、変なことを口走ってしまう気がした。
「じゃあ、また、冬休み明けに。」
そう言って、きりんとともに、彼女の家から離れることにした。
「待って!スマホ、持ってる?」
「持ってるけど...」
「L◯NE、交換してください!」
彼女にそう言われて、僕の頭は一瞬真っ白になった。それからというもの、僕はどうやって家に帰ったのか、わからない。気がつけば、息が荒く、自分の部屋に籠もっていた。
勢いよく、扉を閉め、その扉に寄り掛かる。ズルズルと滑り落ちて、床に座り込んでしまう。ポケットから、自分のスマホ取り出し、彼女とのL◯NEの画面を眺めて、彼女の連絡先を得たことに試合で勝ったときよりも何倍もの幸福感を心の中で噛み締めていた。
君からL◯NEを交換しようって言ったくれたから、俺は内心とてつもなく、浮かれていた。昔から感情を言葉にするのが苦手で、人付き合いから俺は逃げていた。今日も、連絡先を交換するチャンスを逃したかもしれない。それをこぼすことなく、拾ってくれた彼女に感謝した。
僕はあの日、もう一度彼女に恋をした。
今度こそは彼女に対する気持ちを自分でつけることができた。タイミングよく、
「ワン!」
と元気よく吠えた。眼の前を見ると、きりんも楽しそうに舌を出していた。なんで、きりんが自分の部屋にわからないけれど、きりんは僕を褒めてくれているような感覚がした。きりんの顔をもみもみしながら、
「ありがとう。」
と何に対するお礼なのかわからないけれど、とにかく感謝を伝えた。そもそも、きりんがいなければ、僕は今日、彼女と会うことはなかったのだから。
※
「よっ。お前、今日の部活来る?」
「行くよ。そろそろ、試合だろ。さすがに行かないとな。」
「よっ、さすがバスケ部のエース!」
コイツのフッ軽さは通常運転だった。昼休みも終わり、残すところはあと数学二時間だけだった。そして、コイツの苛つかせるボタンを押す才能も今日もピカイチだった。
「やめろっつってんだろ、それ。」
「そうそう。あの子との仲はどうなってんだよ。」
彼はそう言いながら、小指を見せつけるように、ニヤニヤした。こいつは俺が彼女のことが好きなことを知っている。最初はただ、冷やかすために俺に聞いているのかと思っていたが、どうやら違うらしい。意外と相談にも乗ってくれるから、人付き合いが苦手な俺からしたら、とてもありがたい。
と、ガガガーと椅子を引く音がした。後ろに彼女が座ったのだろうか。僕は前に煽るのがとてつもなく、上手いやつがいることも忘れて、彼女の話を聞いていた。
「いい加減、今日は起きなよ。」
「いや〜、いっつも頑張って起きようと思うんだけどね〜。」
かわいい。一言一句がかわいい。そう、内心微笑んでいると、前にニヤニヤして、”面白い”と言わんばかりの彼を手で、シッシッと追い払う。
彼は手を”やれやれ”という風に開いて、首を振る。その仕草にさえも苛ついたが、彼女がいる前で失態を見せたくないので、言葉で反抗することは諦めた。
「とか、言いつつ、昨日も寝てたでしょ。先生、めっちゃ怒ってたよ。」
「マジかー。まいっか。」
「なんでだよ。あ、てか次の準備しなきゃ。」
彼女の友人が去っていったあと、僕は彼女に話しかけた。
「今日も眠たいの?」
そう彼女に聞いたあと、僕自身、頭の中が少しぼんやりしていることに気がついた。彼女のせいなのかもしれないけど。
「眠たいけど...今日こそは絶対起きるよ!昨日も寝ちゃって、授業内容が割と頭に入ってないだよ〜。マジで受験がヤバい///」
彼女は頭を抱えて、負のオーラを出しまくっていた。だけど、あの日のように思い詰めてしまうほどではなく、ネタ(そういって、合っているのか、どうかもわからないけど)のような感じがして、少しホッとした。
「俺も、眠いんだよね〜。なんでだろう?次の授業寝ちゃいそう。」
彼女に何を言うべきなのか、今言った言葉に何を続けるのが、違和感なく、彼女に悟られることなく、話を続けることができるのか、そう考えていると、
キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン
と授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
先生はいつものように、ぶっきらぼうに数学の授業を始めた。態度だけ見たら、怖いけど、説明はとてもわかりやすい。
先生の授業を、自分で言うのも何だが、真面目に聞いていた。と、後ろからスー、スーと寝息であろう音が聞こえた。
かわいい。今日こそ起きる宣言した、すぐあとに、寝ちゃってる。ほんとに、なんでこんな愛おしい人が存在してるんだろう。
「おい!宇佐美!寝るな!問題を解け!当てるぞ!」
先生の言葉全てに苛立ちが乗ったような大声を出しても、彼女は一切気づかない。後ろではずっと、規則正しい寝息を立てている。かわよすぎる。それでも、先生は追い立てるように
「近くのやつ、宇佐美を起こしてやれ。」
何度先生が大声を出しても彼女は起きないので、先生も呆れ返っている。が、先生の今の一言で俺は合法的に彼女に何をしてもいい、という言質が取れた。
自分の持っている黄色いふせんに、自分が解いた答えを書く。毎日、数学してるから、間違ってないはず。
それを持ったまま、椅子を引き、彼女の方を向く。机に突っ伏せていて、可愛い顔はすこしだけ潰れている。横を向いているから、顔を眺めることができた。
ふせんを彼女の机の右端に貼り、シャーペンのノックする方を彼女の腕にツンツンとする。こんなことで起きないだろうけど、ちょっと目を覚ましているのかもしれない。僕が、彼女の腕をつつくたびに、彼女は
「うう〜ん。」
と少し唸り、頭をフルフル横に振る。彼女の顔には眉間にシワが寄って、まるで「起こすなー」って言ってるみたいだった。本当にかわいい。
「宇佐美!いい加減、起きろ!」
先生の怒号により、彼女は起きたけれど、まだボヤッとしてるみたいだった。彼女はガタッと立ち上がって、唐突に
「みかんは戦国武将より熱いです。」
と大きな声で宣言していた。そのあと、すぐに彼女は席に座った。彼女は何の夢を見ていたんだろう。彼女の言葉を頭の中で反芻しては、面白すぎて、お腹を抱えた。授業中だから、笑っちゃ、いけないのに。声を出さないことで精一杯すぎる。本当に、彼女の行動にはいつも驚かされる。
ちなみに、彼女はその後、先生に当てられて、僕が書いた答えを解答して、先生に説教されずにすんだので、そこは本当によかった。
※
「なぁなぁ、今週末空いてる?あそこにいる女の子たちと遊びに行かね?」
「断る。」
「なんでだよ〜!お前が来ないと、あの子達も来ないじゃんか!」
コイツは後ろに彼女がいることに気づいてないのか?彼女に、”女の子と遊ぶんだ”なんて思われたくない。返事をそっけなく返しても、コイツはしつこかった。
「知らない。」
「マジで頼むから、来てくれ!部活の奴らがあの子達と遊びたいから、成瀬誘ってくれって頼まれてるんだよ!!!」
「そんなことに俺を巻き込むな。」
そんなことをするなら、彼女と一緒になにかしたい。誘う勇気はないけれど。今週末はまた、勉強かな。その方が、いい。
「ったく、相変わらず、つれねぇなぁ。あのこと、言ってもいいのかよ。」
彼は呆れた顔をしたあと、表情が一変して、真顔になった。本当に言うのではないかと、そう思った。
「脅してるのか?」
冗談だとしても、言っていいことと悪いことがある。コイツは俺の沸点に達することを言った。我を忘れて、ひどいことを言いそうになったが、なぜか罵る言葉が出てこなかった。その代わりに、拳を強く握ったせいで、手のひらに爪が食い込んだ。
「おぉおぉ、怖い怖い。いや、冗談だってば。」
彼の表情はいつものような
「たちが悪いぞ。まぁ、いいや。そろそろ部活に行くぞ。時間に遅れる。」
「はいは〜い。」
僕が教室を出る前に、彼女の方を見た。相変わらず、彼女は多くの友達に囲まれている。彼女の声は明るく、軽やかに跳ねていた。笑う声も、聞いている僕まで楽しくさせる。
そんな姿を見ると、先程までの心臓と脳が沸騰しそうな感覚は消え去り、似て非なる、心臓の沸騰を覚えた。
※
部活で疲れた体をお風呂と食事で癒やし、いつものように机に向かう。部活はやっていても、成績は維持しておきたい。教科書を開いて今日の復習をする。
化学、生物、漢文、と今日のコマに沿って教科書を入れ替えていく。その作業だけでも、すごく時間がかかり、午後に行った授業をする前に、疲れてしまった。7時頃に勉強を始めたのに、すでに2時間30分ほど経っていた。このまま、今日はいいか、と思い、出した教科書をすべて鞄に収めていった。
が、数学の教科書を見て、今日の出来事を走馬灯のように思い出した。
後ろに座っている彼女が先生に何度呼ばれても起きないから、後ろから、ペンでツンツンしても、彼女、全く気づかなかった。しかも、”う〜ん”っていって、ちらっと見えた寝顔がめっちゃ可愛かった。あぁ〜、本当に、愛おしい。彼女のすべてが。
勉強そっちのけで、スマホを取り出して、普段使わない写真投稿アプリを開く。フォローしてるのは、彼女たった一人。当然、このアカウントは誰も知らないので、気兼ねなく、彼女のストーリーを見ることができる。
彼女のストーリーは主に友人との写真や、その日行ったのであろう場所や、食べ物の写真だ。彼女の幸せそうな笑顔を見ると、それだけで胸がいっぱいになる。あの冬休みの日、彼女の落ち込んだ表情は見ているだけで耐えられなかったから。
だけど...
そうやって僕は自分の中に表れ出るとどめない欲望を、想像を考える。
受験がヤバい、と言っている彼女に勉強を教えてあげたい。休みの日には、彼女の胸に刺さるような映画を一緒に見て、彼女の表情を見て、感想を聞きたい。そして、共感したい。彼女のいろんな感情や表情を初めて出すのは、僕がいい。
そんなことを考えながら、あの日、交換したL◯NEの画面を開く。
送信履歴には何もなく、ただただ、青い空の背景が見えるだけ。
せっかく、交換できたというのに、最初に何を送ればいいのかわからなくて、送るタイミングを逃してしまった。今更、何かを送信しても、彼女が戸惑うだけ。そう考えると、何も送れなかった。彼女にとって、僕はただのクラスメイトで、席が後ろの人という認識しかない。
だと言うのに、僕は無意識に、メッセージ入力欄に”好き”という文字を書いていた。送信ボタンを押せば、彼女にこの気持ちが届く。指をそのボタンに近づけると、僕の手は誤って、そのすぐ下にある、消去ボダンを押してしまった。送る勇気なんて、全く無くて、そんな自分に呆れ返ってしまう。自分はこんなにも臆病だったのか、と。
そのまま、もう一文字も消して、なかったことにする。まるで、僕が”彼女が幸せならそれでいい”と自分の気持ちに蓋をして、心の奥底にしまったように。
スマホ画面を見ると、11時を過ぎていた。布団を床に敷いて、掛け布団を出す。そうして、僕は逃げるように布団に入る。
頭がぼんやりとし始め、僕の理性は一足先に眠りについた。本能が眠るまで、僕は彼女に告白して、付き合って、楽しそうな僕を夢見ていた。
”僕は、宇佐美さんに...”
そう思ったところで、僕の記憶は途切れた。
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