第19話 馬車に泣き声と溜息

「ひっぐ、えっぐ……。ぐっ……」

 馬車の中に響くエミール王子の泣き声。顔が青い。危険! 慌てて御者に声をかける。

「ちょっと待って! 王子が吐きそうです。止めて!」

 木桶を差し出す。戻す。窓を開ける。

「もう! 下ばっかり向いていると酔いますって注意したのに。ちょっと外の空気を吸ってきましょう」

「だってぇ……」

 顔をそろりと上げる。声が弱々しい。

「少し歩きましょうね」

 エミール王子の手を取り、歩く。むっ。動かない。散歩嫌いの犬みたいだ。

「水です。口を注いで下さい」

 言われるままにする。これは、相当堪えているな。

「だって、ミナお姉さま、結婚の約束をしている人がいたんだよ」

 その名は、サッシャー・グレイス。エミール王子自ら確認したので、間違いない。

 ピーヒョロロー。とんびが空で旋回している。舌打ちする。

「あと十年は会わないつもりだったのに。おのおばかさんめ……」

「シ……。シン?」

 ピシッ。馬車の窓にひびが入る。騒ぐ馬。ハッと我に帰る。

「ああ、ごめんなさい。僕、まだ子供なので、魔力が上手に制御できなくって」

 エミール王子と後ろの馬車から出てきたメイドに謝る。

「不思議だなあ。シンほど魔力量が多かったら、聖獣に認められてもよさそうなものなのに。何度試しても、神聖文字読めなかったよね。男の子だからかな?」

 可愛らしく首を傾げる。

「ううん。男の人でも、聖獣持ちはいるらしいけど」

 まあ、それは例外なくオメガだと思う。何故かは、よく解らないけれど。

「ああ、早くお兄ちゃんに会いたいなあ。モフモフとお兄ちゃん。最高じゃないか」

 早苗さなえお兄ちゃん。転生して初めて会う。

 馬車に戻る。ああ、もう今すぐうなじ噛みたい。自分以外の婚約者だと。ふざけるなよ。全身が熱くなる。

「ちょっとシン! 落ち着いて!」

 エミール王子が手を握ってくる。バリーン。ちょうど窓ガラスが砕けた。

「本当にごめんなさい……」

 猛省した。後ろの馬車に移動している。

「申し訳ありません。シンさま」

「いえ、僕が悪いので」

 魔力封じの包帯でぐるぐる巻きにされた。仮にも公爵家の嫡男だ。メイドが青い顔をしている。

「エミール王子のいとこ。アカシア公爵家のご令嬢でしたっけ。同じ公爵家の者として、血湧き肉踊ると言いますか」

「ひっ……」

 対面に座るメイドがドン引きだ。

 我がジルベール公爵家とアカシア公爵家とは、とかく仲が悪い。二つきりの公爵家だし、比較されることも多かったのだろう。ロミオとジュリエットの敵対する家。あるいは、津軽と南部くらいの関係だ。

「目が合ったら、頬を張りたくなるのだと、父が申しておりました。なんかこう本能的にムカつくんですよねえ」

「帰りたい……」

 ぼそっと呟くメイド。

「僕も帰りたい。帰っちゃ駄目かな? シン」

「駄目です。これから宣戦布告しに行くんですから!」

 馬車に溜息が満ちた。



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