第4話

 それから数日後、広夜ひろや安倍駿河あべのするがに誘われ、春日野かすがのに来ていた。その日は宮勤めの貴族たちが務めを休み、この春日野へ集まった。整地されたその場所には観客も集まり、これから打毬が始まるところだ。

 この打毬というのは、貴族の娯楽の一つで、二組に分かれて、毬を毬門へ投げ入れて点を競うものだった。

 広夜はこの遊戯に参加するのではなく、あくまでも観覧の誘いに乗って来ていた。

「広夜、お前は本当にやらないのか?」

 駿河が聞くと、

「見てる方が楽しい。私が入ればすぐに勝負がついて面白くはないと文句が出る」

 と広夜は答えた。

「はははっ。全くその通りだな」

 と駿河は笑って、広夜の言葉に納得した。

 二人が他愛もない会話を交わしている間に、競技の準備が整い、紅白に分かれた組から、それぞれ馬に跨り入場して来た。

「おや? あれは?」

 駿河がそう言って、紅組の方へ目をやる。広夜もつられてそちらへ視線を向けると、馬に跨ろうとして、蹴落とされた者が地面に転がっていた。

「様子を見に行こう」

 広夜がそう言って立ち上がると、

「面白そうだな」

 と駿河もついて来た。


真娜瑪まなめ、服に土がついているぞ」

 と広夜は地に転がった若者を立たせて土を払う。橘真娜瑪たちばなのまなめは、不格好な姿を見られて、顔を赤くして何か言いたげだったが、広夜は黙ってそれを制して、

「これは、これは皆様方。この橘真娜瑪が馬に乗れぬ事を知らなかったという事でしょうか? それとも、この者を笑い者にする為に連れて来たのでしょうか?」

 と紅組の者たちに声をかけた。

 橘家は皇族であり、一部の貴族からは妬まれている事を知っていた広夜には、真娜瑪まなめに恥をかかせようとしていた魂胆が見えていた。

「いえ、いえ。その様な事などございませぬ。馬に乗れないのなら、最初からそう言って下されば良かったのに」

 と口元の笑みを隠しながら答える男に、

「それならば、私が橘真娜瑪の補佐につかせて貰いましょう。文句は御座いませんよね?」

 と広夜は言葉を返し、白組の方へも視線を向けた。どうやら、白組の者たちも、同じように真娜瑪を笑うつもりだったようだ。彼らは素知らぬふりをして顔を背けた。

 傍で見ていた駿河も、これには流石に笑えず、眉間に皺を寄せて、彼らを睨みつけていた。

「そろそろ、始めましょうか?」

 そう言って、広夜は真娜瑪の身体を片手で抱え上げて、そのまま騎乗すると、優雅に馬を進めて入場した。

 試合開始の合図と共に、競技が始まり、観客の者たちも盛大に声を掛けて大盛り上がり。最初に点を取ったのは白組で、これを皮切りに、激しい攻防戦となっていった。互いの毬を拾い上げて邪魔をした隙に、仲間は自分の組の毬を毬門へと投げ入れる。それぞれの毬が入って行き、勝負は今のところ同点となり、あと一つを先に入れた組が勝ちとなる。そんな場面で、

「真娜瑪、やり方は分かっただろう?」

 と広夜が真娜瑪の耳元に囁くと、

「ふん! 見縊るなよ」

 と真娜瑪は言葉を返して、最後の紅い毬を救い上げると、広夜が毬門の方へと馬を駆る。そこへ白組の騎馬が駆け寄り、真娜瑪の毬杖から毬を叩き落とそうと毬杖を振るった。しかし、真娜瑪はそれを上手く躱し、広夜が馬を御して毬門へ近付き、真娜瑪が毬を投げ入れた。勝負が決した事を知らせる太鼓の音が鳴り響き、観客も歓声を上げて真娜瑪を誉めたてた。

 こうして一回目の試合が終了したが、打毬は三回戦まであり、次の試合まで暫しの休憩が入る。

 馬から降りた真娜瑪と広夜が、観客席にいる駿河の元へ行くと、

「見事だったな、橘真娜瑪たちばなのまなめ殿」

 と駿河が真娜瑪へ言葉をかけた。位の高い駿河に褒められた真娜瑪は嬉しそうにはにかみながら、

「ありがとう御座います」

 と礼を述べる。

「そんな可愛い顔も見せるんだな? 私には見せた事はないが?」

 と複雑な表情を浮かべて広夜が言う。

 真娜瑪はいつもの乱暴な物言いはせず、ただ、非難するように広夜を睨んだ。

「二人は仲がいいのだな?」

 駿河は変わり者の広夜に良い友達が出来た事を素直に嬉しく思ったようで、二人に笑顔を向けた。

「まあ、そういう事だ」

 広夜が駿河の言葉を肯定するように言うと、更に不満げな顔する真娜瑪だが、それすらも可愛いと広夜は笑みを向けると、ふと何かに気付いたように、遠くの空を見つめて、

「天気が変わる前に帰った方が良さそうだ」

 と呟くように言った。その言葉に、真娜瑪と駿河は同時に広夜が見ていた空へ目を向けた。

「何を言っているんだ? こんなに晴れているのに雨でも降るというのか?」

 真娜瑪が呆れたように言うと、

「雷雨だ。少し急いで帰ろう」

 と広夜が真顔で答えた。それを見て、彼が冗談でも揶揄いでもなく確信をもって言っているのだと真娜瑪でも感じ取れた。

「広夜がそう言うのなら、間違いはない。たちばな殿も急いで帰る方がいい」

 駿河もそう言って、帰り支度を急いだ。


 彼らがそれぞれの牛車に乗り、都までの道中、空を雲が覆い始めると、突然稲光が起こり、バリバリと地面が割れたのではないかと言う程の大きな轟が響き渡った。そして、そのすぐ後には、滝の様な激しい雨に打たれ、従者は先を急いで、一炷香ほどで都に入り、屋敷に着いた頃には、皆、雨にびっしょりと濡れていた。

「皆の者、ご苦労だったな」

 広夜は従者に労いの言葉をかけると、彼らは煙の様に消えていく。どうやら精霊たちは霊力をかなり消耗していたようだ。

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