第28話 田辺哲郎

東京都庁地下にあるエヴォルド本部の喫茶スペース。

午後の柔らかな光が、ガラス越しに差し込み、テーブルの上のコーヒーカップを静かに照らしていた。

会議を終えたばかりの水島玲奈、山本康太、佐山実の三人は、ようやく一息ついていた。

「さすがでしたね。金山さんはやっぱり我々のことを理解しているようですね」

山本がコーヒーを口に運びながら、会議の余韻を噛みしめるように言った。

「金山さんがエヴォルドを作った人だからね」

水島が静かに答える。

「でも、金山さんは進化者じゃないんですよね?」

佐山が疑問を口にする。

「そうね。金山さんの奥様が進化者になったことで、エヴォルドを作ろうと思ったそうよ」

「でも、奥様に何があったかは誰も知らないのよ」

水島の言葉には、どこか哀しみと敬意が混じっていた。

「そうなんですね……」

佐山は頷きながら、金山の過去に思いを馳せる。

その時、喫茶スペースに軽快な足音が響いた。


「ここにいらっしゃったんですね」

声をかけてきたのは新藤弥生だった。

名古屋支部から東京本部へ出向している彼女も、田辺哲郎と敦子の監視任務にあたっている。

「どうした?」

山本が顔を上げる。

「田辺さんの午前の訓練が終わったんです。その報告にと」

「いいよ、ここで聞くよ」

弥生は手元のタブレットを確認しながら報告を始めた。

「田辺哲郎さんの身体強化は、ご自身で訓練していたこともあり、現在は七段階まで自由にコントロールできます」

「ちなみに七段階の力は、最大で五百キロを持ち上げることが可能です」

「……っ!」

三人に衝撃が走る。

進化者の能力は確かに常人を超えるが、五百キロという数値は異常だ。

それはもはや人間の枠を超えた力だった。

山本は動揺を隠すように、ゆっくりとコーヒーを口に含んだ。

「そして、治癒に関しては病気やケガのどちらも治療可能です。自分自身、他人を問わず適用できます」

「また、“トイレを綺麗にする能力”ですが、菌が繁殖したバケツの水を浄化し、完全に清潔な状態にすることができました」

三人は言葉を失った。

想像を遥かに超える能力の幅と深さ。

先ほどの会議で懐疑的な意見を持った者たちを排除しておいて、本当に良かった――

山本は胸をなでおろした。


「ありがとう。午後も頼むよ」

「はい」

弥生は軽く頭を下げると、足早に喫茶スペースを後にした。

沈黙が落ちる。

佐山が静かに言った。

「どう思いますか?」

「そうね……」

水島は少し考え込む。

「ここではなんだから、少し移動しましょう」

三人は喫茶スペースを後にし、防音が施された会議室へと向かった。

重厚な扉が閉じられ、外界の音が完全に遮断される。

「田辺哲郎が、かなり特殊であることがわかるわね」

水島が口火を切る。

「はい」

山本と佐山が同時に頷く。

「まず、今までの我々の理解では、能力は使いこなせるようにはなるが、向上はしない」

「その通りです」

佐山が即答する。

「だが、田辺哲郎の身体強化は、本人の報告では当初は五段階だった。現在は七段階」

「これは、能力が向上していることを意味する」

「さらに、“トイレを綺麗にする能力”も、対象を“トイレ”と認識するだけで発動できる。定義の枠を超えている」

山本も佐山も、深く頷いた。

それは、進化の法則そのものが揺らいでいることを意味していた。

「これらの要因が、田辺哲郎の性格を変えたのか?それとも……」

水島は言葉を詰まらせる。


「能力の進化とともに、性格が変化しているということですか?」

佐山が静かに問いかける。

誰もが答えを持たなかった。

会議室に、重たい沈黙が落ちる。

「何があっても、敵にしてはいけない存在だ」

水島が静かに言った。

「奥さんの田辺敦子もだ」

二人も深く頷く。

「彼女の力を悪用すれば、世界を軽く変えてしまう」

「記憶の改ざん能力は、当初は十人程度にしか適用できなかったが、今ではもっと多くの人数に可能だ」

「もし悪用されたら、誰も手が出せない」

三人は、改めて思った。

田辺夫妻が最初からこちら側にいてくれて、本当に良かった――

それは、国家の安定を守る上で、何よりも重要な奇跡だった。

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