第16話 友達

施設の廊下は白を基調とした清潔な空間で、足音が静かに響く。

壁には進化者たちの活動記録らしきパネルが並び、時折すれ違う職員が軽く会釈をして通り過ぎる。

その中を、河合梨音は軽快な足取りで先導していた。

「ここからはこの河合梨音が、私にかわって施設内を案内させて頂きます〜」

「よろぴく〜♪」

弥生は横目で梨音を軽くにらむ。

「大丈夫?ちゃんとやってよ」

小声で耳打ちするその声には、わずかな苛立ちと不安が混ざっていた。

「あ、はい。よろしくお願いします。田辺哲郎です」

「よろしくお願いします。妻の田辺敦子です」

哲郎は、内心不安でいっぱいだった。

この施設に来ること自体が未知の体験であり、案内役がギャル風の女性というのも予想外だった。

だが、彼女が案内を任されているということは、進化者である可能性が高い。

どんな能力を持っているのか——それが気になって仕方がない。


梨音は、各部屋の前で立ち止まりながら、軽い口調で説明を続ける。

「ここは医療サポートルーム〜、あっちは能力訓練室〜、で、こっちはカウンセリングルーム〜」

そのテンポは早く、まるでショッピングモールを案内しているかのようだった。

哲郎はついていくのがやっとで、説明の内容も頭に入ってこない。

「これで大体の施設は説明したんで〜、ちょっとカフェってかたろ〜」

「ん?」

哲郎は、梨音の言葉を一瞬理解できずに首を傾げる。

敦子はなんとなく意味を察したようで、苦笑いを浮かべた。

案内の最後にたどり着いたのは、施設内の喫茶スペースだった。

木目調のテーブルと観葉植物が並び、落ち着いた雰囲気が漂っている。

これは、最初からここに誘導するつもりだったのか——哲郎はふと考える。

進化者の能力は多種多様。

何が能力なのか、些細なことでも気になってしまう。

梨音はカフェスペースに入り、奥の席に座ると、手招きして二人を呼んだ。

その仕草は、まるで友達を呼ぶような軽さだった。

哲郎と敦子は顔を見合わせ、無言で頷き合い、席に着いた。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」

店員がメニューを持ってやってくる。

「ノンカクで〜」

「コーヒーをください」

「私もコーヒーで」

「かしこまりました」

注文を終えた後、敦子が気になったように尋ねる。

「あの〜、ノンカクってどんな飲み物なんですか?」

「え〜、あつっちノンカク知らないの〜?」

「すみません……」

「ノンアルコールカクテルのことだよ〜」

「え?それだと沢山種類があるのでは?」

「ここに置いてあるノンカクは1種類しかないから〜」

「そうなんですね」

敦子は25歳。若すぎるわけではないが、ギャル文化との距離を感じる瞬間だった。

哲郎は、そんな敦子の反応を見ながら「ギャルという存在とは、言葉の壁があるものなのか」と思わず考えてしまう。

やがて飲み物が届き、三人はそれぞれのカップを手に取った。

温かい液体が喉を潤し、少しだけ緊張が和らぐ。


「さて、施設のことは適当に知ってもらえれば良いので、ここからはまじめな話をさせて頂きますね」

!?

突然、梨音の口調が変わった。

丁寧で落ち着いた声。

ギャル語が消え、まるで別人のようだった。

「改めて自己紹介させて頂きます。河合梨音と申します。そして能力は『隠し事だけわかる』です」

「あと、ギャルが好きなので、普段はギャルをしています。ですが、こうしたきちんとした話をする際だけは普通に話をさせて頂いています」

あまりの変化に、哲郎と敦子は言葉を失った。

頭の中が真っ白になり、数秒間、何も考えられなかった。

哲郎は頭を振り、我に返る。


「あの……隠し事がわかるっていうのは、どういうことですか?」

「そのままです。普段の会話では能力は発動しません。ですが、相手が嘘やごまかしをした瞬間に、本当のことがわかるのです」

「めちゃくちゃ凄い能力じゃないですか?」

「あ!やっぱわかる〜♪さすがてつっちだね〜♪」


!?


またギャル語に戻った。

二人は驚きながらも、少しずつ梨音のペースに慣れてきていた。

「あ、すみません。つい褒められたことで嬉しさあまり素が出てしまいました」

「いえ、できればどちらかの言い方に統一していただけると……」

「私はギャル語でもいいですよ」

「ほんと〜?あつっちわかるひと〜たすかる〜♪」

「上司にちゃんと話せって言われて〜マジ怠かったんだよね〜」

「じゃ〜こっちではなすね〜」

哲郎は苦笑いを浮かべた。

敦子は、どこか懐かしそうな顔をしていた。

学生時代の友人との会話を思い出したのかもしれない。

その間も、哲郎は能力を使って梨音の心の音を聞いていた。

嘘の気配はない。

そして、ギャルとして話すことで、彼女自身がリラックスしているのがわかる。


「あなたの前では、隠し事や嘘はつけないってことですね」

「そうだよ〜。だから〜、結構世の中の役に立つ仕事してるんだよ〜」

「え〜すごい!じゃ〜彼氏の浮気とかすぐわかるってこと?」

「あったりまえ〜♪」

「ちょっと待って、僕が浮気するって思ってる?」

「思ってないよ。でも〜」

敦子は含み笑いを浮かべながら、僕をからかうように言う。

その表情は、どこか楽しそうだった。

「二人ともマジ仲いい〜♪」

敦子は照れ笑いを浮かべる。

「梨音とは仲良くなれそうだね」

「え〜私はあつっちはもうマブだと思ってるよ〜♪」

そんな会話が続く中で、敦子は梨音と自然に打ち解けていった。


そして哲郎は、まじめな話をしているはずなのに、どこか気が抜けるような感覚に包まれていた。

この感覚——

ギャル語でまじめな会話の違和感。

そして敦子も少しギャル語が混じりだしている。

哲郎は、カップの中のコーヒーを見つめながら、静かに思った。

——この感覚には、当面慣れそうにない。

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