第2話 進化

「もう〜!ちょっと早く帰りすぎじゃない?」

甲高い声が、頭の奥に響いた。

まだ視界はぼやけている。

白い天井が揺れて見える。

「ちゃんと説明聞いてから帰ってよね!」

誰だ?何の話だ?

声の主は苛立っているようだが、僕には何が起きているのかさっぱりわからない。

「あ〜あんた、頭ぼや〜っとしてるでしょ」

その言葉と同時に、何かが僕の頭に──

ドカッ!

「痛っ!」

反射的に頭を押さえてうずくまる。

鈍い痛みが頭蓋に響く。

だが、その衝撃とともに、霧が晴れるように記憶が戻ってきた。

そうだ……僕は田辺哲郎。

そして、さっき病室で抱きついてきた女性は──僕の妻、田辺敦子だ。

ドカッ!

再び頭に衝撃。

「痛いってば!」

顔を上げると、目の前に真っ赤な髪の女性が立っていた。

鮮烈な赤。まるで炎のような髪色。

その瞳は鋭く、どこか人間離れした光を宿している。

「あんた!人の話聞いてないでしょ!」

彼女は腕を組み、苛立ちを隠そうともしない。

「君は……?」

「もう面倒くさい。1回で終わらせたかったのに」

「残業になったじゃないの!」

どうやら僕のせいで、彼女は予定外の仕事を強いられているらしい。

「申し訳ない……」

状況はわからないが、謝るしかない。

「しょうがない、もう一度だけ説明するから。しっかり聞きなさいよ」

彼女は深いため息をつき、指を鳴らした。

すると、周囲の空間が揺れ、白い霧が晴れていく。

僕たちは、どこか異空間にいるようだった。

地面はなく、空もない。

ただ、光と音だけが存在する世界。

「はい」

僕は姿勢を正し、彼女に向き直る。

「いい?あんたは“進化のルーレット”で1等を当てたの」

「進化のルーレット……?」

「うるさい!質問は私がしてよいと言ってから!」

「すみません……」

なぜこんなに怒られるのか。

この女性、カルシウムでも足りていないんじゃ──

「カルシウムは足りてます」

え?

今、僕の心の声を読んだ?

「そうよ。あんたの考えなんて全部読めるんだから」

「……って、もう話が脱線したじゃないの!」

彼女は苛立ちを隠さず、再び指を鳴らす。

「いい?あんたは1等を当てて、3つの進化を手に入れることができるの」

「それは今後、あんたがどうやって生きていくかに大きく左右する力だから」

彼女の声が、空間に響く。

言葉が、直接脳に届くような感覚。

「1つは──身体が強くなる」

「1つは──相手の気持ちが音でわかる」

「1つは──どんな病気やケガも治せる」

「これらは、あんたの以前の心に左右してつく力だから」

「簡単に説明したけど、細かい条件はあんたの頭の中に入るから」

「あと、進化するから一度身体はリセットされるからね」

リセット?

進化?

いきなり言われても、頭が追いつかない。

「さぁ、質問は?」

僕は混乱しながらも、なんとか口を開く。

「進化とは……?リセットされるって……?」

彼女は目を細め、肩をすくめた。

「はぁ〜?あんた、“進化”って意味知らないの?」

「リセットはリセットよ。ゼロに戻るってこと」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「進化って言ったら進化よ!」

「人間だけじゃない。生き物も植物も、みんな進化して今に至ってるの」

「それがこの世界のルール。わかった?」

彼女の言葉は、どこか現実離れしている。

こんな風に進化するものなのか?

それに、この人は一体──

「私は神様じゃありません!」

また心を読まれた。

「バイトです」

……は?

「こっちの世界だって人不足なの」

「それにこの世界は神様の世界ではなく、“進化の世界”」

「私はその案内人をバイトでしてるだけ」

彼女は背を向け、空間の奥へと歩き出す。

「じゃ〜質問終わりね」

「嘘?まじで?ちょっとしか質問してないんだけど……」

「私だって忙しいの。あんただけに説明してればいいわけじゃない」

「これから呑み会なんだから。じゃぁね」

「ちょっ、ちょっと!」

僕は手を伸ばす。

彼女の背中に届きそうで届かない。

「機会があれば、また会うから。それじゃね」

彼女の姿が光に包まれ、消えていく。

──意識が、遠のく。

白い世界が、再び僕を飲み込んだ。

進化とは何か。

僕は何者なのか。

そして、これから何が始まるのか──

それはまだ、誰にもわからない。

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