瞼を閉じている間に

 今日もまた眠れない。目を閉じれば、ゴオンゴオンという重たく機械が動く音、耳を侵略するような高音の救難信号、悲鳴交じりの同類たちの声、そして母星からの新しい星を発見せよという声が聞こえる。耳をふさいでも離れない、助けを求めるその声たちはマナブがかつて発した声と同じだった。孤独の中で何も頼るものがなく、生きるか死ぬかを運命にゆだねるだけの日々。その生活を未だに送っている同類たちのうめき。時に大きく、時に囁くような小ささで耳を侵す音たちは、マナブの眠りを妨げるには十分だった。


 十年前にこの特区に不時着し、宇宙船を捨てて住み着いているにもかかわらず、いつまでもマナブを追って聞こえてくる声だ。マナブが生まれた星では同類同士でテレパシーを使えるのか、はたまたただの幻聴なのか、マナブには判断がつかない。夜はいつもそうだ。何も起こっていないときの特区の夜の静けさは、あの暗い宇宙に似ている。一人で漂った寄る辺もない、広く広がる空間。時折、救難信号が途切れては無音になる、あのぞっとするような静寂に。


 ──眠れねー……。


 ベッドから緩慢に起き上がり水を含んだ後、マナブは散歩に出ることにした。うつらうつらともできない、はっきりと目がさえているときは散歩をすると決めている。身体に負荷をかければ、おのずと眠気は襲ってくるはずだ。……まったく、昼間にあんなにも太陽光に照らされてインテリタスと遊んでいるというのに、どうしてこの身体は夜になるとこうも、休息をとることを拒否するのだろう。しかし、十分な休息をとらずともある程度の活動をすることができるこの水の身体である。人間とは違う、とマナブは忌々しく思う。


 夜の散歩コースはいろいろとあるが、南のメインストリートを端から端まで歩く散策か、または、西地区の方まで足を延ばす遊歩が主である。東地区は周らない。大概の怪異と対等に立ち回ることができるモンスターであるマナブだが、夜闇の中で得体のしれない輩と鉢合わせするのは自傷行為に近い。


 夏はインテリタスが家から抜け出して夜空を眺めていることがあったためそれに付き合い、西地区コースを歩くことが多かったが、最近は夜の西地区を歩くことは滅多になかった。


「たまには西にでも行ってみるか」


 この寒空の中、インテリタスはいないだろうが、慣れた道を歩く方が化け物に襲われたときに対処がしやすいだろう。


 マナブは西地区への道を歩き始めた。警戒のための緑色の該当が道を照らして、街の中を明るいものにしていた。昼間は住人の往来が多く、比較的安全な西地区の中心部だが、夜は人通りはなかった。しかし、モンスター類の影もない。時折、遠くで何か動く音が聞こえるが、その音もマナブのいる場所からは遠ざかっているようだった。歩けば穴につまづく東地区の夜とは大違いである。


 インテリタスの家、直し屋の前まで来て、ぼんやりと建物を眺める。当たり前だが、明かりはついていない。頻繁にこの場所に来ているというのに、夜というだけで閉ざされたその扉は、マナブの来訪を拒絶しているようにも思えた。明日になればドアは開くだろうが、昼間と夜とではこうも雰囲気が違うのか。夏にはインテリタスが待っていた隣の空き地にも、やはり少女の影はなかった。


 ──帰ろう。


 立ち去ろうとしたマナブの近くに特区タクシーが停まった。中から出てきたのはこの家の住人、警備署員をしている女だった。マナブと同じくらいの身長であるにもかかわらず、やたらと背が高く見える。重たげな瞼の下にある目は対象をまっすぐに見つめ、咎めるような表情がまさに警備署員である。マナブはその女が苦手だ。やましいことはないが、心の中に隠した悪事をばらされているような感じがするのだ。


 女は驚きもせずにマナブに声をかけた。


「あなたは、夜もインテリタスに会いに来るの?」

「別に、遊びに来たわけじゃ……」

「まあ、いいわ。インテリタスはもう寝てるでしょうけど、あがっていきなさい」


 痩せているせいで身長が実際の数値よりも高く見える。威圧感のあるその長躯だが、思いのほか声は柔らかい。どうぞ、と促されるままに、マナブは家の中に通された。インテリタスがいるときは勝手に上がり込んで自由に過ごしているその居室だが、住人の目の前で普段通りに過ごすこともできずマナブは立ち尽くす。その前のダイニングテーブルに温かいお茶を出された。


「ノンカフェインよ。それ飲んだら、二階の客間で寝なさい」


 夜食なのか、おにぎりを食べながら女が言った。


「は? 僕は別に泊まりに来たわけじゃないんだけど」

「こんな時間に特区を歩くのを、警備署員として見過せないわ。今度から見つからずに歩くことね」


 母親、あるいは姉がいたらこのような調子かもしれない。さほど、マナブと歳は違いない気がするが、凪いだ印象を受けるのは警備署員だからか、あるいは伴侶に落ち着きがないからだろうか。不思議と不快感はなかった。知った場所に招かれたおかげで、外にいたときに感じていた疎外感とは別の感覚をマナブは感じている。二人の間にあるのは特区の静けさだというのにも関わらず、頭の中から救難信号は消えていた。


「陣の目が朝も用意してくれるでしょう。食べていくといいわ。そのあとはお好きにどうぞ」


 そう言った、一階の寝室に向かう女を、マナブは見送る。


 お茶を出されたならば飲まなければなるまい。マナブはダイニングテーブルに座り手を付けた。身体の中にほうじ茶が混ざり、水の身体の中に消えていく。冷えた身体が少しぬるくなる。本当にこの家で眠るのか……、という戸惑いがあるが、一度腰を落ち着けてしまい自宅に戻る気にもなれない。


 熱いお茶を飲み終えてからマナブは二階へと上がった。ログハウス調の内装は家主である直し屋が作ったのだろうか、どこか暖かみを感じた。


「客間……、どこだよ」


 二階にはいくつかの扉がある。家主たちは下で寝ているらしいから鉢合わせすることはないだろうが、他人の家のドアを開け閉めして楽しむのはとっくに卒業した歳だ。インテリタスが夜更かしして本を読んでいるところと鉢合わせしたら、寝るどころではなくなるだろう。まいったな、と思いながら、マナブは一番手前の扉を開けてみた。暗がり。携帯端末でそっと照らしてみると、ベッドには少女が眠っていた。


 ──よりによって、インテリタスの部屋か……。


 その少女がいるかもしれない想定内だったにもかかわらず、マナブはドアを閉めて引き返すことができなかった。友人の自室に入り込む気まずさと共に、少女が眠っているということに対する疑問。


 ──人で非ざる生き物、破壊の概念、無機物ともいえないこの娘はどうして休む必要があり、何を回復させなければならない理由がある?


 明かりに照らされても、少女は起きる気配がない。まるで人形、まるで生きていない身体。動かないインテリタスにマナブはぎょっとした。昼間、マナブの周りで忙しなく動く少女とはかけ離れた静寂を感じたのだ。


 ──……死んでないよな?


 少女を起こさないようにゆっくりと近づく。寝返りの一つも打たずに、瞼を閉じて上を向いて横になり、微動だにしない。少女は息をしていなかった。体温があり、寒さで凍傷を起こし、肺には温かな空気を宿している存在は、眠りの中で呼吸をしていない。彼女は人間のまねごとをして、ベッドに横たわっているだけなのだ。


 それを目の当たりにして、友人の部屋に入ってしまった罪悪感とは別の動揺がマナブを揺さぶった。人間に近づく人外の、人でない証拠を偶然見つけてしまった。少女が死んでいないかを確かめるために近寄ったにもかかわらず、少女が呼吸を止めていることに対して、マナブの中で言葉にならない感情が沸き上がってくる。


「……おやすみ、インテリタス」


 マナブの声は震えていた。人間ではない少女に感じた後ろめたさを隠すようにして、静かに部屋の扉を閉めた。


 まだ、お前は僕と同じ人間ではないものだ、とマナブは思った。人間のように見えて、人間に近づいたとして、完全には人間になっていない。少女が息をしていないことを心配できない気持ちと、少女に残った人で非ざる者の片鱗を発見した高揚感。その二つが、マナブの心をかき乱していた。


 今日は普段とは別の理由で眠ることができない、とマナブは感じていた。

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