草露白(くさのつゆしろし)
困ったことになった。空き地でぶらぶらとインテリタスを待っている間に、空から飛翔してきた何かにぶち当たり、水の身体が飛び散ってしまったのだ。しかも、怪異には凝集阻害の呪いでもかかっていたらしい。水の宇宙人であるマナブの身体は草の上の露となり散らばってしまった。
──身体が元に戻らない!
怪異の方もマナブにぶち当たって運が悪かった。食おうと思って体当たりした人間が、実は水分100%の存在が擬態をした姿だったのだから。飛び散るはずだった血肉は全て水滴で、怪異が好んで食べるような特別なものではない。怪異は、あれおかしいな、という顔で首を傾げた後、どこかへ飛んで行ってしまった。
無数の水滴になって、草に引っ掛かっているマナブを置き去りにして。
マナブの頼みの綱は──幸いなことに、昨日またねと言って別れた──インテリタスである。またね、と約束をしたのだから、きっとこの空き地に現れるはずだ。現れたところで、どうやって身体を元に戻すかの算段はつかないものの、幸い空き地の隣は直し屋があった。水の身体を集めてしまえばどうとでもなる。
……いや、集めればいいと言えば簡単だが、百や二百どころではない水滴をインテリタスにどうやって集めさせるのか。そもそも、この散らばった水滴をマナブだと認識してもらえるかも怪しい。
草のてっぺんに乗って、風が吹けば不安定にゆらゆらと揺れる。そんな身体があるかと思えば、その下側では蜘蛛の巣にちりばめられた雫が太陽に照らされて輝いている。フェンスに絡む蔦からはぽたぽたと垂れる身体もある。その散らばった水滴の全てが、なんとも頼りない。今はまだ涼しいからいいものの、これが真夏の太陽の下であったならば、マナブの身体たちは瞬時に蒸発してしまったに違いがない。
──早く来い。インテリタス。
ところが、昼を過ぎても夕方になっても人で非ざる少女は現れなかったのだった。もどかしい時間は過ぎ、月が空に昇る夜になってしまった。
まさか、約束を反故にされるとは。あのインテリタスに。この僕が……と、呆然とするマナブを満月が煌々と照らす。何の力も持たず、一人でただ存在している状態は、小さなころに宇宙に放り出された経験を思い出させた。暗く静かな宇宙で孤独に浮遊する宇宙船。為す術もなくただ、生きたいと願うだけの日々。それと似た状況に思わずマナブの心がざわつく。インテリタスが来なければ、マナブは露となってここから消えるのかもしれない。
自分の身体に月が映りこんでいるのが見える。その光景を見て、マナブは少女と交わした約束を思い出した。
──ああ、そうか。
今日は満月。一緒にお月見をしようと、今日は夜に待ち合わせをしたのである。道理で、昼間に少女が現れなかったわけだ。
そう合点したマナブの上に、影が落ちた。人で非ざる者らしく、音もなくインテリタスが立っていた。
「マナブ」
少女がマナブの名前を呼ぶ。その瞳は、無数に輝く水の粒を見つめている。ピンク色の虹彩が煌めき、マナブはインテリタスと目が合ったようだった。
ワンピースの裾が翻り、露が蒔かれた草むらの上にふわりと落ちた。緋色のスカートに沁み込んでいく水滴。柔らかな布がマナブの身体を集め、地面に座り込んだインテリタスのスカートは人一人分の体積の水を吸って重たく濡れた。
「こんばんは、マナブ」
どうして水の姿をしているの、と問いながら、インテリタスがスカートごと染み込んだ水を撫でる。何かとんでもない状況のようにも思えるが、マナブにとっては今ほど安堵した時はなかった。
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