人外青年少女掌編集 翌なき春
かわかみC107西1ホールな20b
虹始見 (にじはじめてあらわる)
家の中のものを一通り壊しつくし、家主に一度外に出ろと指示されたため、インテリタスは直し屋の隣にある空き地で一人を持て余していた。
空き地と言っても、昔、誰かが住んでいただろう空き家が半壊した状態で残されている場所だ。そこをインテリタスと同じくらいの背丈の雑草が生い茂っており、荒れ放題となっている。インテリタスが特区に来てからというもの、管理者を見たことがなく怪異がいる様子もないが、近所の子供が好んで遊ぶほどの清潔感のある場所でもなかった。近寄る存在が誰もいないため、追い出されたインテリタスはその空き地に行っては空き家の壁を壊したり、地面に穴を掘ったりして過ごしている。どうせ、壊れた建物だ。何かに使う土地になったとしてどうせあばら家を壊すことになるのだから、インテリタスが手慰みに破壊してしまっても文句は言われないだろう……というわけで、インテリタスはその家の壁をコンクリート片へと帰していた。造作もないことだ。
インテリタス。破壊の概念。特区に顕現して少女の姿をしている自分の名前と本質がそれだった。直し屋の中で物を壊しつくしてしまったのは無理もないことなのだ。壊れろと頭の中で合図をし、物を視界に入れながら目を瞬かせ、視界の中で手で払う、そうすれば物は壊れるのである。破壊を司っている以上、物に触れれば壊れろと思わなくても壊れるし、壊す以外にインテリタスにやることもない。もう少し人間の身体に慣れて、力を制御できるようになれば、触っただけで物を壊すということはないのかもしれないが、それを会得するのも億劫だった。しかし、この街に生きる以上、むやみやたらに破壊の力を行使し続けるのも困りものだろう。インテリタスという少女の姿で生活をしながらコントロールする術を身につけるしかない。
壊さない、そう思いながらコンクリート片に触れて塵屑にしてしまった。失敗だ。インテリタスはその結果を感慨もなく受け止めた。直し屋ではないのだから、壊れたという結果は元には戻らない。次の壊さないに期待しよう。そう思いながら塵を見下ろすと、コンクリートがあった所、その下から何やら飛び出しているのが見えた。動物か人間か、何か変な匂いを放つねっとりとした塊のようなもの、何がある? とインテリタスは座り込んで興味が赴くままに手に触れた。指先が柔らかなものに埋まる。埋まった先から不快なガスが噴出し、インテリタスは手を引っ込めた、その時だった。
「おい!」
湧きあがる臭気から背けるように顔を上げ、インテリタスは空き地の入り口に目を向ける。一人の人間が歩いて来るのが見えた。黒いジャケットに黒髪の男には見覚えがある。以前、直し屋にやってきたことがある人間である。
相手はインテリタスを見て、それから空き地の周辺を見て状況を理解したらしい──つまりは、インテリタスが一人で目的もなくコンクリートを壊して過ごしていたことを。
座り込んだインテリタスの元へとまっすぐに歩いて来る男を見ながら、インテリタスは汚れていない右手を男の方へと向けた。男がインテリタスの視界の中で手の中に収まる。それを確認して、インテリタスは手をゆっくりと男を握った。破壊の概念(インテリタス)の視界の中でインテリタスに握りつぶされたものはすべて同じ道を辿る。すなわち、現実でも爆発飛散するのである。
べしゃり。
男はインテリタスの手に握りこまれて潰れた。破裂音がして、それきりだ。他の人間を壊した時とは違い、男から飛散した体液はきらきらと輝く透明なものだった。飛び散った雫が太陽光に反射し、それから周囲に虹を作り出す。皿や椅子、コンクリートを壊した時には生じないカラフルで魅力的な輝きである。男の体液は飛び散り、空き家の前庭の土の色を色濃く変える。輝きは一瞬だったが、それでも、インテリタスにとっては満足がいくものだった。
「何すんだよ」
男が声だけでインテリタスに抗議をする。しかし、視界の中で握りつぶした男は、いつの間にかインテリタスを覗き込むように傍に立っていた。果たして、インテリタスは今、この男を握りつぶして破壊したのではなかったか?
「……」
インテリタスは男を見上げて無言で返した。いきなり身体を壊したのは失礼千万だということは理解しているが、この男にそれを詫びようと思うようなところもなかった。それをしたところで、インテリタスは男が死なないのを知っているのだ。
絵画の中で祝福を受けている聖人のような非現実的な美しさを太陽の光が照らしていた。黒髪、そして長い睫毛が日光に透けて偏光する様子は、天使と表現しても違和感はない。しかし、月夜に照らされていれば悪魔のようにも見えるだろう。濡れたような艶のある黒髪に絹のようにほつれが見当たらない肌、ひきしめられた赤い唇で囁かれれば正気でいられるものはきっといない。おまけに、長い睫毛で彩られた目には水色の宝石のような瞳が埋まっているときた。この世のものではない美しさ。
ただし、インテリタスにとってはその美しさは無意味なことだった。周囲の人間がこの男を視界に入れて感嘆するのを見て、その真似することしかできない。そして、今、インテリタスはそれを取り繕わなくても良い。
「お前、なんだっけ。名前」
インテリタスの内心を知ってか、男はその美しさに反して、至極ぶっきらぼうに聞いてきた。
名乗る必要もなかったが、インテリタスは名乗った。
「ふーん。〝破壊(インテリタス)〟か。お前にぴったりの名前だな」
男にとってはそれが良いことだったらしい。上機嫌で男はインテリタスの隣に座る。そして、聞いてもいないのにライブが決まったから陣の目を誘いに来たとか、西地区は東地区に比べて穏やかだとか、そう言ったことをつらつらと話し始めた。明日からバンドの練習で、直し屋からもベースを引き取ってきたと楽器を見せてくる。
インテリタスを恐れも厭いもせずに隣に座るのはインテリタスには奇妙に思えた。特区の怪異であるならば、インテリタスが何であるか結構すぐにわかるものなのだ。他の人間は男と同じことをしない。
男がインテリタスにとっては関係がないことを話しているのも興味深かった。直し屋がインテリタスを呼んでいるといった伝言ならば請け負うのはまだ理解できるものの、今の男の話題は春の陽気の話である。男にとってはかなり重要な話らしいが、インテリタスにとっては特区が暖かろうが寒かろうがどうでもいい話だ。
「お前はなにやってるんだ? 怪力の人外さんは?」
男が馬鹿にしたような笑いで──それでも美しい──インテリタスを見た。インテリタスが特に楽しんでいるわけでもないのにコンクリート片を生み出したことを予想したらしい。大方、話す話題の中に気の置けない友人がいる自分とは違って、インテリタスは孤独に破壊を楽しむことしかできないということを嘲っているのだろう。インテリタスもそれは否定しなかった。インテリタスと男は同じ人外でも境遇が違う。破壊を楽しんでいるわけではないのだが。
インテリタスがただ地面をいじっていると思って、男がインテリタスの足元を覗き込んだ。そして、──その中にぐちゃぐちゃとした人間の手先を見つけて、男は声にならない悲鳴を上げてのけぞった。
美しい人間ほど、慌てた姿は滑稽だ。
「な、何してんだ! お前、殺したのか……?」
「うまってた」
インテリタスは素直に答えた。この街では、生きている者をそう簡単に殺すものではない、そう保護者である警備署員のいばら野梨子から言われている。特区に住むということは、特区のルールを守るということだ。ルールから外れれば、何が起こるかわからない──と彼女は言ったが、果たしてそれは特区の中で通用する言説なのだろうか。判別はつかないがインテリタスはそれを一応守っている。だから、人は殺していない。ただ、コンクリートを壊していたら、埋められていたものが掘り返されただけだ。
「埋まってたからって、無防備に触るなよ!」
インテリタスの手が死肉から溢れた体液で汚れていることにも気が付き、男が大慌てになった。何をそんなに驚いているのかわからないが、大振りに手を動かした後で、男は心底嫌そうにインテリタスの左手を両手で包み込む。インテリタスの手よりも大きく、長い指は先端から透明に解けて水になり、さらさらと流れた。インテリタスの手の上に透明な水が現れては、血交じりとなる。その水が透明になったころには、インテリタスの手の汚れはきれいに取り払われていた。
「ったく……、思ったよりじゃじゃ馬な化け物だな」
「うん」
否定はしない。インテリタスは特区の外に存在していた人で非ざる者で、特区の中に住む人外のこの男からしてもモンスターなのはわかり切ったことである。
素直な返事にバツが悪くなったのか、男は通報して引き取ってもらうぞ、と埋まっていた人間の死体を男は処理し始めた。手際が良く、業者やら管理者やらがあっという間に空き地から得体のしれない人間の遺体を運んで行った。後にはインテリタスと男だけが残る。
「いいか、人間はむやみやたらに死体には触らないんだ。まあ、特区の人間は死体やら肉片にやらには慣れてるけど、……わかったか? 人間として生活するためには、人間のしないことはしちゃだめなんだぞ」
この人間以外がはびこる特区で、人間に紛れようなど、無意味なことを言う。その上、自分は常の人間に紛れることもできないほどの美貌を鼻にかけているくせに……、と説得力がない。しかし、人間であろうとなかろうと、この街で生活する以上はこの街に馴染まなければならないというのはもっともではあった。
「まあ、お前くらい人間離れしてたら、人間になるなんて程遠い話だろうけどな。……競争するか?」
勝つのは自分だ、と確信している笑顔で男が言った。今のスタートラインならば、特区に存在している時間が長い男の方が勝たなくては面目立たないはずだがそれでもいいのだろうか。自分が勝つとも思えないが、自分が負けることもインテリタスには想像できなかった。何かを競うということはインテリタスにとっては未知の領域である。ただ、未来というものに思いを馳せると、それは色とりどりに分岐をしているようにも思える。
「する」
インテリタスは申し出を受けていた。男がそう来なくちゃな、と笑う。
──人間になる、か。
人間に近づくと、自分が見る特区の風景はどのように変化するのだろう。変わらないということはない。インテリタスに変容が起こるのならば、それを取り巻く世界もまた変わるのだ。インテリタスと特区が変化した先にある輝き、それを目にすることができるのならば、この男の話に乗っても良いと思うインテリタスであった。
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