第18話 総理、対峙する


 更に歩を進めると、眼の前に朱塗りの大きな鳥居が現れた。

 迅一郎は立ち止まり、鳥居を指差す。

 ダンジョンドローンのカメラがそちらに向かった。


「皆さん、あの大鳥居が見えますか? あの鳥居をくぐると別フロアに転移されます。その先が、俗にと呼ばれる空間です」


「ねーねー、そーりー。死者の回廊って、どんな場所なのー?」


 迅一郎の言葉を受けて、まこぴーが手を上げて素朴な疑問を口にする。

 その疑問は、そのまま視聴者に対する状況説明に直結している。

 迅一郎は、疑問の声に応えることにした。


「平たくいうと、階層主フロアボスが待ち構える場所です」

階層主フロアボス? どんなやつー?」

「敵の正体はよく分かっていません」

「分かってないって……国にデータとかそういうのないのー?」


 迅一郎は首を横に振る。


「ありません。なぜなら、これまで死者の回廊から生還した探索者は一人もいないからです。わずかに残された映像記録も、霧やノイズでぼやけており、敵の姿をはっきり捉えたものはありません。つまり——この先に何が待っているのか、誰にも知られていないということです」

「うっわマジ!? 激ヤバじゃん!」

「そんなとこでうちらが初配信とか、マジでバズるっしょ!」


 二人は相変わらず能天気に盛り上がっていた。

 緊張感など微塵も感じられず、まるで肝試しにでも来たかのようだ。

 迅一郎は小さく眉をひそめ、わずかに息を吐く。

 そして、静かに、しかし明確な圧を込めて口を開た。


「二人とも、ここから先は遊びじゃ済みません。これから行くのは、この恐山ダンジョンがと評される理由そのもの——最も危険な場所なのです」


 迅一郎はゆっくりと朱塗りの大鳥居へと歩み寄り、その目前で立ち止まった。


 鳥居の向こう側の景色は、まるで石を投げ入れられた水面のように揺らめいていた。

 その揺らめきが、この鳥居がになっていることを物語っていた。


 ワープスポット。


 ダンジョン内における移動装置の一種だ。

 一歩でも足を踏み入れれば、ダンジョン内の別の空間へ転送される。


 ワープスポット自体はとりたてて珍しいものではない。

 しかし、目前のワープスポットは、恐山ダンジョンの最難所である死者の回廊へと続いている。


 常識ある探索者なら、誰もが立ち入ることをためらうだろう。

 いや、正しくためらわなければならないはずだ。


 迅一郎は背後を振り返り、二人に真剣な眼差しを向けた。


「やはりこの先は危険すぎる。今からでも遅くないから、君たちは撤退すべきです


「え〜でも総理がいるし、なんとかなるっしょ?」

「そーそー、〝史上最強の総理大臣〟ってネットで言われてるもんね!」


:わかんねーのか、てめえらが足引っ張るって言ってんだよ

:空気読め迷惑ダンチューバー

:目障りだから早く消えてくれないかな

:こいつら見てるとムカムカしてるくる…よく迅一郎は我慢できてるわ

:真面目に探索してる人たちに失礼だろ、マジで


 視聴者たちのコメント欄は、非難の声で溢れ返っている。

 だが、当の二人は気にも留めず、へらりと鼻で笑って軽く流すだけだった。


 ——もう、連れて行くしかない。


 ここで時間を割いて説得したところで、彼らが聞き入れるとは思えない。

 迅一郎は静かに息を吐き、腹をくくった。


「……もう一度言うが、決して自分から離れないこと。どんな敵の攻撃が待ち構えているかわからない。いいですね?」

「「うぇ〜い」」


 迅一郎は二人の答えを聞き届けてから振り返り、再び鳥居に向き直る。


「私が入った後……すぐに君たちもついてきてください」


 そう二人に言い残して、鳥居の先へと一歩足を踏み出した。


 その瞬間。


 足元から光が弾け、世界がねじれるように反転する。 

 視界を包むのは、白と黒の渦。

 音も感覚も遠のき、ただ重力のない空間を漂うような浮遊感が身体を包み込んだ。


 そして——次の瞬間。

 光が弾け、足元に再び大地の感触が戻る。

 そこは高い岩壁に囲まれ、細長い通路のようになっている場所だった。

 変わらずに周囲を覆うのは濃い霧。

 視線を周囲に巡らせると、あちこちに小さな風車が突き立っている。


 景色としては、これまでと変わりない荒涼とした空間。

 だが、まとわりつく瘴気の濃さは比べ物にならない。

 息をするたびに胸の奥が底冷えしていくような、重たく冷たい空気だった。


「到着っと〜!」

「うぇ〜、からだ重〜!」


 一拍遅れて、紅マロとまこぴーも到着した。


「二人共、ここから動かないように。まず周囲の状況確認を行います」


 迅一郎は二人にそう忠告してから、耳元のインカムに手を添える。


「白瀬くん。死者の回廊への転移完了。状況確認を頼む——」

『了解しました。周辺の瘴気濃度は30パーセントを超えています。総理の瘴気耐性であれば問題ないと思われますが……長期間の滞在は迷宮酔いが発生するおそれがあります。特にお連れの二人については、体調変化にご留意を』

「了解した。周辺の敵性反応は?」

『それが今のところ反応がないのです。階層主フロアボスが控えているとしたら、もっと強力な反応があってもおかしくはないのですが……ただ、ここが死者の回廊である以上、油断は禁物です』

「もちろんだ」

『引き続き、私の方では敵性反応の監視を続けます。異常があればすぐに報告します』

「頼んだよ」


 通信を終え、迅一郎は慎重にあたりの様子を伺う。

 そんな彼に、紅マロが軽い調子で問いかけてきた。


「ねぇ総理、敵ってこの辺にいんのー?」

「今のところ、目立った反応はありませんね」


 迅一郎はナノデバイスモニター越しに、結月がアップロードする情報を確認しながら、落ち着いた声で答えた。


「なら余裕じゃん〜」


 紅マロは笑いながら、そのまま迅一郎を追い越して、ひとりで奥へと歩き出してしまう。


「ま、待ちなさい! 勝手に先行しては危険だ!」


 迅一郎の静止の声が響くが、紅マロはふり返らずに片手をひらひらと上げて、すたすたと歩を進めた。


「さっすが紅マロくん、勇気りんりん100パーセントじゃ〜ん!」


 まこぴーもまた呑気に笑い、紅マロの後を追っていく。

 彼女はふと迅一郎の方に振り返って、あどけなく笑った。


「そーりも早く進もうよー。敵が出てこないならふつーに抜けられるっしょー」


 一方、先行した紅マロは立ち止まり、周囲をきょろきょろと見回していた。


「つーか、出口なくね? 一本道なのに、この先行き止まりだぜ?」


 その言って、紅マロが迅一郎の方へ振り返る。


「おーい、総理ー、どうなってんのー? この先どうやって進めばいーのー?」


 そう疑問の声を上げた瞬間だった。


 りん——


 澄んだ鈴の音が、空気を震わせる。


 その音は、微かなはずなのに、まるで耳元で鳴ったかのように鮮明で。

 ぞくりと、迅一郎の背筋に冷たいものが走った。


「なに……今の音?」


 紅マロが眉をひそめ、きょろきょろと周囲を見回す。


 次の瞬間。


 ひゅっ、と風がなった。

 つづいて、ぶしゅっ、と何かが裂けるような鈍い音が響く。


 紅マロの体がびくりと硬直した。


「っ……」


 何が起きたのかわからない。


「ぇ……なに……?」


 紅マロは呆然としたまま、震える手で自分の胸元に触れた。

 その手にべとりと、血がついている。


「……は、マジ……? 俺……?」


 その体に、袈裟懸けに、一本の赤い線が浮かび上がっていった。


「……ぐぼッ……」


 喉の奥を詰まらせたようなうめきと共に、紅マロが吐血した。

 同時に、がっくりと膝をつく。

 遅れて傷口から、噴水のように鮮血が吹き上がり、霧へと溶けていく。

 濃厚な血の匂いが、湿った空気に混じった。


「きゃあああああああああああああ!?」


 残されたまこぴーの悲鳴が響く。


:は? え?

:死んだーーーーーーーーーーーーー!?

:ざまあwwwwwwwww

:つーか何がおきた!?


 当然のことながら、騒然となるコメント欄。


:血……?

:CGじゃないよな!?

:ちょ、ヤバいヤバいヤバいって!!

:放送事故レベルじゃ済まねぇ!


 だが迅一郎は、動揺を見せることなく即座に刀を構えた。

 今の一撃——目に見えない斬撃だった。


 敵は確かに、この場所にいる。


 緊張が空気を張り詰めたその時。

 脳の奥を直接撫でられるような、不気味な声が響いた。



「いぬるな いぬるな そのこゑ すづに かれぬる」



 それは男でも女でもない。 遠くから聞こえるようで、同時に耳元で囁かれているようでもある。

 冷たい声が、霧の中に漂う血の臭いと混じって広がっていった。


「くるす くるす うむへらの えのつ くるすてやらふ」


 再び、りんと鈴の音が響いた。

 霧がゆらりと揺れ、何かがそこからにじみ出るように現れる。


「ひ、ひぃっ……」


 その姿を目にしたまこぴーは、足から力が抜けたように崩れ落ち、尻もちをついたまま後ずさった。


 無理もない。

 その異形は、見るものの心を恐怖で凍りつかせるに十分な姿をしていた。

 

 身の丈は三メートルを優に超える、異様に細長い体躯。

 纏うのはぼろぼろに裂けた白装束で、布の隙間から黒ずんだ皮膚が覗く。

 顔には般若の面をかぶり、手には錆びついた大鉈を静かに握りしめていた。


 濃密な死の気配をまといながら、まるで能の舞を踊るように、しずしずと歩み出る。


 これこそが——死者の回廊の、階層主。


「夜叉……」


 迅一郎は、その名を口にする。

 全神経を集中し、夜叉の追撃を待ち構えた。

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